テンプレ小説談義(3)テンプレ小説って何?

2021年4月21日


 どうも、あじさいです。


 言い忘れていたことがあるので、まずはその話から始めさせてください。

 このエッセイで「テンプレ小説」と言うとき、筆者の意識としては、そこに悪役令嬢系は含まれていません。

 悪役令嬢系にはアニメ化された作品もあり、類似るいじの作品も多く書かれていて、たしかに新たなテンプレになっているとは思うのですが、筆者が思うにそこまで批判はされていないように思います。

 この「テンプレ小説談義」は、「一方で人気がありながら他方で酷評もされている、テンプレを連想させるWeb小説」を念頭に置いているので、あまり批判を受けていない作品はとりあえず除外して考えるつもりです。




 さて、テンプレ系に対する批判というと、どういうことが言われているイメージでしょうか。

 筆者がよく目にするところだと、


・設定に矛盾がある。

・主人公の能力がチート過ぎて物語に緊張感がない(せめて何か制約が欲しい)。

・なぜか登場人物たちが合理的な行動をとらない(算数ができない、簡単に解決できるはずのことであれこれ悩んでいる、わざわざまわりくどい方法を選ぶ、秘密にすべき能力を特に必要性のない場面で使うなど)。

・主人公の言動が不自然で気持ち悪い(鈍感すぎる、人の心に理解がなさすぎる、学習力がなさすぎるなど)。

・女性キャラクターが主人公を賛美ヨイショするだけの存在になっていて気持ち悪い。

・タイトルを回収した後の展開が場当たり的で、だらだらと引きばされている。

・ラッキースケベやサービスシーンという名のみだらな描写が無駄むだに多い。

・小説投稿サイトの片隅かたすみで連載する分には構わないが、こんなものを書籍化するな。アニメ化して地上波に出すな。


 といった感じでしょうか。


 これらの「批判」について考えを深める前に、注意しておきたいことがあります。

 それは、テンプレ小説はそもそも読者のどんな期待にこたえようとしているのか、ということです。


 前回お話しさせていただいたことと重なりますが、文芸に対する批判には、建設的なものとそうでないものとがあります。

 たとえば、『桃太郎』については近年、桃太郎が鬼を「退治」と称して殺すのは残酷だ、という批判が出されています。

 前回お話させていただいたことに照らして考えると、この批判は、『桃太郎』が子供に読み聞かせするのにより適した内容の作品になるために加筆修正を求める批判、という言い方ができます。

 批判が的をたものであるか、反論の余地がどの程度あるかはともかく、一応、建設的な批判としての体裁ていさいは整っていると言えるでしょう。

 それに対して、仮に誰かが「桃からヒトが生まれるわけがない」、「イヌ、サル、キジが日本語を話すことは生物学的にあり得ない」という批判をしたとしても、それは「言っても意味がない」ことです(実際そんな理由で絵本にクレームをつける人はめったにいないはずです)。

 なぜか?

 それは、『桃太郎』が子供向けのお話だからです。

 より正確に言えば、『桃太郎』という童話が想定している読者は、物語に生物学的な根拠を求める人々ではなく、非現実的な不思議を楽しもうとする子供たちだからです。


 テンプレ小説に対する批判はもしかすると――もちろん全てがそうだとは言いませんが――『桃太郎』に生物学的な根拠を求めるような「批判」になっている場合があるのではないでしょうか。

 別の言い方をすれば、テンプレ小説がそもそも想定している読者と、実際にテンプレ小説を読む人々の間に、「テンプレ小説とはどのような文芸であるか」について理解のすれ違いがあるように思います。

 ひんのない言い方になりますが、あえて言えば、テンプレ小説はそもそもファンタジー小説やバトル漫画よりもR18同人誌や官能小説に近い意識で書かれているのではないか……


 そう考えると、色々なことに納得がいきます。

 筆者の前提がおかしかっただけで、どれをとっても別に変ではなかった訳です。


 仮にファンタジー小説やバトル漫画として読むなら、戦う理由も、戦う相手も、戦うとき駆使くしする力の正体も、力の限界も重要になってきます。

 ですが、そもそもR18同人誌だから、主人公がチートで無双することは最初から(タイトルの時点で)誰もが知っており、細かい理由付けはどうでもいい訳です。


 仮に人間ドラマや恋愛漫画として読むなら、登場人物たちがどういうちで、どういう人間になろうと努力してきたのか、何をきっかけとして主人公に興味を持つのか、各場面において主人公との距離感をどのように認識しているのか、どのような形で自分の気持ちに決着をつけようとするか、といったことが重要になってくるはずです。

 人が人を愛するということは、単なる言葉の交換や身体的な接触ではなく、そういう重みと質感をもった価値観や生き方を揺さぶる、人間同士の本気の関わり合いだからこそとうとい、というのが世間の一般的な恋愛観でしょう(それとも、筆者がロマンティストなだけでしょうか)。

 しかし、そもそも官能小説だから、主人公が女性に愛されていることは押しも押されもせぬ確定事項で、女性がどのような葛藤かっとうや苦悩をかかえるかということはどうでもいい訳です。


 なるほど。

 これ以上ないほどすっきりしました。

 要するに、テンプレ小説は私たちが労力をついやして読み込み、批判するほどの代物しろものではなかった――




 とはいうものの。

 話をここで終わらせる訳にはいきません。

 なぜなら、テンプレ小説は現実問題として、R18同人誌ではなく「異世界ファンタジー」として小説投稿サイトに君臨くんりんしているからです。


 テンプレ小説はR18同人誌でも官能小説でもなく、多くの場合、「異世界ファンタジー」を名乗っています。

 ファンタジーと言えば『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』! と思うとしてもそれは日本のヲタクや我々Web小説界隈かいわいだけで、一般的に言えば、ファンタジーは由緒ゆいしょ正しき児童文学です。

 児童文学であるからには青少年の健全な育成に寄与せねば……とはさすがに言いませんが、ひとつ言えるのは、歴史的な位置づけから考えれば、ファンタジーは主人公が神様からチートな能力をもらって無双して周りからチヤホヤされることを肯定的にえがいたり、女の子と温泉に出かけて混浴したりするようなジャンルではないということです。

 伝統あるファンタジーを愛して自分で小説まで書いているような人が(筆者もそのはしくれですが)、熱意ある文芸愛好者たちがつどうはずの小説投稿サイトで、いやしい欲望をはじとも思わない長文タイトルが巨大勢力として跋扈ばっこしている様子をたりにし、量産されるテンプレ小説の山に自分が情熱を注いで書いたファンタジー小説が埋没まいぼつする状況をいられたら、そりゃ当然、ショックを受け、幻滅し、嫌悪と反発を覚え、テンプレ小説へのバッシングに同調するでしょう。


 テンプレ小説は単にファンタジー小説やバトルものとしての要素が期待されるせいで批判を浴びているだけではなく、中身がR18同人誌なのにファンタジー小説やバトルものだと名乗って場を荒らすせいで批判されている、とも言える訳です。


 もしも小説投稿サイトの運営がジャンル分けを変えて、テンプレ小説が異世界ファンタジーではなく新設されるジャンルの方にせきを移してくれるのであれば、テンプレ小説に対する反発も少しは落ち着くんじゃないでしょうか――と思っていたら、実は「小説家になろう」ではすでにそうなっていたんですね。

 正確な理由はよく分かりませんが、最近になって「小説家になろう」では「ファンタジー」とは別に「異世界転生/転移」というジャンルがもうけられて、異世界転生系は原則としてそちらに移籍いせきさせることになったそうです。

 なろう作家の某氏によると、異世界転生系の作品が移籍しても読者はそれを追いかけず、「ファンタジー」分野にとどまったために、結果として異世界転生系ブームにかげりが出て、最近は追放系(ざまぁ系)が新たなブームとなっているとのこと。

 この方がおっしゃるには、追放系は「主人公が元々いた場所から追い出されて新天地で能力を開花させる」という骨組みが異世界転生/転移とよく似ている、つまり追放系はテンプレ小説から異世界転生という形式をのぞきながらもそのエッセンスを残したものと考えられるんだそうです。

 実を言えばこの方のWeb小説やYouTubeの動画を拝見すると(失礼ながら)普段から物事を厳密に考えるタイプという訳ではなさそうなので、話を鵜呑うのみにして良いかは迷いどころですが、一応の筋は通っていると思います。


 何にせよ、追放系も、チートやハーレムといったテンプレ要素を備えているという意味で、このエッセイで言う「テンプレ小説」に含まれると考えて問題なさそうです。

 異世界転生系が去った「ファンタジー」分野で追放系(ざまぁ系)が新たな流行になっていることから分かるのは、テンプレ小説の書き手さんたちは自分の作品をゲテモノではなく由緒正しき異世界ファンタジーだと言い続けるのだろう、ということです。

 単なるジャンル分けの問題にとどまらず、これらの書き手さんたちが自分の作品を「和製ファンタジー」の新しい形だと思っている可能性もゼロではありません。

 テンプレ小説を好んで読む方々からすれば、テンプレ小説にもそれぞれ個性があるとのことですし、テンプレ小説の書き手さんたちには「テンプレ」を書いているつもりがない可能性さえ残っています。

 もしそうだとすれば――仮に「テンプレ小説」もまた、他のタイプの小説たちと同じように、「ファンタジー」の名に恥じぬ作品を目指して書かれたものであるならば――、筆者としては喜ばしいことです。

 仮にそうだとすれば、「テンプレ小説」に対する建設的な批判の試みが決して無意義ではないことになります。




 長くなったので、今回はここで失礼します。

 前回もそうですが、今回も全然予告通りにいきませんでしたね(笑)

 今回、テンプレ小説を批判することには意味があるという話を済ませられたので(そのはずなので)、次回こそは……と思いますが、高らかに宣言しておいて予定がくずれるパターンになってばかりでは次回予告に説得力がなくなってしまうので、今回は自粛することにします。


 次回以降も根気強くお付き合いいただけると幸いです。

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