第二十三話 キャロレイン・ダイヤモンド
「ダイヤモンド様。お客様がお待ちです」
頭が痛くなるような姦しいお茶会から一週間後。
わたくしが寮にある自室で勉強をしていると、寮にいる使用人に呼ばれました。
わたくしに来客なんて珍しい。
友人と呼べる人は少ないですが、同じクラスならば使用人を介する必要は無いし、その他のクラスの人でもAクラスの寮にまでわざわざ来るような人はいません。
となると爵位の高い人間が多い寮に来るような大それた人物……心当たりがありますの。
ここ最近わたくしに付き纏うあの女。
伯爵令嬢のくせに馴れ馴れしく、お節介を焼く上級生。
どうしてか彼女が近くにいるとわたくしに嫌味を言ったり悪戯をしようとする人間が減りますの。
そういう人間の相手は苦手では無いけれど、いないに越したことはありませんの。
嫌い……かと言われればそうではありませんが、好きだとも思いませんの。本当ですわよ?
仕方ありませんのと思って来客対応用の部屋に入ります。
「アナタなんのようですの?」
「元気そうだねキャロ」
「お、義兄さま!?」
てっきりシルヴィア・クローバーがいると思って入室すると、そこには魔法学園にいるはずの無い人でした。
ダイヤモンド公爵家の現当主にして未だに独身なので令嬢達の注目の的であるニール義兄様。
「どうしてこちらに」
「仕事の関係でね。昔馴染みに会ってきたんだ」
義兄様の仕事は当主としての領地経営の他に、その優秀な魔法の腕と広い人脈を駆使して秘密裏に国から受けた事件の調査をしています。
本来であれば当主がそんな事をするのはあり得ないのですが、この義兄様は自ら望んで足を伸ばす変わり者でした。
独身なのはその辺りが関係しているのではありませんの?
彼がこの場にいるという事は引退した先代、養父が当主代理として仕事に追われているのでしょう。
昨年まではわたくしにその事を愚痴っていましたし。
「重要なお仕事なのでしょうけど程々にしてくださいまし」
「大丈夫大丈夫。父さんならあと十年はいけるさ」
こいつ反省する気ねぇですの。
わたくしは遠く離れた地にいる養父に黙祷を捧げた。
「そのついでにキャロの顔を見たくなってね」
「は、はぁ……」
わたくしとしてはあまり顔合わせをしたくありませんが、この義兄の行動力は強いので魔法学園にくれば会いに来ますわね。
公爵家に引き取られて義妹として関わるようになりましたが、この人が考えている事がよくわかりませんの。
人が良さそうな笑顔をいつも顔に張り付けていますが、それは仮面。
公爵として仕事をする時は実に合理的かつ冷酷な判断をなさいます。
シザース家の取り潰しの時も率先して解体に協力していましたし、その関係者と思わしき人物を次々に調べ上げで騎士団に引き渡していましたの。
誰も人を信じられなくなったわたくしに優しく接しているように見えますが、きっとそれはわたくしの能力が公爵家の力になるから。
わたくしが有能である限りは面倒を見てくれると思います。
「昔馴染みに会ってね、一緒にその場にいた女の子に注意されたんだよ」
「義兄様にそんな事を言うなんて怖いもの知らずですわね」
学園の理事クラスか同じ公爵家、それか王族でもないと無礼にあたりますの。
わたくしが強い方を相手に腕試しをしているのも公爵家の身分があって初めて成立する事です。上からの申し出には逆らえないでしょうから。
クローバー家のクラブなんかはその格好の的でしたの。
好き……という感覚は麻痺していますが、他の貴族達とは違って魔法の才能は飛び抜けていましたし、伯爵家の子息とは思えないくらい使命感にかられた目をしていました。
何をそんなに急いでいるかは知りませんでしたが、王子の側近にまで上り詰めたクラブが面白そうで興味が湧いたのは事実でしたの。
わたくしから婚約しないかと持ち出しましたが、嫌そうな顔をして断られました。何でも心に誓った相手がいると。
あれだけ優秀で美男子な殿方に好かれる人物は幸せ者だと思いましたわ。
今となってはどうでもいい事ですが。
「ねぇ、キャロ。僕が当主になった時に君に言った言葉を覚えているかい?」
「勿論。『僕が公爵になったから君は自由だ。好きにするといい』でしたの」
義兄様にもしもがあった場合の保険としての役割はあの時点で消えました。
養父母もお見合いや婚約についての話をわたくしにしなくなりましたし、使用人達の態度も以前より砕けたものになった。
用無し、邪魔な子、そんな言葉が脳内に出てきましたの。直接聞いてはいませんが、そう思われているのかと。
他の令嬢達からは嫌われていますしね。
「あれの意味を君に伝わっていないんじゃないかってね」
「意味も何もそのままではありませんの?」
わたくしがどうなってもいい。もう価値は無いのだからと。
「僕はキャロをかわいがっているよね」
「世間体もありますし、そういう事にしていますわね」
「入学祝いにも杖をプレゼントしたし」
「手切れ金代わりにですわよね」
「両親もお見合いについて何も言わなくなったし」
「義兄様が当主になったのでわたくしが必要なくなったからではありませんの?」
義兄様の問いに本心で答えると、何故か笑顔の仮面を痙攣らせて固まりました。
珍しい表情ですの。
「やっぱり伝わってなかったか……。あいつの言う通りに言葉が足りてなかったな」
小声で何かを言って溜め息を吐く義兄。
呟きは聞こえませんでしたが、何かを決心したような真面目な顔でわたくしの顔を見た。
「キャロ。僕はね、君を実の妹のように思っていたんだよ。キャロがどんな選択をして、どんな未来を歩むか心から楽しみに期待しているし、もしも困った事があれば全力でサポートする。そんな気持ちでずっと接してきたんだ」
自分で言って恥ずかしいのか、少し捲し立てるように早口になる義兄様。
わたくしはその言葉を聞いて思わず「は?」と口に出してしまった。
「知り合いには君がどれだけかわいいかを話したし、君が年甲斐もなくぬいぐるみを大事にしているからと自慢したり、プレゼントした杖も王族御用達の店でオーダーメイドして完成まで三年かけたり、君のかわいらしさに興奮したロクデナシの貴族を秘密裏に消したり……」
「ちょっと待てですの!!」
聞き捨てならない話が飛び出したというか、ぬいぐるみの件が他の令嬢に漏れたのはアナタのせいでしたの!?
あの、見た目が古臭いのに性能だけはいい杖に三年!?
王族御用達って、一体いくらお金がかかってますの!?
貴族を秘密裏にって……。
「そんな事聞いてませんの!」
「言ってないからね」
そこだけは普段通りの笑顔で言う義兄。
「あの、どうして言ってませんの?」
「兄妹だったら言わなくても心で通じるかな?って」
「冗談じゃありませんの!!わたくしとアナタは元々他人!それにわたくしは元平民。アナタは生まれつきの貴族で住む世界が違いますの!」
大きな声で喋るわたくしに驚く義兄。
わたくしもちょっと喉が痛くなってきましたが、ふつふつとした怒りが湧いてきました。
「そんなに怒らないでよ。かわいい顔が台無しだよ」
「テメェのせいですの!」
我慢できなくてわたくしは座る義兄の胸倉を掴んで揺すりました。
されるがままの彼は何故か笑っていて気持ち悪いですが。
「ははっ。キャロが初めて僕に怒ってくれた」
「反省してやがりますの!?」
完全にいつもの調子を取り戻した義兄はわたくしの背中に素早く手を回すと、そのまま抱き寄せました。
身長差もあって、わたくしはすっぽりと義兄の胸元に収まります。
「何しやがるんですの!」
「キャロはかわいい。キャロが好きだよ。こんなにもキャロを思っているのに伝わっていなかったなんて。キャロは僕の自慢の妹さ。血の繋がりなんてどうでもいい、キャロはキャロのままでいて欲しい」
耳元で甘ったるい声で囁く
言葉を聞いていると完全にヤベー奴なのですが、身体強化の魔法でも使っているのか身動きが取れませんの。
今まで手を繋いだり、頭を撫でたり、そういったスキンシップはしてこなかったのにこの仕打ち。
わたくしの体に鳥肌が立ちますの。
体は成人した男性でがっしりしていますし、魔法無しでもわたくしじゃ敵わない腕力。
ーーーあんたなんて産むんじゃなかった!
男性と触れ合っていると自覚した瞬間、いつかの記憶がフラッシュバックする。
そういえば、わたくしはあの頃、クローゼットの中で……。
「嫌っ!」
「っ!?」
それまでもがいていたわたくしの口から強い拒絶の声がしたせいで驚いたのか、義兄の腕の力が弱まったので何とか脱出します。
「キャロ、」
「……申し訳ございませんの。ただちょっと……」
頭では理解しましたの。
この義兄は行き過ぎた所はあるけど、本当にわたくしをかわいがってくれていた事に。
言葉足らずとかそんなものじゃないでしょ!という不満はありますけど。
ただ、体は受け入れてくれません。
抱き締められた体は震えますし、胃から酸っぱいものがこみ上げます。
愛情のはずなのに嫌悪を感じる。
思われていた事は嬉しいはずなのにこれは現実じゃないと拒否する自分が何処かにいる。
「……無理しないでね。とりあえず僕が言いたかった事は言えたから。何かあれば僕はいつでも君の味方だよ」
「ありがとうございます義兄様」
勇気を出して思いの内を告白してくれた誇れる義兄を、わたくしは青白い顔で見送る事しか出来なかった。
「今日は吾輩が授業を担当する」
急な義兄様の訪問の翌日。
一晩寝れば身体は元の調子を取り戻しましたが、精神は自己嫌悪でいっぱいですの。
わたくしは義兄様になんて事を……。
普通ならばあの場面でお互いに和解し合い、仲良くなるのでしょうが最悪な展開になってしまいましたの。
「次の生徒は前へ」
あぁ、自分が憎いですわ。
他人からの好意に拒絶から入ってしまう。
自分は愛されておらず、この魔力があるから必要とされている道具だと。
例え愛されていると言われても疑ってしまう。
『お前は侯爵家の道具だ』
『娼婦の子だなんて妹と認めませんわ』
『父親に捨てられたくせに』
『悪人の娘だなんて嫌ね』
「キャロレイン・ダイヤモンド。早く前に出なさい」
「は、はいですの」
考えが卑屈になっていき、授業に集中できていなかった。
今日は理事の一人であるジェリコ・ヴラド様が直々に魔法の授業をされている。
昨年の事件を受けての対応との事ですが、闇魔法を使える人物が少ないのでこうして理事自らが担当されていますの。
その話があった時に数名がわたくしの方を見て何かを話していましたが、想像はつきます。
学園どころか国を巻き込んだ事件の黒幕にはシザース侯爵家がいた。
その娘が一人この場にいる。
「吾輩の使う闇魔法を受け、そして耐える。それだけだ」
「わかっていますの。わたくしは負けませんわ」
そんな事を気にしていたら前を向けない。
わたくしは誓ったのだ。
あの少女のように強くなると。
誰よりも強くなって、わたくしの実力で全てを黙らせ、ベヨネッタよりも強く優秀であり、ダイヤモンド家の中でも歴代最強として語り継がれるために。わたくしの力を認めさせるために。
「では……ふんっ!」
闇の魔法がヴラド様の杖から解き放たれる。
その魔法の姿はわたくしには見えませんが、君の悪い何かがわたくしの身を包んでいるのは感じます。
既に数人の生徒が地面に倒れていますが、わたくしはそうはなりません。
この授業も合格して学年一位として進級するんですの。
それに、あのシルヴィア・クローバーはこの授業を受けて逆にヴラド様に勝ったというじゃありませんか。
わたくしだって、あの女には負けていられませんの。
次に戦うときは必ず勝ってみせますの!
『キャロキャロキャロキャロキャロキャロキャロ』
『そんな貧相な体じゃ組み伏せられたら抵抗できないなぁ』
『貧しい平民は体つきも貧しいわね。一生殿方に愛してもらえないように傷つけてあげるわ』
「ひぐっ………あ、ああああああっ!!」
抵抗しようとした瞬間、存在する記憶と存在しない幻想がわたくしを支配する。
体に絡みつく男性の手。身動きの取れないわたくしの腹を撫でるベヨネッタの指。
ここの中に仕舞い込んでいたトラウマの数々が一気に溢れ出てわたくしを飲み込む。
ーーー絶望。
ーーー失望。
ーーー希望なんてない。
わたくしの意識は抵抗虚しく闇の底へ。
そこがお前に相応しいと呼ぶ声がした。
「この娘の身柄は吾輩が預かる。授業はこれで中止だ」
そう言ってヴラドは他の生徒と違う錯乱を起こして倒れた少女を抱き抱えた。
残された生徒達は学園の保健室で診察をするが、少女だけは重度の精神汚染があると別の場所へ運び込まれた。
薄暗い部屋の中、顔を深く隠した人物がヴラドの到着を待っていた。
「おかえりなさいヴラド様」
「貴様、こうなると予測していたな」
「えぇ、それくらいは。でもおかげで次の段階へ進めます」
ベッドの上に寝かされた少女の顔は苦悶に満ちており、時折「助けて…助けて……」と呟く。
この場には少女の敵しかいないのに誰に助けを求めているのか。
「早くしないと盗っ人に先を越されますから」
「……その為に必要な犠牲か」
「もしかして憐んでいらっしゃいます?心配ご無用ですよ」
うなされている少女に手を伸ばし、怪しげな人物は闇の魔法を発動させる。
「だってコレは死んでもいい人間ですから」
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