第221話 結界の穴と魔封じの装身具

 クリムゾンの機転によって、付いてくるシュリの抜け殻2号をその場に釘付けにすることに成功した一行は、その後何事もなく順調に誘拐グループのアジトに向かって歩みを進め、下水道の終着点へと到着していた。すなわち下水処理場である。

 確認になるが、人間国家の領地には通過する者を探知する結界が都市全体を覆う形で張られており、本来は関所以外からの不法な入出国が検出される仕組みになっている。しかし誘拐グループには、結界の管理運用を担う政府の技術局高官が手を貸しているため、密入出国するための経路がいくつか確保されているのである。下水処理場はその一つであるが、魔動機技術の向上により定期メンテナンスを除けばほぼ無人で運用されていることと、技術局の管轄であること、さらには港湾周辺施設の廃水を処理する関係上、国境沿いに建てられている立地等、結界に綻びを生じさせても発見される可能性が極めて低い条件が揃っているので、誘拐犯達にとってはこの上なく都合がいい施設なのである。

 余談だが、シュリの抜け殻2号が下水道を遡上してきた際に結界に引っかからなかったのは、下水処理場の結界の一部が意図的に無力化されていたためである。


「俺が先に行くからちょっと待っててくれ。」

 兄貴分の男はそう言うと痩せ男にランタンを手渡し、下水処理場敷地内のマンホールに繋がる猿梯子を上った。そしてゆっくりとマンホールの蓋を開くと、無人であるはずの施設内を念のため見回し、人の気配がないことを確認した後地上に出た。

「よし、上ってきていいぞ。」

「えっと、それじゃお嬢ちゃん、先に行ってくれるかな?」

 痩せ男はマンホールから顔を覗かせた兄貴分に手ぶりで返事をすると、続けてクリムゾンに向き直り、妙にうやうやしく声をかけた。

「わかった。」

 クリムゾンはそう言うと、下水道に降りた時と同様に重力を無視した奇妙な挙動で浮遊して地上へと出て行った。

「おお・・・」

 男がクリムゾンの不可思議な浮遊現象を目の当たりにするのは二度目となるが、その明らかな異常性を改めて実感した。巨大な怪物を軽くあしらって見せた少女の対応から、彼は彼女がとんでもない怪物であるという疑惑を確信に変えていたのだが、そんな少女がどういうわけか言われるがままに大人しく付いてきているので、彼女を御しきれると判断している兄貴分に誘拐の取りやめを進言するには今一つ決め手を欠いているのだった。

 男は少女への畏怖の念を一旦胸にしまい、気を取り直して後方を確認した。一応誰かに付けられていないか、また先ほどの巨大海老が追ってきていないか確かめたのである。1人取り残された下水道には流水の反響音だけが静かに響いており、また見える範囲に異常は見当たらなかったため、男はランタンの明かりを消して2人の後に続いた。


 地上に出た3人は再び兄貴分の男を先頭に無人の処理場内を進み、施設の端っこ、国境沿いの簡素な柵のところまでやってきた。先述の通り結界には一部穴が開いており、通り抜ける事ができるのだ。男達は柵の周囲を調べ、結界の穴の目印として地面に打ち込まれた2本の魔石の杭の位置を確認すると、1人突っ立っていたクリムゾンの元に戻ってきた。

「さてと、お嬢ちゃんIDカードを貸してもらっていいかな?」

 兄貴分の男は頬を掻きながら唐突に切り出した。

「うん、いいよ。」

 クリムゾンは特に警戒もせず、言われるがままに腕輪型のIDカードを外して男に手渡した。

「あとで返すからしばらく預かっててもいいかい?」

 男は腕輪を受け取ると続けて聞いた。

「いいよ。」

 クリムゾンはやはり無警戒に即座に答えた。


 IDカードとは身分証であり、同時に銀行口座と紐づけられて金銭授受にも使用する重要な物なので、身に着けて決して手放さない様にと、人間の場合は子供でも常識として教え込まれている。しかし亜人種の子供はそれほど人間社会のリテラシーに詳しくない場合が多いので、男はクリムゾンを唆してIDカードを奪おうと企てたのだ。案の定クリムゾンはIDカードの重要性をいまいち理解していなかったし、そもそも彼女にとっては事実として然程重要な物ではなかったため、平気で男に手渡してしまったのである。


 少女の了承を得た男は、腰に下げたポーチから黒い小箱を取り出すと、蓋を開いて受け取った腕輪を中にしまい、再びポーチに戻した。

「これでよし、と。代わりってわけじゃないけどこいつを付けてもらえるかな?」

 男は同じくポーチから今度は別の腕輪を取り出し、少女に差し出した。

「うん?まぁ、別にいいよ。」

 クリムゾンは腕輪を見た瞬間、それが魔法効果の込められた魔道具の類であると気づいていたが、あまり深く考えずに受け取りそのまま装着した。

「よし。それじゃあ出発しよう。」

 男は少女が腕輪をしっかりと装着した事を確認してから、再度結界の穴の目印である杭を確認し、国境を示す柵を越えて結界の外へとゆっくりと慎重に抜け出した。それに倣ってクリムゾンともう1人の誘拐犯の男も柵を越え、再び3人で列になると数百メートルほど先にある森を目指して歩み始めた。


 さて、誘拐犯がクリムゾンに装着させた腕輪であるが、その正体は『魔封じの腕輪』と彼らが呼称している魔道具である。装着者は魔法の行使ができなくなると言う、名前の通りの呪具であるが、その本来の性質は遠隔通信系の魔法を阻害するジャミング効果である。

 以前にも話したが、人間にとっての魔法とは、精霊と予め契約を結び、詠唱と共に魔力を捧げる事で魔法を代行発動してもらう『精霊魔法』なのだが、精霊に呼びかける詠唱とは要するに通信系魔法であるため、精霊にその声が届かなければ魔法が発動できなくなるのだ。それゆえ魔封じの腕輪は精霊魔法を封じる事ができるのである。

 ところでドラゴンや魔族、エルフと言った魔法が得意な種族は、単独で自発的に魔法を発動できるため、精霊魔法は使っていない。要するに魔封じの腕輪にクリムゾンの魔法を封じる効果はないのであるが、その辺の細かな仕様は使用者である誘拐犯達も、魔道具の製造者ではないためあまり詳しく理解していないのである。

 まんまとクリムゾンの魔法を封じ込めたと思い込んでいる彼らの未来は暗い。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る