第219話 粘菌生物ブロブとシュリの抜け殻

 突如現れた謎の巨大軟体生物の襲撃を受けたクリムゾンと誘拐犯2人の一行だったが、クリムゾンが隠していた魔力の一部を解放して威嚇し、怪物の戦意を削ぐことで撃退に成功したのだった。


「ところでお嬢ちゃん、あいつがなんなのか分かるのかい?最初にあれが現れた時、特に驚いていなかった様に見えたが。」

 兄貴分の男は壁際に張り付いてプルプルと震える怪物を親指でさしながら聞いた。

 クリムゾンは男に促されるままに、すでに興味を失っていた怪物に再び視線を送り、改めてその特徴を観察しながら答えた。

「あれはたぶんブロブだね。あんまり水辺では見ないし、ぼくが知ってる物に比べて妙に大きいし、こんなに素早く動けなかった気がするけど、変異種なのかな?」

「ブロブって言うと、森なんかに棲んでる肉食アメーバみたいな奴か。」

 男は恐る恐る怪物に近づくとランタンで照らしながら観察し、ゆっくりと体表面が流動している様を目視で確認してからさらに続けた。

「なるほど、言われてみればそれっぽいが、それにしたってでかいにも程があるだろ。俺が知る限りだとせいぜい地面を這いまわる動くカビみたいなもんで、ましてやザバザバと水上を移動する様なもんじゃないはずだが・・・」

 男が提示した疑問を受けたクリムゾンは、怪物の正体を探るために近寄ると、蠢く体表面に手を置き魔力波を打ち込み、反響する魔力を観測して内部構造の解析を行った。それは以前クリムが奇妙に膨らんだクリムゾンの腹部を調べるために行ったのと同様の技術であるが、要するに超音波エコー検査の魔力版である。

「何してるんだお嬢ちゃん?」

 一般的な人間である男は魔力感知能力が鈍く少女の放った魔力波に気づいていなかったので、急に怪物を撫で始めた少女の行動の意味が分からず質問した。

「こいつの中がどうなってるか調べてるんだよ。」

「すごいなお嬢ちゃん、触っただけでそんなことが分かるのか。」

「うん?まぁそうだね。」

 クリムゾンにとっては魔力波による構造解析など、ちょっと臭いを嗅ぐ程度の感覚でしかないので、男が何に感心しているのかよく分かっていなかったが、適当に受け流して相槌を打つのだった。

 間もなくして解析は終わり、少女は怪物から手を離し解析結果を述べ始めた。

「表面のぶよぶよはブロブで間違いないみたいだけど、中に何か別の生き物?がいるね。」

「ほう別の生き物か。ドブネズミでも捕まえたんじゃないか?下水道だしな。」

 男が推測を提示すると少女は首を横に振り、さらに続けた。

「少なくともネズミじゃないね。なんかでかい海老っぽいものだけど。まぁ口で説明するより見た方が早いかな。」

 そう言うと少女は再び怪物に手のひらをかざした。

「海老?見た方が早いって何をする気・・・」

 男が聞き返すのを待たずに、少女は先ほどよりも魔力を多めに解放して怪物を威嚇した。すると、怪物の表皮は総毛だつように波打ち、少女の手のひらを中心としてパックリと割れて剥がれ落ち、中からは巨大な海老が姿を現したのだった。

「うおっ!なんだこりゃ!?」

 男は怪物の中から現れた別の怪物に驚き飛び退いたが、一方の巨大海老はわずかに触角を揺らす程度で、ほとんど動く様子はなかった。

「なんだろうね?生きてるみたいだけど、なかみが無いみたいだし。なんかぼくの魔力で動いてるっぽいし。それになんだか見覚えがある様な、ない様な。」

 少女はブロブが剥がれて露わとなった巨大海老を目視で観察し、どことなく既視感を覚えたものの、どこで見たのか思い出せず首を傾げるのだった。


 さて、巨大海老の正体は、昨日シュリが脱皮した際に発生した抜け殻であり、クリムゾンは港町シリカの砂浜でそれと対面していたのだが、彼女が見た物はそれこそ中身のない空っぽの甲殻だけであったし、そもそも今回の旅を始める以前のクリムゾンは、戦いに関すること以外にほとんど興味が無かったので、周囲の状況など碌に観察しておらず、朧げに見覚えがある程度の認識しかできなかったのである。


◆◆◆用語解説(特に読まなくても以下略)◆◆◆

1.ブロブ

 別名モジホコリ。比較的涼しい森林等、主に湿潤で有機物の多い環境に棲む粘菌生物。微小な単細胞生物がが無数に集合してアメーバ状に連なり、まるで一体の生命体の様に活動する変形菌。似たような例を挙げると、珊瑚は小さな個体が集合して珊瑚礁を形成しているが、ブロブの場合はただ集まるだけでなく合体したまま集団で移動するので、より動的になった感じである。

 単細胞生物の集合体であるため千切られても再度合体して元に戻ることができるし、分離して複数集団となり別行動することもできる。また一部の個体が得た情報を合体した集合群全体に共有する機能を有しており、単細胞生物でありながら優れた学習能力を持つ。分離した別動隊が再集結して合体した際には、互いの集めた情報が共有されるので、得られる情報量が倍増して学習効率が高くなる。


 ちなみに作中のブロブは遥か太古に存在した錬金術師によって、恣意的な学習が成されており、有機物分解吸収能力が強化された、野生個体とは性質の異なる特殊個体である。また錬金術による遺伝子操作も同時に施されて、人工的な特性付与が成された、いわゆる錬金生物でもある。

 具体的にどのような特性が与えられているかというと、まず一つ目は野生個体のブロブと結合した際に自壊する特性である。自然界に本来存在しない錬金生物が流出した際、野生個体の遺伝子汚染を防ぐ目的で付与された特性である。二つ目の特性は細胞膜が塩分濃度の変化に弱く、浸透圧の調整が極端に苦手な特性である。要するに塩水で簡単に殺せる様になっており、誤って海洋に流出した際に自然と死滅する様な特性である。両特性に共通するが、遺伝子改造した特殊個体は、生態系や自然環境に破滅的な影響を与える恐れがあるため、そう言った被害を出さないための配慮である。

 他にも単細胞単位の寿命延伸や、繁殖力の増強、運動機能の強化も成されているが、そちらの特性は使用上の利便性を向上させる目的で付与された特性である。


2.シュリの抜け殻(2号)

 クリムが人間社会の様子を探るために最初に立ち寄った港町シリカで、当時まだ巨大海老だったシュリが人型に変態するために脱皮し、その際に発生した方の抜け殻。ちなみにシュリはシリカの沖で深海鮫のマナゾーにハサミを一本捥がれ、その後ハサミを再生するために一度脱皮しているので、人型化するための脱皮は二度目の脱皮である。

 シュリの抜け殻は肉体を再構成するために古い表皮組織を脱ぎ捨てたものであるが、その細胞はすぐには死なず数日程度は生きているため、脱皮の翌日にシリカを訪れたクリムゾンの魔力の影響を受けて活性化し、内臓や脳と言った重要器官を含めて脱皮前の状態がほぼ完全に復元されている。かねてより幾度となく説明しており繰り返しになるが、クリムゾンの魔力には生物を活性化し、生命力を高める作用がある。

 巨大な肉体を復元するのに時間がかかっていた抜け殻は、クリムゾン達がシリカに居る間は身動きが取れない状態だったが、彼女達が船でシリカを発った後、全身の復元が完了し、クリムゾンの魔力の残滓を追って海を渡り、ヤパ共和国まで追い付いてきたのである。先述の通り魂が無いため、抜け殻は意識のない空っぽの肉体であるが、体内に残留したクリムゾンの魔力によって反射的な生体反応で活動している。しかし魂のない肉体は自ら魔力を生成することができないので、いずれは魔力切れで生体活動が維持できなくなる、肉体的な死が差し迫った状態である。それゆえに抜け殻は、肉体を生かそうとする生存本能によって、クリムゾンの魔力を求めて追いかける走性を持っているのだ。

 一応補足しておくと、走性とは生物が外部刺激に対して向かっていく、あるいは離れていく習性の事である。想像しやすい例としては、夜間に街灯の光に誘われて虫が集まっているのが正の光の走性である。なお光の場合はもっぱら走光性と呼ばれる。


3.抜け殻がブロブを纏っていた理由

 抜け殻は上述の通りクリムゾンの魔力を頼りにヤパ共和国まで追いかけてきたのだが、クリムゾンが船を降り陸に上がったところで魔力を追跡できなくなり、港で立ち往生していた。しかし昨晩クリムゾンが入浴したお湯が下水道を通って海へと流出したことで、港でじっとしていた抜け殻は残り湯に残留していた魔力を感じ取り、その流出元を辿って下水道を遡上していたのである。

 下水道の出口である海から遡上してきた抜け殻は、下水処理場を通過しており、その際に下水濾過設備の有機物除去処理に利用されているブロブの繁殖層を通ったので、一部のブロブが抜け殻に纏わりついて一緒に下水道を遡上してきてしまったのだ。ブロブはゆっくりと触腕を伸ばすことで少しずつ移動する能力を持っているが、群集団全体がすばやく移動することができないので、下水を遡って動き続ける抜け殻から離脱できずに、纏わりついたままの状態でクリムゾン達と邂逅したのだ。

◆◆◆終わり◆◆◆

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