第190話 邪龍ファーヴニルと黄金の指輪 ~中編~

 夜食を食べ始めて少し落ち着いてきたところで、満腹のサテラが暇そうにしている事に気づいたクリムは、浴場での会話では尻切れトンボになっていたファーヴニルに関する話を再開することにしたのだった。

「さてと、ファーヴニルと呪いの指輪についての話が途中だったので、続きを話しましょうか。ドワーフの特徴を説明していて話が逸れましたが、とあるドワーフがファーヴニルに変身した事件について話している途中でしたね。」

「そういえばそんな話だったっすね。」

 シュリはバクバクと勢いよく食べながら応えた。彼女は脱皮以降、集中力の持続時間が向上しており、簡単に気を逸らすことは無くなっていたが、やはり頭で考えるのは苦手なままだったし、食事に気を取られている状態では気もそぞろなのだった。

「ファーヴニルについての話は、どちらかと言えばサテラに知っておいてもらいたいことなので、あなたは食事に集中して、話はなんとなく聞いておいてくれればいいですよ。」

「わかったっす。」

 シュリはクリムに言われた通り食事を再開した。

 一方サテラはと言うと、クリムとシュリの会話には途中参加したような形であったため、一歩引いた位置から黙って話を聞いていたので、急に名指しされて驚いていた。しかし、元よりクリムがファーヴニルの話を始めたのは、龍の巫女としての実感が湧かないというサテラに、悪龍の実例を示してやる気を出させる目的があったので、むしろシュリに色々と基礎的な知識を教えていたのは、そのついでだったのだ。

「と言うわけなので、続きから話しますよサテラ。」

「はい、お願いします。」

 浴場では少し遠慮がちに、口を出さずに話を聞いていたサテラだったが、クリムの話が自身に向けられたものであるとようやく気付いたので、背筋を伸ばしてクリムに正対し、本腰を入れて聞く姿勢を取るのだった。

 その様子を確認したクリムは、いったん食事の手を止めて改めて語り始めた。

「ドワーフ夫妻の一件はエコールが最後にファーヴニルと対峙した依頼であり、また指輪の異常性を特定して確保した時の話でもありますが、まずは事件のあらましを話しておきましょう。ことの発端は件のドワーフの男が、彼が住む鉱山都市に訪れた旅の行商人と取引したことでした。そのドワーフは炭鉱夫兼鍛冶職人でして、取引というのはもちろん彼が作った武器防具類の買い付けだったのですが、行商人の手持ち資金不足によって価格交渉が発生し、不足分は行商人がその時運んでいた商品の中から現物で補填するという流れになったのです。」

「なるほど。現金で取引を行っていた時代の話ですものね。キャッシュレス決済が主流の現在だとちょっと想像しがたいですけど、物々交換みたいなこともまだしていたんですね。」

 クリムの思惑とは関係ない部分であったが、サテラは今は失われた過去の文化に感心していた。ところでサテラが住む親龍王国ではIDカードが普及しておらず、未だ現金による取引が主流であるのだが、王国での彼女は王女であり自らの手で買い物をする機会が皆無であったため、現金を手にしたことすらないのだった。

「かさばる現金を持ち歩く必要が無いですし、IDカードは個人認証機能付きなので窃盗に遭う心配もまずないと・・・身分証明証のおまけ程度に考えていましたけど、思った以上に利便性が高いですね。」

 サテラの反応を受けたクリムは自身の腕に装着された腕輪を見つめて言った。

「それはさておき、あなたも察していると思いますが、その物々交換でドワーフが選んだ商品の中には呪われた黄金の指輪が紛れ込んでいたのです。そして指輪を手に入れた彼は呪いの影響を受けて財宝を買い集める様になり、風呂場で話した通りなので過程は省きますが、呪いが進行すると他者から財宝を奪う様になっていきました。ところで彼の仕事場でもある鉱山には、ドワーフ族と友好関係にあるノームが住んでいまして、ノーム達は掘り出した宝石類を加工して貯め込む特性を持っていることはあなたも知っていると思います。」

 クリムが問いかけるとサテラは無言で頷いたので、クリムはさらに続けた。

「ノーム達は他種族との金銭的な取引をほとんどしないので、多くの場合貯め込まれた宝石類は相当な量になっているのですが、呪いによって精神に異常をきたしていた彼は、その隠し財宝に目を付けて根こそぎ奪い取ってしまったのです。先述の通り指輪の呪いは貯め込んだ財宝の量が増える程強くなっていくので、ノーム達の大量の財宝を手に入れた彼の呪いは一気に増大して、あっという間にファーヴニルへと変貌を遂げてしまったのです。ノームと仲が良いドワーフだからこそ鉱山の奥深くに隠されたノームの財宝の在り処を知っていたわけですが、彼らの種族間で長い時を掛けて築かれた信頼関係が、邪悪な呪いの前ではかえって仇となった形ですね。通常であれば身体的に強いドワーフは非力なノームを守る役割を担っていて、ノーム側は大精霊の魔法の力をはじめとして、ドワーフ達の仕事を手伝ったりと様々な恩恵を与える事で対等な共生関係を保っているので、ドワーフがその様な凶行に及ぶことは考えられないのですけどね。これは呪いの効力が一度働いてしまうと、当人にはどうやっても抗いがたい代物である証左と言えますね。」

 クリムはドワーフが邪龍に変身するまでの経緯を話すと一旦話をまとめた。

「ドワーフの持つ生活環境が、指輪の呪いを貯め込む特性と不幸にも合致してしまったんですね。・・・そういえば行商人の方は呪いの指輪を持っていて平気だったのでしょうか?」

 サテラはクリムの説明を咀嚼して彼女なりに整理していたが、最初に登場した行商人が呪いを受けていなかった様子に疑問を抱いたのだ。

「私が知っている内容はドワーフ夫妻から事件後に聞いた話なので、行商人の方に関しては詳しいことは分かりませんが、商人である彼は財宝を投機対象としか考えておらず、集めて楽しむと言った蒐集癖はおそらく無かったのでしょうね。指輪の呪いは財宝集めが好きな者にしか効果が無いのは先に言った通りですから、呪いの対象外だったのだと思います。ちなみに呪いの効果はこの時変身したファーヴニル本人から聞き出した話なので間違いないはずです。」

「なるほど。」

 サテラは邪龍から事情聴取するエコールの姿を思い浮かべて、どういう状況でそうなったのかと疑問に感じたが、クリムの推測には納得したのでひとまず頷いて応えたのだった。


 しばしの沈黙ののち、サテラはいくつか疑問点が浮かんだので改めてクリムに質問することにした。

「クリムさんはファーヴニル本人から話を聞いたとおっしゃっていましたし、ファーヴニルはすべて同一個体で記憶を引き継いでいると言う話もしていましたよね?」

「そうですね。」

「では指輪の装着者の、今回の場合はドワーフの男の人になりますけど、彼の人格というか精神は邪龍には反映されていないのですか?それと指輪の呪いで変身するというのがよくわからないのですが、具体的にはどういった形で変身するのでしょうか?」

 サテラがまとめて質問したため、クリムは少し考えをまとめてから答えた。

「まず指輪の呪いによる変身について話しますね。より多くの財宝を貯め込んでいくと呪いが強化されて精神に異常をきたすのは先に言った通りですが、捻じ曲がった精神は装着者の魔力をも変質させます。そして変質した魔力は肉体にまで影響を及ぼすようになり、最後には邪龍ファーヴニルに変身してしまうのです。精神と魔力の関係、そして魔力が肉体に及ぼす影響はあなたも知っていると思いますが、わかりやすい例で言うと、筋力トレーニングがよく挙げられますね。目標を掲げてひた向きに努力した場合と、特に何も考えずトレーニングした場合だと、まったく同じ負荷をかけても前者の方が明らかに肉体の仕上がりがよくなると言った話です。もっとわかりやすい実例で言えば、クリムゾンやセイランが龍人ドラゴニュート形態に変身しているのも魔力による肉体変化という点では同じですね。」

「そう言われてみればそうですね。」

 筋トレの話から急に邪龍への変身に話が飛躍したため納得しがたい思いを抱いたサテラだったが、彼女も多くの実例を知っているドラゴンの変身と、呪いによる変身が同じものであると言われれば納得せざるを得ないのだった。

 クリムは続けて2つ目の質問に答えた。

「次に指輪の装着者の精神がどうなるのかという件についてですが、結論から言うと邪龍に変身した時点で元々の人格は失われてしまいますね。正確には元々の人格は意識の深層へと追いやられてしまい、呪いと共に指輪に封じられていたファーヴニルの意識が表層に現れるだけなので、元の精神が消えてなくなるわけではないですが、こうなると最早心身ともに邪龍そのものだと言えますね。」

「はぇー、なんかおっかない呪いっすね。邪龍になったら元には戻れないんすか?」

 クリムに言われるがままに、食事をしながらなんとなく話を聞いていたシュリが、言葉とは裏腹に特に怖がる様子もなく軽い口ぶりで尋ねた。

「いえ、指輪の魔力を浄化して呪いを弱めれば元の姿に戻れますよ。浄化魔法を扱えるのは高位のドラゴンと龍の巫女、後はエルフや魔族と言った極めて魔法が得意な種族に限られますから、なかなか難しいところですけどね。他のドラゴンから見たファーヴニルは、せいぜい財宝を集めて守るだけの存在で、その力もせいぜい成龍エルダードラゴン相当ですから脅威とはなり得ませんし、縄張りを侵害されでもしない限りはあえて討伐に乗り出す理由はありません。またエルフや魔族は他種族との交流が薄い上、あまり金銭に興味を示さないので、自らの強欲さのために破滅しようとしている者を助ける義理はありませんからね。」

「エコールが何度もファーヴニルと対峙したのは、他の対処可能な者達が邪龍に興味を示さなかったせいなんですね。」

 サテラは確認する様にクリムに問いかけた。

「そう言うことですね。ところで、前回ファーヴニルが現れた際に、呪いの指輪は回収されましたか?」

 クリムは逆にサテラに聞き返した。

「いえ、前回の記録を見た限りだと、ファーヴニルを浄化して変身していた人物を解放したという記述しかありませんでしたね。指輪に関する話は私も今初めて聞きましたし、当時の龍の巫女も恐らく知らなかったのではないかと思います。」

 クリムはサテラの答えを予期していた様子で静かに頷くと言葉を続けた。

「そうでしょうね。エコールの日誌は旅の道中で備忘録程度に書いていたものですから、事件の詳細まで書き込んではいませんでしたし、グラニアには事件の顛末を話してあったと思いますが、グラニアにとっては成龍エルダードラゴン程度の邪龍が起こす、ちょっとしたいざこざは大した問題ではないですから、後継の龍の巫女達にあえて話すこともないでしょう。」

 クリムは自分に言い聞かせるようにそう言うと、今度はサテラの目を見て真剣な口調で語り掛けた。

「呪いの指輪が回収されていない以上、近い将来ファーヴニルが再び現れるでしょう。もしくは既に出現していて、どこかに潜んで財宝集めに勤しんでいるかもしれません。邪龍はその性質上、少なからず周囲の者に迷惑をかけているはずですから、そのうち討伐依頼が出される事でしょう。そうなれば当代の龍の巫女であるあなた以外には解決できないはずですから、私が言うまでもないでしょうけど、その時はよろしくお願いしますね。」

「わかりました。」

 サテラは急に真面目な様子になったクリムの言葉を真摯に受け止め、自分にしかできない事があるのだと気づくと、少しだけ龍の巫女としての責任を実感するのだった。

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