第157話 代行魔法(契約魔法)と自発魔法(通常魔法)

 アクアと2人の格闘家コンビとの交流試合は、立会人を務めていたクリムの介入によって、いわば水入りとなって幕を閉じた。とは言え、アクアの放ったカウンター攻撃・焔反ほむらがえしが決まっていれば、格闘家達2人はともに絶命を免れなかったので、その事実を十分理解していた彼らはクリムの独断による決着に納得していた。

 一方アクアはクリムに背後から抱きかかえられ、両腕に炎を纏ったままで宙ぶらりんになっていた。

「おおー。お姉ちゃんどうしたの?」

 アクアは宙づりのまま足をぶらつかせて、頭上のクリムに問いかけた。

 ようやくやる気になった所に横槍を入れられ、真剣勝負を邪魔されたわけなので、妹が怒るのではないかと危惧していたクリムだったが、当のアクアは思いのほか気にしていない様子だった。クリムは機嫌を損ねたであろう妹をなだめるつもりでいたが、特に怒っていないのであれば話が早いと対応を切り替えた。

「どうしたの?じゃないですよアクア。やり過ぎちゃダメだって言ったでしょ?」

 クリムは諭すように静かに語りかけた。

「えー?周りの物を壊す様な技は使ってないよ?」

 アクアは悪びれずに答えた。その言葉に嘘はなく、アクアはクリムに言われた通り周囲を破壊しない程度の技を選んだ上で、手加減して使用していたのだ。ただ、人間に関する知識が不足しているアクアは、人間がどの程度の負荷までなら耐えられるのかよくわかっていなかったので、力加減の度合いが少々雑だったのだ。さらに補足すると、アクアは少しずつ段階的に力を解放して、相手の対応力を測っていたのだが、格闘家達が想定以上に強かったことで、思わず気分が乗って威力調整を見誤り、致死性の攻撃を放ってしまったのだが、それはまったく悪気のない行為であり、不幸な事故だったと言えるだろう。

 妹の返答からその辺の事情をおおよそ把握したクリムは、ひとまず犠牲者は出ていないし、たとえ死人が出たとしても彼女達の力を持ってすれば容易に蘇生可能であることも鑑みて、悪気のない妹を叱ってもしょうがないと思いなおしたのだった。

「なるほど。人間がどの程度の力を持っているのか教えていなかった、私の落ち度でもありますね。アクアのお眼鏡にかなうレベルの人間はそうそうないでしょうけど、人間はドラゴンの様に簡単に怪我が治らないですし、大きな損傷を受ければ簡単に死んでしまうので、ちゃんと手加減しないとだめですよ?」

「はーい。」

 クリムの割と真面目な注意に対し、アクアは間延びした軽い返事をした。ある程度人間の思考や感性を理解できるクリムとは違って、完全にドラゴンとしての感性しか持ち合わせていないアクアは、肉体的な死が人間にとってどれほど重大な事案であるのか、いまいち実感できていないのだ。


 姉妹がのんびりと会話している一方で、レツとゴウの2人はというと、アクアとの死闘において彼らの長い格闘家人生においても経験したことのない、限界を超えた全力の奥義を放ったことと、自力では避ける事の出来ない絶対的な死の危機に直面したことから、しばし極度の緊張状態と疲労感に襲われていた。しかし古武術に伝わる呼吸法によって心身を落ち着かせて、数分もしないうちにすっかり試合前のコンディションにまで回復を果たしていた。

 そして双方が落ち着いたところを見計らって、少し離れて試合を観戦していた者たちも全員集まってきた。

「いやー、すごい試合だったっすね。今回は下馬評通りの圧倒的な実力を発揮したアクアの勝利となったっすけど、人間の2人もかなり善戦していたんじゃないっすかね?どうですか解説のクリムゾンさん?」

 シュリは試合途中で飽きてやめていた実況を思い出したように再開した。

「ん?そうだね。2人は人間なのに魔力を直接炎に変換する魔法が使えるんだね。人間にしては珍しいよね。」

 クリムゾンはやはりシュリの妙なノリには付き合わず、いつもの調子で感想を述べた。

「ほうほう、魔法なんすかこれ?人間の2人もアクアも姉御も、全然熱そうにしてないっすけど、もしかして見せかけだけで熱くないんすか?」

 そう言うとシュリは、未だ燃え盛っていたアクアの腕の炎にサッと手をつっこんだが、直後に慌てて手を引っこめた。

「あっつ!ちゃんと燃えてるじゃないっすか!?」

 シュリは勝手に手をつっこんで勝手に火傷をしたのに、理不尽にも怒っていた。

「何やってるんですかまったく。」

 クリムは抱きかかえていたアクアを降ろすと、少しだけ火傷して赤くなったシュリの手に軽く触れて、あっという間に火傷を治してしまった。

「おお、治ったっす。さすが姉御。今のも魔法っすか?魔法って火や水を出すだけじゃなくて、傷も治せるんすね。」

 シュリはすっかり赤みが引いて痛みも消えてしまった手をくるくると回して観察しながら聞いた。

「今のは傷を直接治したわけではないですよ。シュリは種族的に再生能力が高いみたいですから、損傷した細胞と周辺組織に魔力を送り込んで代謝機能を活性化させて、自然治癒力をさらに高めたんです。魔力による身体強化魔法の一種ですね。肉体が元々持っている治癒力を利用しているので、エネルギーを余分に消費して少しお腹がすくデメリットがあるかもしれませんね。」

 クリムはシュリに面倒な話をしても恐らく理解できないだろうと思いつつも、間違った認識のままで魔法を発動すると、正しい認識を持って意識的に魔力操作する場合に比べて効果が半減するので一応説明したのだ。

「なるほど。つまりお腹がすくけど傷が治る魔法なんすね?」

 シュリは自信満々に言い放ったが、クリムの話をほとんどまったく理解していないのだった。

「いや、結果だけ見れば確かにその通りですけど、全然違いますよ。」

 クリムはすかさず否定した。

「そうなんすか?ちょっと難しいっすね。お腹がすいて傷が治ったのはたしかなんすけどねぇ。」

 シュリはそう言うと、思い出したように腹の虫を鳴らしてお腹をさすった。


 クリムの予想通りシュリには話が難し過ぎたようだが、お腹をすかせて集中力を欠いている状態では、何度説明しても同じだろうと考えたクリムはそれ以上の説明を諦めたのだった。

 シュリは元より口で説明するより実践させた方が覚えがいいので、口頭での説明は効果的ではないとクリムは考えていたのだが、たびたび謎の海老知識を披露するシュリは実は賢いのではないかと疑ってもいたので、ものは試しで説明してみたのである。結果的には無駄足となったが、クリムは思い込みで断定するのはよくないと、スフィーとの海上でのやり取りから学習していたので、念のためにシュリの学習能力を再確認したのだ。一応おさらいしておくと、スフィーとの海上でのやり取りと言うのは、汽水域に生息しているマングローブは、一般的な植物とは異なり塩分に高い耐性がある、といった内容である。

 ともあれだ。シュリはクリムが飛行する様子を一度見ただけで反重力魔法をラーニングするほどの、野性的で直感的に優れた観察力と、見たままに模倣する高度な身体運用能力を持っているのだが、その半面でクリムが当初認識していた通り、頭の方はかなり残念なので座学には向いていないのだった。


 クリムとシュリの会話が途切れたところで、ゴウが素早い足取りで2人ににじり寄り声をかけた。

「いくつか聞きたいことがあるのですが、質問してもいいですかクリムさん?」

 ゴウはアサギを加えてレツと3人で試合の反省会をしていたが、クリムとシュリの話がひと段落したのを見計らってクリムに話しかけたのだ。その口調はどこか遠慮がちであり、さらにはクリムに敬称まで付けていたが、それは命の危機を救ってくれた恩人に対する敬意の現れである。

「ええ、私に答えられる事ならお答えしますよ。何ですか?」

 クリムは王族かつ聖女とまで呼ばれていたエコールの経験から、仰々しい態度で敬われることには慣れていたので、ゴウの口調の変化を特に気にすることもなく聞き返した。

 クリムの了承を得たゴウはさっそく質問した。

「先ほどクリムゾンさんが我々の奥義を魔法と呼んでいたのが気になりまして。と言うのも、私もレツも見ての通りの格闘家なので魔法に関する知識は浅いのですが、魔法とは魔導士達が精霊と契約して初めて扱える代物ではないのですか?」

「なるほど、その話でしたか。人間が扱うのは主に精霊魔法ですものね。疑問に思うのも無理はないです。」

 クリムは1人で納得するとさらに言葉を続けた。

「人間は魔法が不得手な種族なので馴染みが無いと思いますが、魔法には大別して2種類存在するんですよ。」

「魔法に種類があるのですか?それは初耳ですね。」

 ゴウは首をひねって思考を巡らせたが、彼の魔法知識は一般的な人間が持つ程度の物であったため、クリムが言う通り馴染みのない話であった。

「一つは先ほどあなたの言っていたように、何かしらの誓約のもとに精霊と契約し、魔力を捧げて起動キーとなる呪文を詠唱することで発動できる、代行魔法・あるいは契約魔法と呼ばれるものですね。魔法が苦手な種族でも容易に魔法を扱える反面、詠唱の間隙ができる事や、契約に伴う面倒な縛りなんかもあるので、ドラゴンの様に自前で魔法を発動できる種族はまず使いませんね。」

「ほうほう。つまり我々が認識している魔法とは、その代行魔法を指すものなのですね。」

 ゴウは頷きながら言った。

「そういうことですね。そしてもう一つの魔法と言うのは、もう分かったかもしれませんが、精霊などの力を借りずに自前で発動する自発魔法ですね。精霊魔法がメジャーな人間からすると違和感があるかもしれませんが、こちらが本来的な意味での魔法であり、通常魔法と言ってもいいですね。契約が必要ないので当然面倒な縛りはありませんし、発動に際しての詠唱も不要です。まぁ気分が乗ると魔力操作が円滑になるので、適当に詠唱した方が威力が上がったりしますけどね。それはさておき、自発魔法は総じて代行魔法の高位版と考えていいですね。」

「私が知る限り人間の魔法適性が低いのは一般的によく知られた常識ですが、まさか魔法が得意な種族と比べてそんな違いがあるとは。」

 格闘家であるゴウにとっては畑違いの分野の話であるとは言え、集団戦闘において勝敗を決定付ける大きな要因ともなり得る魔法の技術が、他種族に比べ劣っているとなれば少なからず危機感を覚えていた。先述の通り彼らの流派の師範代は、国を守る正規軍の戦闘訓練に講師として招かれる機会があるので、国家が保有する魔法技術の良し悪しが、国防上かなり需要なファクターであると、現場の人間から聞いて知っていたのだ。

「ええ、それで最初の話に戻りますが、あなた達がさっきの試合で使っていた奥義。たしか魔力遷移でしたか?あれは要するに自発魔法ですね。魔力を炎、つまりはプラズマへと変換する魔法は、エネルギーを別のエネルギーに変換する同次元における変換プロセスであるため、比較的簡単な魔法ではありますが、魔法適性の低い人間が扱うには並々ならぬ努力が必要だったことでしょう。クリムゾンが言っていたように、人間で自発魔法を使える者はそう多くはないはずですし、2人ともすごいですね。」

「人並み以上の鍛錬は積んできた自負がありますが、そう言われると少々照れますな。」

 クリムは素直に2人の格闘家を称賛したのだが、彼らはほんの少しだけ本気を出したアクアを前にして、文字通り手も足も出なかった恐怖体験を経た直後なので、手放しに喜ぶことはできなかった。


 ところで、龍の巫女であるエコールやサテラは、普通の人間とは異なり自発魔法を苦も無く発動できるのだが、彼女達は人間と言う枠を半ば外れた例外中の例外であり、その力はドラゴンそのものと言っていい絶大なものである。龍王グラニアの元で魔法の手ほどきを受けて、多少なりとも努力はしているが、産まれつき簡単な魔法なら使えてしまうのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る