第92話 巨大鮫の正体

 サテラと巨大鮫はお互い渾身の一撃が不発に終わった事から攻めの姿勢が慎重になり、一定の距離を取って牽制し合うにらみ合いの膠着状態が続いていた。

 その様子を少し離れた上空から見ていたクリムは、サテラの手際の悪さに思わず手を貸したい欲求に駆られるのだった。しかしかつて聖女とまで呼ばれたエコールでさえも旅に出て間もない頃は経験不足から来る未熟さを持っていた事を思い出し、クリムがここで手を出してしまえば、彼女から経験を得る機会を奪う事になると思い直した。それに彼女を一度は信頼し迎撃の役割を任せた手前、ここで手を出すと彼女の面目を潰す事になるし、彼女がクリムに向けている憧憬の念を思えば、信頼を覆すような行為はより強い意味を持つ事となって、彼女を深く傷つけるであろうと予想できた。またクリムは巨大鮫を実際にその目で確かめた結果、やはりサテラの実力は十分に彼の怪物に対処し得るレベルに達していると確信したので、ここでお節介にも手を貸す事は彼女のためではなく、早く問題を解決したいという自身の我儘ゆえであると気づき、我慢弱い自身の性分に自戒の念を抱きつつ、サテラを信じて見守る選択肢を取ったのだった。


 しばしの膠着状態の最中、鮫とにらみ合うサテラの様子を見守るクリムの元に、さらなる追跡者が現れた。

「姉御ー何やってるんすか?」「何してんのお姉ちゃん?」

 追跡者とは何のことはなく、クリムが船から飛び立つのを見てついてきたシュリとアクアだった。

「あらあら、あなた達も付いてきてしまったんですね。何も言わずに出てきてしまった私が言うのもなんですが、出掛ける時はクリムゾンか私にどこに行くのか予め教えてくださいね。」

 クリムにとって2人が追いかけてくるのは想定外だったが、いい機会なので仲間として、また姉妹としての約束ごとを決めたのだった。

「了解っす。」「了解ー。」

 シュリがいかにも何も考えず即断で応答すると、アクアもそれに倣って言葉を真似た。

 クリムはその様子を見て、アクアがシュリに感化されて人の話を聞かない子にならないか少し心配になったが、ドラゴンが産まれつき持っている本質的な性根はそうそう簡単に変わるものではないし、無垢な妹を上から押さえ付けて自分の思い通りの性格に矯正しようという考えは、実の姉とは言えあまりに傲慢であると思い直し、アクアが本当に問題のある行動をとる場合を除き彼女の自主性に任せようと考えた。

 サテラに対してもアクアに対しても、必要以上に過干渉すれば彼女達が自ら考え対応する能力の成長を阻害する結果を招くであろうと考え、ついつい文句のひとつも言いたくなる老婆心な性分を自制するクリムだった。

「ところでシュリ。あなた空を飛ぶのが上手になりましたね。昨日は随分ぎこちなかったのに。」

「姉御と旦那の飛び方を見て覚えたっす。昨日は海老形態だったから姉御の動きを真似できなかったっすけど、人型になった今なら同じ動きをするだけっすからね。」

「なるほど。あなたやっぱり身体的な動きを真似る事に関してはかなりの素質がありますね。人の話は全然聞いてないですけど。」

「ちゃんと聞いてるっすよ。」

 昨日と同じ様なやり取りを繰り返すクリムとシュリだった。

 これもまた繰り返しになるが、クリムの飛行方法は単純に翼で羽ばたいて揚力を得ているわけではなく、翼から重力を操る魔法を発動し浮遊状態になった上で、翼を羽ばたかせて推進力を得て飛行しているのだ。すなわちシュリも魔法を見様見真似で発動している事になるのだが、クリムゾンの細胞を取り込んだシュリだからこそ成せる技なのか、それともシュリ自身の才能なのか、クリムには判別できなかった。しかしいずれにせよシュリの成長性は高く、鍛えればすぐに伸びる素質があるとクリムは見ていたので、クリムゾンと戦うために強くなりたいというシュリの願いは決して無理難題ではないと改めて認識したのだった。


 クリムは魔力を抑えこっそりとサテラの様子を伺っていたが、その辺の事情を知らないシュリとアクアは一切気配を消す事なく普通に追いかけてきたので、サテラはそんな2人の魔力に気付いて上空を見上げた。そして2人と話すクリムの姿を目視した事で、大体の事情を察したので3人の元へと近づいた。

 サテラが気を逸らした事で膠着状態が解けた巨大鮫は再度サテラに襲い掛かるため一度海中に潜行したが、いざ突進攻撃を仕掛けようと海面に向かう刹那、鮫もまた上空の3人の存在に気付き、無策に飛び出すべきではないと瞬時に判断するとあっさり攻撃を中止したのだった。


 サテラが近づいてくることに気付いたクリムは、いまさら隠れても仕方がないのでそのまま彼女の到着を待った。

「すみませんクリムさん。私の帰りが遅いので様子を見に来たんですよね?」

「ええ、まぁそんなところですね。気にするなと言っても無理でしょうけど、手を出すつもりはないので気にせず対処を続けてください。」

「分かりました。」

 クリムが自身に対して気を遣っていると察したサテラは、あえてそれ以上の事は聞かずただ了承の旨を伝えた。

「ところでシュリさんとアクアさんは何をしにいらしたんですか?」

「お姉ちゃんに付いてきただけだよ。」「右に同じくっす。」

「そうでしたか。では早く片付けて船に戻るとしましょう。」

 サテラは自分が手間取っているせいで3人がわざわざ様子を見に来たことを確認すると少しだけ焦燥感を覚え、またクリムにちょっといい所を見せようと意気込んだ。


 サテラが再び海面付近に降下し、巨大鮫の注意を引こうと鼻先で旋回して見せたが、鮫はそんなサテラには目もくれず上空の3人を睨みつけていた。

「うーん?どうしたんでしょうか?」

 サテラは反応が無い鮫を煽るために、さらに大胆に注意を引こうと今度は海面に降り立って見せた。しかしそれでも鮫は変わらずサテラを無視し、すっかり上空の3人に関心を奪われているのだった。

 少しだけ本気を出して鮫を撃退しようと考えていたサテラだが、流石に無抵抗の相手に一方的に攻撃を仕掛けるのはどうかと思ったので、鮫が自身に関心を示さない理由を探るべく上空の3人を手招きして呼び寄せた。


「サテラが呼んでいるみたいですね。行ってみましょうか。」

 クリムは2人に声を掛けてから3人一緒にサテラの元へと降り立った。

 鮫が上空にいた3人の内誰かしらに関心を持って狙っている様に見受けられたため、サテラは鮫が先ほど海面ジャンプした高さより少し高い位置で滞空して3人と合流した。

「どうしたんですかサテラ?」

「どうもあの鮫がクリムさん達の方にばかり気を取られていまして、私に目もくれないのでどうしようかと困っていたんです。何もしてこない相手に攻撃するのも気が引けますからね。」

「なるほど。そう言う事であれば協力しましょう。」

「はい、お願いします。」

 クリムは手を貸さないつもりでいたが、自分たちが原因で彼女の仕事に問題が発生しているのであれば、その問題を取り除くくらいの手助けはしてもかまわないだろうと判断したのだ。

「さて、あの鮫は何が狙いなのでしょうか?見たところ深海鮫の様ですから、船を鯨と見間違えて襲うなんてことはないでしょうし目的が分かりませんね。私達の誰かを狙っているとするなら、やはりあの鮫が微弱ながら持っているクリムゾンの魔力に何か関係があるのでしょうか?」

 クリムはさっそく鮫の外見上の特徴からその生態を考察し、不可解な行動に疑問を呈した。そしてサテラが迎撃に向かう前に船上でも気にしていたクリムゾンの魔力に言及した。

「ひとまず3人バラバラに散開して飛んでもらえますか?」

 サテラが提案した。

「分かりました。2人とも聞いての通りです。ちょっと距離を開けてみてください。」

「はーい。」「了解っす。」

 クリムの指示に従い3人は少し間隔を開けた状態で各々浮遊した。

 すると同時に鮫も動き出し、シュリの真下で旋回を始めたのだった。

「どうやらシュリが狙いみたいですね。もしかして知合いですか?」

「鮫の知り合いなんていないっすよ。俺にとっては天敵っすから。」

「それはそうですね。うーん、深海鮫と言えば昨日のマナゾーを思い出しますね。」

 クリムは再び海中を揺蕩う鮫に注意を向けるとその姿を改めてつぶさに観察した。

「サイズが全然違うので考慮していませんでしたが、もしかしたらこの鮫昨日のマナゾーかもしれないですね。」

「えっ!?マジっすか!?」

 シュリは小型の深海鮫であるマナゾーに腕もといハサミをもぎ取られた昨日の出来事を思い出し戦慄した。

「あの巨大さ以外の身体的特徴は一致しますし、シュリを執拗に狙っているあの目つきも既視感がありますから、ほぼ間違いないでしょう。」

 シュリは自身を睨み上げる鮫の鋭い目を見ると、たしかに見覚えがあると感じた。

「なんであんなでかくなってるんすか?俺が縮んだからでかく見えるわけじゃないっすよね?」

 シュリはクリムゾンの細胞と融合した影響で体長5mくらいの巨大な海老となっていたが、脱皮によって少女の姿に変態したので昨日マナゾーと遭遇した時よりかなり体が縮んでいるのだ。

「そうですね。昨日遭遇したマナゾーはせいぜい体長1mくらいでしたよ。私が尾ひれを掴んで持ち上げられる程度でしたからね。」

「じゃあ何がどうしたらあんな大きさになるんすか?」

 シュリの指摘は当然である。わずか一晩の間に体長1mの鮫が20mまで急成長する事などあり得ないし、ましてやマナゾーはそこまで巨大化しない種類の小型の鮫だったからだ。

 クリムももちろん普通の鮫であればこの様な変容が起きるはずが無いと分かっていたが、しかし彼女には思い当たる節があったのだ。

「その答えはあの鮫が持つクリムゾンの魔力に秘められているでしょう。昨日シュリはマナゾーにハサミを片方食いちぎられてしまいましたよね?」

「あまり思い出したくないっすけど、そうっすね。」

「これは私の仮説ですが、恐らくシュリのハサミを食べて間接的にクリムゾンの細胞を取り込んだマナゾーは、シュリが小さな深海海老から巨大海老に変貌したのと同様に、あのような巨大鮫へと変貌してしまったのでしょう。」

「そんな事があり得るんすか?」

「あなたの例とあの鮫がクリムゾンの魔力を持っている事実、これらの状況証拠から見てまず間違いないでしょう。私の仮説が正しいとすれば、あの鮫が船を追いかけてきた理由もシュリを狙っていたためであると説明がつきますしね。現に今あの鮫は私達が何も妨害していないにも拘わらず船の方に向かう様子はなく、ずっとあなたを狙って潜伏していますからね。」

「うん?つまりあいつが船を狙っていたのは俺のせいなんすか?」

 シュリは珍しく察しがよく、自身の置かれた状況に気が付いた。

「そう言う事になりますね。と言うわけでサテラ。」

「はい、どうしたんですか?」

「あの鮫は私達の方で責任を持って始末を付けようと思うのですがどうでしょうか?何事も無ければあなたに任せるつもりで居ましたが、こうなっては話が変わってきますからね。私もまさか私達のせいで船が襲われるとは思っていませんでしたし。」

「なんか俺のせいみたいで申し訳ないっす。」

 シュリはさほど気にした様子ではないが謝罪した。

「いえ、理由はどうあれ船の護衛は私の仕事ですし、当然私も手伝いますよ。乗員を守るのも護衛の範疇ですからね。」

 サテラはクリムの申し出に理解を示しつつも、ここで手を引くのは何か違う気がしたので折衷案を提示した。

「分かりました。それでは協力して対処しましょう。」

「はい、お願いします。」


 こうしてクリムは結局サテラと協力して巨大鮫の対応に当たる事にしたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る