第85話 2人の龍王の娘
受付嬢はクリムゾン達のIDカード登録書類をすらすらと作成していたが、ハタと何かに気付いた様で顔を上げ、気まずそうにクリム達に視線を向けた。
「どうしたんですか?」
その様子に気付いたクリムが声を掛けた。
「申し訳ありませんクリム様。最初に皆様から自己紹介を受けていたので失念していましたが、皆様のフルネームを伺っていませんでした。」
「ああ、そう言う事ですか。こちらこそうっかりしていました。」
「クリム様のご家族であるシュリ様、アクア様、クリムゾン様の姓はクリム様と同様に『クリムゾン』でよろしいですか?」
「えっとですね、あなたの言う通りアクアの姓は私と同じくクリムゾンですが、シュリとクリムゾンは違うんですよ。然程難しい話ではないのでドラゴンの命名規則を説明しますと、人間でいうところのファーストネームは人間と同じくそのドラゴンの固有名になりますが、姓に当たる部分は先祖代々のファミリーネームではなく母ドラゴンの名前を受け継ぐのですよ。例として私はクリムゾンの眷属なので、私の固有名クリムに母の名前を付け足してクリム・クリムゾンとなります。」
「なるほど、勉強になります。」
受付嬢は青龍会のドラゴン達と交流がありセイランを含め何人かの名前も知っているが、特別な理由が無ければドラゴンが人間に
クリムはドラゴンの命名規則を説明しながらクリムゾンの
クリムは旅をするに当たりあまり目立たない様にするという鋭意目標を設定していたのだが、翼や角や尻尾を生やした少女の集団という時点で人の目を引くのは避けられないので、それほど真剣に目立たない努力はしていなかった。しかしながら龍王の娘が人間社会を闊歩しているとなれば、それはもはや目立つ目立たないと言ったレベルの話ではなく、国家の存亡がかかった一大事と思われかねないのだ。
現代において人類とドラゴンは基本的には友好関係にあるが、守護龍制度が失われて以降はお互いの支配領域を侵さない事が不文律となっている。時折ドラゴンの縄張りに人間が入り込みいざこざを起こす事はあるが、一応の均衡が保たれた状態で長く平和な時代が続いているのだ。例外的に人間社会に深く関わっているのは青龍会並びにアラヌイ商会を率いるセイランと、グランヴァニアの守護龍であるグラニア、そして一部の国に守護龍として残った者達だ。そんな彼らでさえも人間社会の問題には協力を仰がれない限りは極力手を出さない様に配慮している。
クリムは少し悩んだ末、
「アクア様の名前は分かりましたので、残りの御三方の名前を教えていただけますか?」
クリムが考え込んだ末に黙ってしまったので受付嬢は直接本人達に名前を聞くことにした。
「それじゃ俺から答えるっす。」
一番に名乗りを上げたのはシュリだった。
「はい、よろしくお願いします。」
「俺のフルネームはシュリ・ドラグロブスターっすよ。」
ドラグロブスターとはドラゴンと海老が混ざって産まれたシュリの種族名としてクリムゾンが命名した名前であるが、シュリはその響きが気に入ったので転用して自身の姓としたのだ。
「はい、承りました。」
受付嬢はクリムの妹であるはずのシュリが何故別姓なのか気になっていたが、これまでの会話からもシュリの生い立ちが特殊な物であると察していたので、あまり踏み込んだ話を聞くのも失礼かと思い詮索しなかった。
「残るはクリムゾン様とスフィー様ですね。」
クリムゾンが上の空でボーっとしていたので、スフィーは自分から先に答える事にした。
「それなら私から。私の名前はスフィー・アーブレヒューマです。
「よく分かりませんが、承知しました。では残るはクリムゾン様ですね。」
「お母さん。呼ばれてるよ。」
やはりクリムゾンはボーっとしていて話を聞いていなかったが、アクアが肩を叩いて答える様に促した。
「ん?なんだっけ?」
「IDカードの登録に必要なのでフルネームを教えてください。」
「ああ、名前か。ぼくはクリムゾン・グラニアだよ。」
「え?グラニアと言いますと龍王グラニア様ですか?先ほど伺ったドラゴンの命名規則からすると、つまりクリムゾン様はグラニア様の娘と言う事ですか?」
「うん。」
クリムの期待とは裏腹にクリムゾンは特に何も考えず普通に本名を名乗ったのだった。そして案の定受付嬢は困惑していた。
「すいませんセイランさん。これはそのまま登録してよいのでしょうか?」
受付嬢は判断に困ったので実質的な上司であるセイランに意見を仰いだ。
「うん、まずいね。とてもまずい。クリムゾンはまぁこんな感じだから仕方ないとして、クリムあなたは止めなさいよ。」
「こんな感じって?」
クリムゾンはオウム返しで聞き返した。
「え?うん、まぁ子供っぽいってことよ。」
セイランは要するに思慮が浅いと言いたかったのだが、本人を前にあまり貶すような言葉を使うのが憚られたので、少しマイルドに言い換えた。
「そうかな?」
クリムゾンはクリムに視線を向けて聞いた。
「そうですねぇ。たしかにあなたは年齢の割には精神が幼いですね。」
「そっかー。」
クリムの答えを聞いたクリムゾンは特に気にする様子も無く納得した。
クリムゾンとの取り留めのない話を済ませたクリムは、今度はセイランの方に向き直って話始めた。
「セイラン、あなたが言いたいことは分かります。ですがクリムゾンはこう見えて少しずつ自分で物を考える様になってきているのですよ。なのでクリムゾンがこの局面を自力で乗り越えられると信じて任せたのです。まぁ今回は失敗してしまいましたが、誰だって最初から上手くはいかない物です。今後の成長に期待ですね。」
クリムはつらつらとクリムゾンを止めなかった理由を説明した。
「あなたクリムゾンのお母さんみたいね。まぁ止めなかった理由は分かったけど、かといってこのままグラニアの名を冠して登録させるわけにもいかないし、さてどうしたものか。」
セイランは顎に人差し指を当てて首をかしげ、間もなくして再び口を開いた。
「とりあえず人間社会に混乱を招かない名前であれば問題ないから、適当な偽名を付けましょうか。あなた達の方で何か案はない?」
「どうしますかクリムゾン?」
クリムは再度クリムゾンの問題解決能力の成長に期待を込めて聞いた。
「本名はダメなのか。それじゃあカオスロードでいいんじゃないかな。なんか昔そう呼ばれてたし。」
カオスロードとはかつて世界中で暴れ回っていたクリムゾンに対して、他のロード・ドラゴン達から畏敬の念を込めて付けられた忌み名、
「人類社会に対する認識が古い私には判断がつきませんが、どうですかセイラン?エコールの生きた時代であればカオスロードと言えば災厄を起こしたドラゴンの忌み名として人間達にも認識されていたはずですが。」
「ドラゴンの間では当然その名前は現代でも残っているけど、人間達はどうだろうね。人間は寿命が短いから当時を知る者は居ないし、大丈夫じゃないかな?あなたはどう思う?」
セイランは普通の人間である受付嬢に意見を求めた。
「あ、はい。カオスロードですか?最近どこかで聞いた気もしますが、耳馴染みのない言葉ですね。少なくとも私からは悪印象はないですよ。」
「うん、ありがとう。あなたがそう言うならきっと大丈夫でしょう。と言うわけだからクリムゾン、今後人間達に名乗る機会があったとしても、グラニアの眷属であることは軽々しく口にしないようにね。そうそうフルネームを名乗る機会はないと思うけどね。」
「よくわかんないけどわかった。」
「クリムもクリムゾンが口を滑らせない様にちゃんと見ておいてくれよ。」
クリムゾンの気のない返事に不安を感じたセイランはクリムに念を押した。
「言うまでもないけどクリムゾンとグラニアの関係は他言しないでね。あなたに限って心配は要らないと思うけれど頼むよ。」
セイランは受付嬢にもやんわりと釘を刺した。
「はい、もちろんです。ところでセイランさんはクリムゾン様とはどういったご関係なのですか?グラニア様の眷属であれば賢龍姫様のご兄弟と言う事になりますし、賢龍姫様の眷属であるセイランさんからすればクリムゾン様は叔母様に当たるのでしょうか?」
「違うよ。セイランはぼくの妹だよ。」
クリムゾンが間髪入れずに答えた。
「え?」
受付嬢は鳩が豆鉄砲を食らった様な顔をした。
「おい待てい。」
クリムゾンの不用意な発言に思わず江戸っこみたいな喋り方になるセイランだった。
「どうしたの?」
セイランは受付嬢に聞こえない様に小声でクリムゾンに耳打ちした。
「私が四大龍であることは隠してるって言わなかったっけ?」
「聞いてないと思うけど?」
「うん、なるほど。たしかに言ってない気がするな。それは私の落ち度だ。でもわかるだろ話の流れで。」
「ぼくあんまり話聞いてなかったし。」
「言われてみればその通り。今度から人の話はちゃんと聞きましょう。」
「わかった。」
クリムゾンとセイランがコントの様なやり取りをしていると、受付嬢が恐る恐る質問した。
「えっと、セイランさんは賢龍姫様の眷属とばかり思っていましたが、ご
「えっ?あぁ、うん、まぁそんなところだよ。」
受付嬢が勘違いしてくれたので、四大龍の賢龍姫ご本人であることを知られたくないセイランはとりあえずその勘違いに乗っかる事にした。
「なるほど。セイランさんは他の幹部の方達から姐さんと呼ばれていますし、私達職員の採用面接を担当しているのはセイランさんだけだと仲間達からも聞いていたので、他の幹部の方達とは一線を画す存在なのではないかと以前から思っていましたが、それで得心がいきました。」
「あぁ、そうなのかい?」
クリムゾンの失言が決め手になったのは間違いないが、元々セイランの行動は怪しまれていたと知り、不用意さという点では人の事は言えないと反省するセイランだった。
「分かってると思うけど、私の事も他言しないでね?」
「ええ、それはもちろん。この事は私の中だけに留めておきますのでご安心ください。」
「うん、ありがとう。」
なんやかんやで有耶無耶にできたのでセイランはひとまず安心した。
「それでは登録手続きの準備をしてきますので、皆様もう少しお待ちください。少々お時間いただきますので、IDカードの形態をどれにするか選びながらお待ちください。」
受付嬢はIDカードのサンプルを取り出してカウンターに並べた。
繰り返しになるがIDカード、正式名称アイデンティティカードという名前は、かつて実際にカードであったころの名残であり、現在では腕輪や指輪、イヤリング、ドッグタグと言った、身に着けるタイプに形状が変化している。ちなみにカードタイプだと紛失率が高いというのが形状変更された理由である。
受付嬢を見送った後、彼女に言われた通りIDカードを作成する4人はどの形態にするか議論を始めた。
「どれがいいっすかね姉御?」
シュリがクリムの意見を求めた。
「私は一番オススメだと聞いたので腕輪タイプにしましたが、好きな形を選べばいいと思いますよ。ちなみに戦闘職の方はドッグタグタイプを選ぶ人が多いらしいですよ。」
「へぇ、なんでっすか?」
「腕輪やイヤリングだと戦闘で腕や耳を失うかもしれないですが、首に掛けるドッグタグであれば死なない限り首を無くす心配がないからだそうです。」
「おぉ・・・飛んだブラックジョークっすね。」
シュリは少し引いていた。
「私はお姉ちゃんとお揃いがいい。」
「あらーそうですか?アクアはかわいいですね。」
クリムはニコニコしながらアクアを撫でた。
「それなら俺も同じにするっす。」
「なら私も。」
シュリがアクアに追従し、さらにスフィーもそれに倣った。彼女達はファッションにとんと興味が無く、正直なんでもよかったのである。
「クリムゾンはどうしますか?」
「ぼくも同じでいいよ。」
「では全員同じですね。好きな物を選んでいいんですよ?」
「うん、まぁなんでもいいし。」
クリムゾンは包み隠さず本音を言い放った。
クリムは母のぶっきらぼうな物言いに悪気が無い事は分かっていたが、彼女の内面をよく知らない者からすれば横柄で態度が悪い様に映るだろうと感じた。そして彼女がかつて世界中から忌み嫌われてしまった一因なのではないかと考察するのだった。
「あなたはもっと周囲に関心を持っている振りをした方がいいですよ。無理に関心を持てとは言いませんが。」
「なんで?」
「他者に興味を持たない人は、他者からも興味を持たれないものです。悪因悪果、悪い事をすれば自分に返ってくる。そういうものですよ。」
「わかった。気を付ける。」
クリムゾンは身に覚えがあり余るほど有ったので、娘のアドバイスを素直に受け取った。
こうして一通りの事務手続きを済ませた一行は、諸々の問題はあったものの無事身分証を入手できたのだった。
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