第2章 海老の恩返し

第34話 深紅鱗の聖衣

―――ところ変わって舞台はクリムゾンとクリムの居る、氷に包まれた絶海の孤島へと戻る。

 母であるクリムゾンから名前を授かった”本作主人公”のクリム・クリムゾンは、母娘で今後の計画を話し合う事にした。

「私はあなたから記憶を受け継いでいますので事情は理解しているつもりですが、一応確認しますね。私の役割はあなたと戦ってくれる相手を見つける事でいいですね?」

 クリムは母であるクリムゾンの記憶と、彼女の姿のモデルとなった龍の巫女にして聖女でもあるエコール・サンライトの記憶を受け継いでいる。そのため彼女は自身が産み出された目的を知っているのだ。

「そうだよ。ぼくはただ戦いたいだけなんだけど、昔みたいに誰かれ構わず喧嘩を売るとまた嫌われちゃうと思ったから、クリムに作戦を考えてもらおうと思って産んだんだよ。」

 赤き破壊龍は眷属の問いに応えた。

「ええ、それも分かっています。」

 たった一つの質問からでは不確実ではあるものの、クリムゾンとの認識にズレがまったくない様子なので、クリムは自身が持つ記憶がある程度信頼できるものと判断したのだった。


 仮にも母親であるクリムゾンだが自身が賢くない事は理解しているので、産まれたての娘の知略に大いに期待していた。

 そして母が望んだとおり、娘は母よりも優れた知性を有して産まれたのだった。彼女が賢いのは聖女の記憶を受け継いだ影響もあるが、彼女自身の身体的形質が、母の願いによってある程度方向づけられた結果でもある。要するに『賢い子が産まれるように』という母の願いがそのまま形になったのである。

 これはドラゴンの強大な魔力と、自身の遺伝子を意識的に操作できる能力とによる、複合的な特性からくるものだ。魔力は精神や意識の影響を強く受けるのだが、強大な魔力を持つドラゴンの願いは、現実に影響を与える程の力があるのだ。しかしそれは産まれてくる眷属の性格や能力を完全に決定づける程のものではなく、ある程度方向づけるにとどまるレベルの物である。

 ドラゴンの眷属は産まれてから成長するまでの期間は母の庇護下に入りその命令を聞くのが普通だが、これはあくまでも眷属の自由意志によって従っているだけであり、母の命令が気に入らなければ逆らう事は可能である。ドラゴンが眷属を産み出すのは何か目的をもって成される事であるが、母の思惑通りに眷属が行動するかどうかは、1個の生命体として独立した眷属の意志に委ねられているのだ。上下関係はあるものの、何もかも母の言いなりではない事は明示しておく。

 また自身の欲求のために産み落とした子供と言うと自分勝手で酷い親の様に感じるかもしれないが、ドラゴンの親子関係は人間のそれとはかなり形態を異にする物なので、必ずしも酷い親とは言い切れない事は理解していただきたい。彼女達にとっては普通の事なのである。


 クリムは母にまったくと言っていいほど先行きへの展望がない事も分かっていたので、自身が暫定的に考えていた方針で話を進めようと考えた。

「あなたへの挑戦者を探すのは構わないのですが、その前にまずは今の世界の状況を知る必要がありますね。それと先に情報共有しておきますけど、私にはあなたが以前戦った聖女エコール・サンライトの記憶が有るので、人間社会についてある程度の知識を持っている事を伝えておきますね。」

「サンライト?ぼくが戦ったのは人間だったと思うけど、どうしてサンライトの名前を持ってるんだろう?」

 クリムは二つの記憶が統合されて産まれた自身の記憶が、母には通じない部分が有る事を少々煩わしく感じた。

 ちなみにサンライトとは、クリムゾンと同時期にグラニアによって産み落とされた三姉妹のドラゴンの一頭であり、三姉妹の中では末の妹である。


「簡単に説明するとサンライトは人間の王と結ばれて人との間に子を成したので、その子孫にあたるのが私のモデルとなったエコールというわけですね。サンライトが人間と結ばれた細かい事情は私も知らないですが、エコールが人間にしてはかなり強かったのは、先祖であるサンライトの力が発現していたからですね。」

「ふーん。そうなのかー。」

 クリムゾンは戦うこと以外にはあまり興味がないので、妹の恋愛事情や子孫についてあまり興味が無かった。そして母がそんな情報に興味を示さないであろうことはクリムも知っていたのでその反応は想定内である。よってこれからの計画を話す上で最低限必要と考えた情報だけを伝えたのだった。

「聖女の成り立ちは置いておいて、・・・聖女が生きていた時代はあなたが眠りにつく以前、すなわち今から数千年は前の事でしょうから、現代にその知識や常識が通用するかは不明なのです。だから現代の世界の状況を改めて知る必要があるのですよ。」

「そっかー。で、具体的にはどうするの?」

「そうですね。実際に世界を旅して見聞きして回るのが一番確実ですね。」

「よし、それじゃあさっそく出発しよう。」

 巨龍は翼を広げすぐさま飛び立とうとしたが、クリムは静かに制止した。

「いえ、巨大なあなたが一緒に行動したら目立つ・・・というか大騒ぎになりますので、調査には私一人で行ってきますよ。」

「えー?一人で大丈夫?」

「まぁ問題ないでしょう。私たぶん強いので。」

 クリムは産まれたばかりで戦闘経験はおろかまともに体を動かした事すらないが、それなり以上に戦えるであろうことは確信していた。それは根拠のない自信ではなく、自身が内包する魔力が母に匹敵すると把握していた事、ドラゴン族特有の強靭な肉体を持つ事、それに加えて母並びに聖女の記憶から戦闘知識も豊富である事からくる自信であった。

 そして彼女は試しに少し体を動かしてみると重大な事に気が付いたのだった。

「私素っ裸ですね。」

「そうだね。」

 クリムは見た目こそ人間に近い姿をしているが、その精神性はドラゴンそのものである。よって裸である事は恥ずかしくもなんともないのだった。しかし人間社会に繰り出すにあたっては素っ裸でいるわけにもいかないので衣服が必要だ。

「あなたは衣服を産み出す事はできますか?」

「え?どうだろう。やったことないけど。」

「そうでしょうね。知ってました。グラニアは自身の鱗や爪、牙を素体として武器や鎧を作っていたので、あなたにも同じ事ができるんじゃないかと思うんですよね。」

「へー、どんな感じでやるのかな?」

「やり方はたぶん雰囲気で行けるんじゃないですか?例えば剣を作る場合、グラニアが魔力を込めて爪を一枚剥ぎとると、なんかフワーっと爪の一部が粉になって残った部分が剣になってましたね。それと剥がれた爪はすぐ再生してました。」

「抽象的だなー。なんとなくわかったけど。ところでクリムは自分でできないの?服の生成。」

「私は体が小さいですから、私用の服を作るには素材となる鱗のサイズが足りないですね。」

「それもそうか。うん、まぁ試しにやってみるね。」

「はいお願いします。」


 クリムゾンはクリムに聞いた方法をとりあえず試してみた。

 自身の鱗の中でも特に硬い首筋の1枚に魔力を集中し、かつて戦った聖女が着ていた聖衣を参考に、クリムの身体サイズに合わせた大きさになる様に微調整しつつ、服になれーと念じたのだった。すると数分と経たず鱗は剥がれ落ち、クリムが言っていたようにフワーッと粉になってしまった。

「あれ?失敗かな?」

 クリムゾンはすべて粉になってしまった自身の鱗を見て言った。

「いえ、大丈夫みたいですよ。」

 クリムは山になった粉の中に手を突っ込むと、1枚の衣を引き出しパンパンと粉を払い落とした。そうして出現したのはクリムゾンの鱗と同じ深紅の色をした一着の聖衣であった。

「うん、成功ですね。」

 クリムは早速出来上がった聖衣を羽織ってみると、サイズはぴったりであった。

「よくわかんないけどたぶん似合ってるよ。」

「はい、ありがとうございます。」

 ドラゴンである母娘には人間的な美的感覚がいまいち掴めないので、憶測で語っているだけだが元々聖女が着用していた服を模して造られた物なので、実際よく似合っているのだった。またクリムゾンにデザインセンスはないが、機能性を考えてクリムの翼や尻尾を通せる穴は用意していたので、合わせ無しで簡単に着ることができたのだった。なお母娘ともに失念していたため、下着は身に着けていなかった。


 クリムは再び体を動かし着心地を確認した。

「うん、動きやすいし問題ないですね。少々昔のデザインなので古臭いかもしれませんが、裸よりは全然よいでしょう。」

「そうだね。」

「それでは調査に出発する前に確認しておきますけど、あなたが戦う相手はどんなタイプがお望みですか?」

 急にアンケートを始めるクリムだった。

「やる気が有ってできるだけ丈夫なのがいいね。長く戦いたいから。強さはまぁ最低限ぼくと向き合えるレベルならいいかな。種族も特に問わないけど、知性が低い生物だと本能的にぼくと戦うのを避けちゃうみたいだから、言葉が話せる程度の知性が有って本能抑えめの種族がいいんじゃないかなたぶん。経験上一番相手をしてくれたのは人間と魔族かな。それと昔のぼくを知ってるドラゴンはたぶんぼくの相手をしてくれないと思うし、さっき会った二人のドラゴンはぼくの事を知らなかったみたいだけどやっぱり戦う気はなかったみたいだから、ドラゴン族は挑戦者の候補に入れなくていいと思う。」

「なるほど。概ね想定通りです。」

 クリムゾンが提示した条件はまるでブラック企業の求人広告の様だが、クリムゾンとの戦闘ではおよそ想像しうる最悪の苦痛を受ける事になるので、あながち間違いではない。


 クリムはクリムゾンが望む挑戦者の条件がゆるゆるであることは分かっていたので一応確認したに過ぎないが、それとは別の懸念を抱いていた。

「どうしたの?」

 クリムゾンは何やら悩んでいる様子のクリムに声を掛けた。

「ええ、一つ問題がありまして、現状だとあなたと戦う事で挑戦者が得られるメリットが何も無いんですよね。ただただ危険に身を投じる事になるので、聖女の様な世界のため人々のために戦う聖人ならともかく、一般的な感覚を持つ人はあえて怪物と戦う意味を感じないでしょうね。」

「そうなの?戦うのって楽しいのに。」

「あなたはそうでしょうね。人間や他の種族にとっての戦闘は娯楽ではなく、命懸けでするものなのですよ。戦闘自体を楽しむ者がいないとは言いませんが、勝てる算段のない相手に無報酬で挑みたがる変態は少数派です。」

「そうなんだ。じゃあどうしようか?」

 クリムゾンは戦闘を娯楽としか思っておらず、相手も楽しんでいると思っていた勘違いが、6200年前の災厄を引き起こした真相であった。それが分かったところでクリムゾンの目的が変わるわけではないが、以前と同じ轍を踏むリスクは減るだろう。

「そうですねぇ、何か人が欲しがるものを用意するといいんじゃないですかね。例えば、少々べたですがドラゴン退治と言えば財宝目当てで挑む人は居ましたね。光物を集めるのが好きなドラゴンは結構居ますから、住処の洞窟なんかに貯め込んでいるのは、人間の間では割と有名でしたよ。まぁ人間がドラゴンにそうそう勝てるわけもなく、成功率はお察しですが。ただこれも昔の話ですから今はどうか知りませんが。」

「なるほど。財宝なら用意できるかも。海底に潜った時そこらの難破船で見た気がするし。」

「それはいいですね。放置されてる物なら持ち主も居ないでしょうし貰っちゃいましょう。あとは私の服の様にあなたの身体から作り出した武具を餌にするのもいいかもしれませんね。グラニアの作った武具はそこいらの物より遥かに強力でしたから、人間は欲しがるんじゃないですかね。私は財宝も武具も要りませんが。」

「うん、わかった。それじゃあクリムが調査に出かけている間ぼくは財宝集めと武具作成をしておくよ。」

「はい、お願いします。」

「まかせろー。」

 相変わらずどちらが保護者か分からない母娘であった。


「現状で相談できるのはこんなところですかね。あとは調査が進んでから微調整していきましょう。それでは行ってきますね。」

「そうだね。いってらっしゃい。気を付けてね。」

「はーい。」

 クリムは母とお揃いの七対の翼を羽ばたかせ元気に飛び立っていった。

 そんな娘を見送る母クリムゾンは少し寂しそうにしばし佇んでいた。


 こうして二頭のドラゴンは各々の目的を達成するために行動を開始したのだった。


♦♦♦用語解説♦♦♦

・クリムゾンの衣服生成の仕組み

 当人達もよく分からず適当にクリムの服を作っていたが、これは遺伝子操作によりアポトーシスを意図的に起こして、不要な部分を削り落とすという方法で行われていた。

 アポトーシスを簡単に説明すると、人間の胎児の指が5本に分かれる時に、指の間の水かきが遺伝子の設計情報に基づき自死するアレである。詳しくはググれば出てくるだろう。

 ドラゴンは自身の遺伝子情報を魔力で操作できるので、作りたい物の形状や構造を理解していれば、分子レベルで似せたものを上記方法で製作可能である。ただしその材質はドラゴンの身体構成物質由来であるため、強度や靭性はそれに準ずる。要するにこの方法で作られた物は、ドラゴンの身体と同じ強靭さを持っているのである。

 ドラゴン製の武器や防具を英雄クラスの人間が纏えば、通常は傷1つ付けられないドラゴンの鱗を貫けるし、当たり所がよければ低位のドラゴンの攻撃に耐えられる可能性が産まれる。そんな程度の代物である。そもそもドラゴンに近づいて攻撃を当てる事が可能なのかという問題は考慮していない。

♦♦♦解説終わり♦♦♦

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