第11話 初めての眷属と聖女の記憶

 クリムゾンは氷に閉ざされた絶海の孤島で地下大空洞を発見し、その場所を眷属を産むための拠点に決めたのだった。

 クリムゾンにとって眷属を産むことは初めての経験であるが、結果的に支配地域(縄張り)を得た事もまた初体験であった。世界中を暴れ回りながら放浪していた破壊龍にとって、特定の場所に拠点を設けること自体が初めてだったのだ。

 そして仮住まいのつもりで手に入れたこの拠点とはこれから先長い付き合いになるのだが、その事をまだ主のドラゴンは知らない。


 クリムゾンは産まれて間もなく戦場に駆り出されたため、母と過ごした記憶はあまりないが、自身を産み出す際に取られた方法は母から受け継いだ記憶から知っていた。

「まずは卵を産めばいいんだよね。たぶん。」

 母から受け継いだ記憶は経験を伴わない借り物の知識であるため、やり方は分かるのだがいまいち実感が薄く自信が無いのだった。


 クリムゾンは曖昧な知識を頼りに自身の胎内にある卵の素に魔力を込めて有精卵を創り出した。母の知識によればここで込める魔力の性質により、産まれてくる眷属の特徴をある程度コントロールできるらしいので、クリムゾンはできるだけ強く賢い子が産まれる様にとぼんやり願いを込めた。

 注釈しておくとドラゴンは雌雄同体で単為生殖が可能であり、異性との交尾なしに単体で眷属を産むことができるのだ。単為生殖とは厳密には少し異なるが、雌単体での繁殖能力は原始生物に多く見られる特徴であり、それは生物が進化し雌雄に分かれる以前の太古の繁殖方法である。


<スポンッ>

 クリムゾンは胎内にできた卵を総排泄口から妙に軽い音とともに産卵した。

「よし産まれた。」

 再び注釈するが、総排泄口とは簡単に言えばうんこも卵も同じ穴から出てくるという、爬虫類や鳥類、魚類等といった比較的原始的な生物に見られる身体構造のことである。もっともクリムゾンに摂食行動は不要であり、うんこもしないアイドル体質なので、産み出すのはもっぱら卵のみである。そしてクリムゾンは産卵も初体験であるので実質不要な穴であったが、産まれてから数万年を経て総排泄口は初めてその役割を果たしたのだった。


 巨大なドラゴンが産んだ卵はその体躯に見合わずかなり小さいものだった。とは言え人間が丸々収まるくらいのサイズなので、他の生物の卵と比べれば遥かに大きかったが。

「なんか小さいけど、これでいいのかな?」

 当のクリムゾンにとっても初めての経験であるため、それが普通なのかもしくは何か異常があるのかすら判断できずにいた。

「まあいいや。次はとりあえず産まれるまで待ったらいいのかな?温めたり魔力を与えたりした方がいい様な気もするけど、うーん?よくわかんないな。」

 曖昧な知識は細かい部分になるほど自信が無くなっっていったが、知識とは関係なくドラゴンの本能で感じた卵を温めなければ、という感覚は正しいものだった。しかし小山程もある巨大なクリムゾンが小さな卵を抱くことは不可能であり、卵が自力で孵るのを信じて見守るしかなかった。

 ドラゴンの卵は鳥類の卵と同様で、親に抱かれて体温で温められ、体温×日数が一定の値に達する事で孵化する性質を持っている。そのため、本来であればこのまま見守っていても卵が孵る事はないはずであった。ところがクリムゾンが持つ魔力の特性によってその問題は解決した。クリムゾンが二頭のロード・ドラゴンと海溝の真上で邂逅した際、不慮の事故により致命傷を受けてしまった海鳥がクリムゾンの余剰魔力にてられて一瞬で回復した例から分かるように、クリムゾンが側に居るだけで周囲の生物は生命力が高まり生体活動が活性化するのだ。さらにその魔力の効果により、通常であれば数日は掛かる抱卵期間はグンと縮まり、あっという間に孵化可能な状態にまで成熟したのだった。


 手持ち無沙汰のクリムゾンがコロコロと丸い巨体を転がしながら見守っていると、ピシッと音を立てて卵にひびが入った。

<バリッ!バリッ!パリン!>

 そして軽快な音を立てて卵が割れ、ついに待望の眷属が誕生したのだ。眷属を産もうと思い立ってから大した時間は経っていないが、待望であることに変わりはない。

「おー!産まれた・・・のかな?」

 初めての眷属の誕生を喜ぶかに思われたクリムゾンだが、産まれてきた我が子を見て思わず言い淀んだ。なぜならその赤ん坊がドラゴンの姿をしていなかったからである。

 産まれてきた子供の姿はほとんど人間の赤ん坊と同じであったが、頭には角が、お尻にはドラゴンの尾が、そして背中にはクリムゾンとおそろいの七対の翼が生えていた。

「なんか思ってたのと違うけどまあいいか。」

 てっきりドラゴンの姿の眷属が産まれると思っていたクリムゾンは我が子の姿に一瞬戸惑ったが、細かい事は気にしない性格なのでさらっと流した。

「全然泣かないけど大丈夫かな?」

 ドラゴンと言えども産まれた直後に鳴き声を上げるのは人間と変わらない。まるで泣かない我が子を案じたクリムゾンは、長い尻尾を使い赤ん坊を優しくなでてみたが、赤ん坊はその尻尾を煙たそうに払いのけた。

「とりあえず元気みたいだしいいか。それじゃあ次は急速成長だね。準備はいいかな?」

 クリムゾンは産まれたばかりの赤ん坊には通じるはずのない言葉を掛けてから、全力で魔力を注ぎ始めた。


 クリムゾンの膨大な魔力の奔流が赤ん坊を包み込み、昆虫の繭の様に全身を覆った。そして、産まれたばかりだった赤ん坊は急激に成長し、あっという間に少女の姿になったのだった。

 成長した姿は赤ん坊の時と同様にほとんど人間の姿であり、身体の一部にドラゴンの特徴が現れているのみであった。ただし赤ん坊の時と異なり、産毛しか生えていなかった頭には美しい艶を湛えたブロンドの長髪をなびかせていた。そしてその顔はあどけなさが残るものの人類の価値基準からすればたいそう美しく、惹きこまれるような魔力を帯びていた。またその身体は豊満ではないものの健康的な丸みを帯び、少女から女性へと変わる過渡期特有の神秘的な美しさを持っていた。


 ドラゴンであるクリムゾンに人間の美醜はわからないが、その少女の姿にはどこか既視感があり、心地よい懐かしさを感じていた。そして、その懐かしさの正体を探るべく自身の記憶を遡ると、すぐに一人の好敵手に思い当たった。

 それは暴虐の悪龍がまだ眠りに付く前、世界に災厄を振りまいていた数千年前の記憶。巨大な怪物を相手取りたった一人で立ち向かった、勇猛果敢な聖女との激しい戦いの思い出だった。例によってクリムゾンは相手に合わせて手を抜いていたものの、その聖女はどんなに叩きのめされても決して折れることなく巨龍に立ち向かい、唯一クリムゾンと引き分けた人間であった。

 相手にやる気がある限り正に永遠にでも戦い続けるクリムゾンだが、聖女との戦いはクリムゾンとは別のドラゴンの横やりによって邪魔され中断してしまったのだ。そのため引き分けとなっている。

 この邪魔をしたドラゴンというのは親龍王国グランヴァニアの守護龍グラニアだが、それはまた別の話。ちなみに聖女はグランヴァニアの姫であり、悪龍専門のドラゴンスレイヤーでもあり、グラニアに仕える龍の巫女でもあった。属性過多で忙しい聖女である。彼女は三日三晩戦い続けてもまだまだやる気満々だったが、守護龍に諭されたため渋々クリムゾンから手を引いたのだった。彼女の名はエコール=サンライトといった。


 クリムゾンは有精卵を創り出す際に、強く賢い子が産まれる様にと願った。クリムゾンは『強く賢い』というイメージから、かつての好敵手である聖女との激戦を無意識に思い起こしたので、その思いが卵に込める魔力の性質に影響を与えていた。そして聖女の姿を我が子に映し出す結果となったのだった。

 魔力の性質は精神状態の影響を大きく受けるため、産み出された眷属が親の願いの映し鏡となる事はそれほど不思議ではなかったが、明らかにドラゴンとは違う姿で、それもかつての好敵手そっくりな姿で産まれたのは常軌を逸した事態だった。それは、ただでさえ強力な力を持つドラゴン種の、その中にあってなお異常と言えるほど強大なクリムゾンの魔力が引き起こした奇跡だった。

 しかし呑気な巨龍はそんな事もあるのかなと思うにとどまり、あまり深く考えなかった。


 一方放置された少女は、急激な成長による身体変化の違和感と、身に覚えのない記憶の処理のために硬直していた。クリムゾンから受け継いだ記憶に加え、なぜかクリムゾンの中にはあるはずのない聖女の記憶まで受け継いでいたため、その情報量は膨大となっていた。

 精神と肉体は相互に作用するため、聖女に近い肉体を持つ少女にとって聖女の記憶はまるで実際に経験したことの様に真に迫る物であった。それでも他人の記憶であることに変わりはなく、奥歯にスルメが挟まったような気持ち悪さを感じた。また少女がいくら聖女に似た姿形をしていても、クリムゾンが単体で産んだことには変わりないため、遺伝子的にはドラゴン100%であり、本質的に人間とは異なる精神構造を持っていたので、その事も聖女の記憶に気持ち悪さを感じる一因だった。

 なおクリムゾンの方の記憶は、その精神性が現れてまるで子供の絵日記のようなフワフワサクサクな軽い内容であったため、特に感じる物は無かった。

「大丈夫?」

 クリムゾンはなかなか動き出さない我が子を案じて声を掛け、再度尻尾を使って頭をなでようとしたが、少女には躱されてしまった。少女のそっけない態度に、嫌われてるのかな?と少しショックを受けるクリムゾンだった。

 他者を気遣う事などほとんどなく、闘争本能の赴くままに生きてきた破壊龍は、初めての我が子を得た事でほんのり母性に目覚めていたが、幼い精神性のためかその言動は幼児が母親を真似ているようなぎこちなさだった。そしてそのぎこちなさに危うさを感じたため、眷属の少女は巨大な尻尾を回避したのだった。要するに怖かったから避けただけで、クリムゾンを嫌っているわけではなかった。


 ほどなくして少女は記憶を整理し終わり、自身が置かれている状況を理解した。

 クリムゾンが願った通り、少女は産まれたばかりにも関わらず既に親であるクリムゾンよりも賢かったので、二種類のまったく異なる記憶をうまく咀嚼する事ができた。

「おはようございます。」

 地下大空洞の中は真っ暗だったため、今が朝なのか夜なのかもわからなかったが、少女は目の前の巨大なドラゴンにあいさつした。何はなくともアイサツは大切である。


 ちなみに一切の光が届かない暗闇でもクリムゾンは優れた感覚器官と、例のエコーロケーションとによって周囲を把握することができるが、産まれたての眷属の少女もまた親であるクリムゾンと同様の能力を有していたため、真っ暗な地下空間においても問題なくお互いを認識できている。


「おはよー!えっと・・・名前考えてなかったな、どうしよっか。」

 我が子に嫌われているのではないかと心配していた巨龍は、少女の第一声を聞いて思い過ごしだったか、と安堵した。そして彼女の名前を考えるためにうんうん唸りだした。

 いまいち頼りないドラゴンが頑張って名前を考えている姿を、少女は静かに見守っていた。それはまるで母親が我が子を見守るような、慈愛に満ちた表情であったが、関係性は真逆である。


 異端のドラゴンは初めての眷属を産んだことで、少しだけ成長し他者を気遣う愛情を手に入れたのだった。

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