第3話 センターは憑依系アイドル
いよいよ高校での授業がはじまった四月中旬。
夜、リビングのソファに座って歌番組を眺めていると、いずみさんが帰ってきた。
「勇くん、ただいまぁ」
いずみさんがのんびりとした声を伸ばす。表情にはわずかに疲労の色がにじみ、声にもなんだか張りがない。
無理もない。朝から大学の講義に出て、午後はレッスンに収録。よく身がもつなと感心してしまう。
「いずみさん、ちょうど『ヴァルキュリア』が出てきたよ」
「よかった、間に合った」
いずみさんはぼくの隣にすっと腰を下ろした。
画面に映っているアイドルが、ちょうど今ぼくの真横に座っている。なんだか不思議な気分だ。
『ヴァルキュリア』のメンバー12人がステージ上でところ狭しと踊り、歌う。優美さと力強さを兼ねそなえた圧巻のパフォーマンスに、ぼくは目を奪われた。
「これ、今週発売の新曲なの。テレビ初披露だから、どんなふうに映っているのか、収録した時からずっと気になっていて」
張りつめたステージの緊張感をあまり感じさせないおっとりとした声で、いずみさんは教えてくれた。
いずみさんの顔が、テレビ画面にアップで映る。
涼やかな瞳、きれいな唇。気持ちの入った美しいキメ顔に、思わず吸いこまれそうになる。
「かっこいいね、いずみさん」
「そ、そうかな? 自分ではよくわからないよ。でも、勇くんがほめてくれるなら嬉しいな」
いずみさんは安心したように表情を和らげる。
すらりと線が細く、黒髪ロングが似合う色白のいずみさんは、美人ぞろいのメンバーのなかでも特に品格をただよわせている。
けれども、いずみさん以上に目立っているのは、センターをつとめるアイドル――
ダイナミックで切れのあるダンス。可憐にかつ力強く響きわたる美声。なにより、視聴者を釘づけにする、射すくめるような目力。
美聖さんはセンターに堂々と君臨し、まさに
「すごいよね、美聖さん」
いずみさんが感心したように言う。
「美聖さんは私より二つ年上なんだけどね。たとえ私があと二年がんばっても、今の美聖さんに追いつけている気が少しもしない。この人は本当に天才。アイドルになるために生まれてきたんだと思う」
そう語るいずみさんの目は真剣そのものだ。まるで天馬美聖を分析するかのように、一挙手一投足をじっと注視している。
曲が終わると、いずみさんはふうーっ、と息を吐き出した。
「美聖さん、輝いているよね。……勇くんも、美聖さんみたいな人が好き、だよね?」
いずみさんは探るような目をぼくに向けてくる。
ぼくはどう答えたものか一瞬とまどったものの、素直な感想を伝えた。
「美聖さんはたしかに歌も踊りも上手だし、ボーイッシュで格好いいし、人を惹きつける魅力があって、さすがエースだなって思うよ」
「うぅ……。そうだよね、私もそう思う」
「でも、なぜかいつもいずみさんの姿をつい目で追っちゃうんだよね。ぼくの心のセンターがいずみさんだから、なのかな」
「はぅっ!」
ぼくが素直な思いを打ち明けると、いずみさんは頬を朱に染めてうつむいた。
それから、おずおずと目線を上げて、ぼくに再度たずねてきた。
「勇くんは、その……私にセンターに立ってほしい?」
「うーん、いずみさんがもしセンターに立てたら嬉しいけど、今よりもっと遠い存在になっちゃうような」
すると、いずみさんは首を左右にふった。
「ううん、遠い存在にはならないよ。私はずっと勇くんのそばから離れられないから」
いずみさんはそう言うと、座り直し、遠慮がちにぼくとの距離をつめてきた。
ぼくはドキッとして、いずみさんの表情をそっとうかがった。
いずみさんのきれいな横顔には、憂いの色が浮かんでいる。
「私ね、一人で暮らしていた時は、夜が辛かったの。不安に押しつぶされそうで、闇に飲みこまれてしまいそうで……。でも、今は勇くんがいてくれる。私ね、勇くんの存在にすごく支えられているんだ。だから、私が勇くんから離れるなんてありえないよ。遠い存在になんて絶対になれない」
「いずみさん……」
いずみさんの声には思いつめたような重い響きがあった。
いずみさんはハッと我に返ると、急に慌てだした。
「ご、ごめんね。変な話しちゃって。やだ、私ったら。なにを言っているんだろう? 勇くん、気にしないでね」
いずみさんは頬を赤らめうろたえている。
ぼくはいずみさんに微笑んだ。
「ううん。むしろ嬉しかったよ」
「嬉しい?」
「うん。ぼく、いずみさんのうちにお邪魔して、迷惑かけているんじゃないかなって、引け目を感じていたから。ぼくなんかでもいずみさんの支えになれているのなら、すごく嬉しい」
「勇くん……」
いずみさんは瞳をうるませると、ぼくの左腕に自分の両腕をからめてきた。そして、ぼくの左肩の辺りにそっと頭を寄せた。
「いずみさん?」
「勇くんが優しいからいけないんだよ。そんなこと言われたら、もっと甘えたくなっちゃう。ダメなお姉さんでごめんね」
「いずみさん、もしかして疲れてる?」
「ううん。疲れているなんて言っていられないよ。学生とアイドルを両立させるって決めたのは自分だし。この程度で疲れたなんて言っていたら、きっとこの世界では生きていけない」
そう告げるいずみさんの瞳には、まさに戦う乙女の覚悟が宿っている。
けれども、凛としたその美しい顔にも、淡い影が差している。
「……でもね、時々誰かに甘えたくなるの。だから勇くん。もう少しだけ、このままでいさせて」
いずみさんはそう言って、静かに目を閉じた。
ぼくはなにも言えなくなってしまう。
部屋のなかを沈黙だけが流れていく。
さっきまでテレビに映っていたまぶしいアイドルは、今、ぼくの隣でこんなにも儚げで弱々しい。
――いずみさんのこと、守ってあげたい。
ぼくは胸のなかでひそかにそう思った。
しばらくすると、いずみさんは目を開き、立ち上がった。
「ありがとう。勇くんのおかげで元気になれたよ。私、がんばるね」
「がんばるって、今からなにかするの?」
「うん。今テレビを見ていて気になった箇所があったから、振り付けをもう一回確認する」
いずみさんはそう言ってリビングを出ようとし、足を止めた。そして、ぼくにふり返った。
「笑われるかもしれないけど、私、一度はセンターに立ってみたい。センターに立つことが、私を応援してくれる人たちへの感謝の表明につながると思うから」
いずみさんは遠慮がちに、しかし、はっきりとした口調で言った。
「それに、『努力は人を裏切らない』って信じていたいから。だから、奇跡に近いことだってわかってはいるけれど、もっといっぱい努力して、センターを目指してみるね」
そう告げるいずみさんの表情はキラキラと輝いていた。
( 次回:「ひとり握手会」)
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