第2話 同居はじめました
ぼくのいとこは人気アイドルグループ『ヴァルキュリア』のメンバー、兎見いずみだ。
ぼくは今、このいとこと同居している。
さかのぼること、二か月前――。
「え? 勇くん、四月から都内の高校に進学するの?」
スマートフォンから、いずみさんの驚く声が耳に届く。
いずみさんは大学進学を機に都内で一人暮らしをはじめていた。それでもぼくを気にかけてくれて、電話やLINEなどで交流は続いていた。いずみさんは、昔からぼくのことを実の弟のように可愛がってくれるのだった。
「うん。家族と相談して決めたんだ」
「勇くん、成績いいもんね。おじ様もおば様も、きっと期待なさっているのでしょうね」
「そんな。いずみさんにはとうてい及ばないよ」
いずみさんは最高峰の国立大学に通う三年生だ。高校時代に十年に一人の秀才だと騒がれていたのを、ぼくは知っている。
「それで、どこに住むかは決まっているの?」
「ううん、まだ。これから探すつもり」
ぼくがそう告げると、いずみさんがスマートフォンの向こうでもじもじしはじめた。
「あのね、勇くん。提案があるんだけど……」
「提案?」
「うん。勇くんさえ嫌じゃなかったら、私のうちで一緒に暮らさない?」
「えっ、いずみさんのうちで?」
ぼくはとまどった。
「いずみさん、アイドル活動やっているんでしょう? ぼくがいたら迷惑にならない?」
いとことはいえ、ぼくも一応男なわけで。アイドルと同じ部屋で暮らしていてもいいのだろうか?
「ふふっ、大丈夫だよ。事務所が勧めてくれたマンションだから、セキュリティも万全だよ?」
「そう言われても」
あまりに急な話で、判断がつかない。
ぼくが返事に窮していると、いずみさんがさらに言葉を重ねた。
「私のうち、一人には広すぎるの。私が普段過ごすスペースのほかに、使っていない部屋がもう一つあってね」
「そうなんだ」
「それでね、帰ってくるといつも真っ暗で、空気が冷たいの。本当は猫でも飼いたいのだけど、マンションだから無理だし。だから、勇くんがいてくれたら嬉しいな」
「いずみさん、もしかして寂しいの?」
「さ、寂しくはないよ。私は勇くんよりお姉さんなんだよ? 心配しないでね」
いずみさんの動揺が声から伝わってきて、かえって心配になってしまう。こうしてぼくに電話をくれるのも、もしかしたら寂しさを紛らせるためなのかもしれない。
「勇くんも想像してみて。身寄りのない都会で一人暮らしをしている自分の姿を」
「自由な時間が増えて、楽しそ……」
「ほぉら、寂しくなった! ねっ、寂しいよね?」
いずみさんはぼくに最後まで言わせず、自分の意見を押し切ろうとする。
「勇くんだって、家に帰ってきた時に誰かに『ただいま』と言えるのって、いいなと思うでしょう?」
「それはそうかもしれないけど」
「私も勇くんがうちにいてくれたら安心だし。勇くんだって、私と一緒のほうが安心だよね?」
「…………」
「なんでそこで黙るかなあ?」
「ごめんごめん」
ぼくは苦笑した。
たしかに、頼る人のいない場所で一人暮らすより、いずみさんと暮らしたほうがずっと安心にはちがいないのだけど……。
いずみさん、落ち着いているようで案外おっちょこちょいだから。一抹の不安がよぎる。
「勇くん、もしかして私の過去の失敗を思い出したりしていないよね?」
「そういえば昔、ティファールの瞬間湯沸かし器の使い方がわからなくて、やかんと同じように火にかけたよね?」
「もうっ。そういうことは思い出さなくていいの。私だってあれから成長したんだから」
スマートフォンの向こうでえっへんと胸を張るいずみさんの姿が目に浮かぶ。
たしかに、いずみさんは成長した。
まさかアイドルになってテレビや雑誌などに登場する日が来るなんて、夢にも思っていなかった。
ぼくの記憶のなかのいずみさんは、セーラー服におさげ、黒縁めがねをかけていて、たいてい参考書を片手に勉強をしているか、文庫本やアニメの世界にひたっていた。
ぼくが過去を回想していると、会話が中断してしまう。
その間、いずみさんはなにを思ったのか、声がしんみりと湿り気を帯びてきた。
「ぐすっ……やっぱり、私と一緒じゃ心配? 勇くんは、私とは暮らしたくない?」
「えっ? いや、別にそういうわけじゃ」
「ひっく……正直に言ってくれていいんだよ? ……どうせ私なんて勉強くらいしかできないし、本当は根が暗いし、運動も得意じゃないし、大人の色気もないし、周りのアイドルの子みたいにかわいくもないし……。ああ、どうして引っ込み思案なのにアイドルになんてなろうと思ったんだろう? 高校時代の私のばかばかっ! あの頃の自分を呪い殺してやりたいわっ」
「いずみさん、ストップ!」
このまま放っておくといずみさんが暗い絶望の果てまで行ってしまいそうで、ぼくは慌てて制止した。
実は、いずみさんは時おり情緒不安定な顔をのぞかせる。アイドルって、ぼくが思うよりずっと大変なのかもしれない。
ぼくはなぐさめるような優しい声で言った。
「いずみさんは十分かわいいし、すごいなって思うよ。いずみさんは、今も昔も、ぼくの憧れだから」
本音だった。
国立大学に進学して、一人暮らしをはじめて。おまけにアイドルにまでなって。いずみさんは、いつだってキラキラと輝いている。いずみさんはぼくにとっての太陽だ。
「うぅ……本当に?」
「本当だよ」
「ほんとに本当?」
「本当だって」
「ほんとにホントに本当?」
「もう。本当だってば」
「じゃあ、私と一緒に暮らしてくれる?」
「うん。――えっ?」
まんまと誘導尋問にひっかかってしまうぼく。気づいた時にはすでに遅し。いずみさんはほっと安堵の息を吐いた。
「よかった~。グループの人気が出ちゃってから、実は一人で買い物に行くのもなんだか怖くて、どうしようかと思っていたの」
いずみさんは照れくさそうに打ち明ける。
そういう事情があるのなら、先に言ってくれたらいいのに。
「いずみさん、家族には相談した? おじさんもおばさんも、いずみさんが困っていたらすぐに飛んでいくと思うよ」
すると、いずみさんが小さく息を吸った。
「あのね、勇くん……」
ほんの少しの間のあとで、秘め事をそっと打ち明けるかのように、小声がもれた。
「……べつに、誰でもいいってわけじゃないんだよ?」
「えっ?」
「ううん、聞こえなかったならいいの。気にしないで」
いずみさんは慌ててごまかすと、強引に話を進めた。
「それじゃあ、おじ様には私のほうからお話しておくから。春からよろしくね、勇くん」
こうして、平凡なぼくと人気アイドルとの同居生活がはじまった。
( 次回:「センターは憑依系アイドル」)
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