第29話 空を見上げれば

 バルカタル帝国の帝都にあるレイシィア(平民の街)のカイロは新年の祝いで活気づいていた。

 食べ物など通常の露店はもちろん、一年の吉兆を占う店も並ぶ。


 皇族が参列する新年行事では希少な上級魔物が占うのだが、ここでは魔物の力なのか魔道具の力なのかもわからない怪しげな占いが多い。背中を叩いて赤くなった部位を見るという奇抜な店もあった。


 ツバキとカオウは毎年信憑性より面白そうな占いを選んでいる。先程の占いでは魚を使っていたが、あれはカナゴだったかクナギだったかで二人は揉めていた。


「カナゴだったわ」

「いいや、絶対クナギ」

「だって色が薄かったもの」

「だって生でも美味うまそうだったし」

「それはよくわからないけれど」


 言い合っていても手を繋いで歩く二人の背を追うのがトキツだ。肩に乗ったギジーに髪先を弄られている。


「占いの結果はどうだったんだ?」


 振り返った二人は反応に困る表情をしていた。

 ツバキは半信半疑の目をカオウへ向け、カオウの顔は引きつっている。


「私は『病に気をつけろ』だったのだけれど、カオウは『過去の恋人と縁切りすべし』だったの」


 トキツとギジーの目が点になった。


「カオウ、恋人いたのか!?」

「いねーよ!」


 あの占いインチキだ! と憤るカオウ。

 トキツは恐る恐るツバキの顔色を窺う。


「別に気にしていないわ」


 ツバキが微笑むと男たちの背筋が凍った。

 焦ったカオウがツバキの肩を掴み、必死に弁明し始める。

 ツバキは適当に相槌を打ちながら、話を逸らせないか周囲を見回した。

 ここは皇帝即位の祝賀パレードでも通った円形の広場だった。

 子どもたちが十二神を模した紙人形を飛ばして遊んでいる。

 専用の木札で操作するのだが、魔力量が安定していないと思わぬところへ飛んで行ってしまうことがある。

 ちょうど火蝶という魔物の紙人形がツバキの足元に落ちた。炎のような羽が右側だけパタパタと動いている。

 拾い上げると、持ち主らしい六歳くらいの男の子が走って来た。彼の友達から「またか」「へたくそ!」と揶揄されて半泣きだった。


「ありがとう、お姉ちゃん」


 男の子がつらそうな顔で小さな手を差し出す。

 ツバキはしゃがんで男の子と同じ目線になると、紙人形を渡して頭を撫でた。


「左右の羽に同じ量の魔力を流すのよ」

「でもぼく、うまくできなくて」


 やってみてと頼むと、男の子は両手で木札を握りしめた。

 ツバキは後ろからそっと手を添える。


「高く飛ばそうと力が入りすぎてるみたい。火蝶は羽が長いから、少しの量で綺麗に飛んでくれるわ」


 男の子の手から余分な力が抜けた瞬間、紙人形がふわりと浮いた。

 しばらく左右に振られていたが、一緒に動かしているうちにまっすぐ飛ぶようになってきた。

 一度風に乗ってしまえば簡単だ。ツバキが手を離しても左右の羽は同じように動き、美しい紅色をはためかせている。

 その様子を見ていた男の子の友達が「うわあ!」「すごいすごい!」と歓声を上げた。


「ありがとう!」 


 興奮気味に去っていく男の子の後ろ姿を、ツバキは懐かしそうに目を細めて見送る。


「優しいな、ツバキは」


 カオウがツバキの両手を握った。

 ツバキは上目遣いで握り返す。


「昔、カオウに同じこと言われたなって思い出したの」

「そういえばそうだったな。火蝶だけ飛ばせなくて、泣いてたっけ」

「そこまで思い出さなくてもいいじゃない」


 照れたツバキが頬を膨らませると、カオウは「ははっ」と笑う。


「終わったなら、あっち行こう。トキツが絵のモデルになってる」

「モデル?」

「なんか、ギリギリの哀愁を表現するのにピッタリだって頼まれてた」

「どういうこと?」

 

 半笑いのカオウが示した先には、噴水の前でしゃがんで顎に拳を当てるポーズをしたトキツがいた。

 心なしか哀愁が漂っている。

 カオウに手招きされたが、ツバキは動かない。


「行かないのか?」

「もうちょっとだけ、あの子たち見てる」

「人多いから気をつけろよ」

「あんまりトキツさんからかっちゃだめよ」

「わかってるって」


 カオウはニヤニヤしたまま噴水の方へ歩いていった。

 あれはわかっていないなと思いつつ、ツバキはカオウの肩越しに噴水を眺める。


 パレードの事件からあと二ヶ月ほどで一年になる。

 当時爆発した噴水はすぐに修復され、僅かな傷も残っていない。

 人々の記憶にもあまり残っていないかもしれない。事件の真相も、それに関わった人たちの思惑も、彼らには何の関係もないのだから。


 ドンッと誰かがぶつかってきた。

 ぼんやりしていたツバキは転びそうになるが、寸前で誰かに抱き留められる。


「大丈夫ですか?」

「ええ。ありがとう」


 二十代前半の、人のよさそうな男性だった。


「あの……?」


 優しく見つめられたツバキは戸惑う。

 知らないはずの男性。しかし薄墨色の瞳の奥に、どこか見知ったものを感じた。

 男性はツバキを支えると、柔らかく微笑し無言で立ち去る。


 彼の背中に懐かしさは微塵もない。

 気のせいだと思い、ふと視線を落とすと、肩に下げていたカバンが開いていた。


「!?」


 まさかスリだったのかと慌ててカバンの中を確認したツバキの目が見開かれる。

 写真が入っていた。

 鮮明ではないが、写っていたのは紛れもなくツバキとナナ。


 瞬時に顔を上げる。

 男性が歩いて行った方角に小柄な少女がいた。

 少女はツバキに向かって、べえっと舌を出す。


「ナナ?」


 ナナはにこっと笑って背を向け、先ほどの男性の腕に手をかける。

 二人は追いかける間もなく雑踏の中へ消えた。

 それでも凝視し続けていると、カオウが前に立つ。


「ツバキ、大丈夫か?」


 はっとしてカオウを見上げる。

 ツバキは言うべきかと自問した。ナナがいたのなら、あの男性はきっとレオだ。

 バルカタルは今も彼を追っている。


「今ね……」


 一度口をつぐみ、数秒考えてから、再び開く。


「私は今、ツバキだから」


 そう断言すると、カオウはきょとんとした。


「当たり前だろ。それより、もうすぐ描き終わるみたいだぜ」


 差し出された手を取り、彼らに背を向けて歩き出す。

 見上げた青空は高く、どこまでも広がっていた。

 ツバキはそれで充分だと思った。

 見上げれば同じ空がある、それだけで。

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