第17話 戻らない時間1
ツバキはトキツが去っていく後ろ姿を見送る。
(心配させちゃってるなあ)
思った以上にカオウの気持ちに触れて参っているらしい。思念で相手の感情に触れたのは初めてだった。そんなことができるとは聞いたこともなかったが、あれは自分の気持ちではないことは確かだ。
次カオウと会ったとき、どんな顔をすればいいのだろう。いつも通りにしようにも、果たしてカオウは本当に酔っていたのだろうか。酔っていたなら、記憶はあるのか、ないのか。
風呂の入口でしばらく立ったまま動けなかった。考えることはたくさんあり、温かい湯の中で気持ちを落ち着ければ何かいい考えが浮かぶかもと思っていたのに、なぜか中に入れない。
罪悪感に苛まれて、落ち着くことは許せないと自分に科しているのか。
そんなことをしてもどうにもならないのに。
何をしているんだろうと自嘲して入口へ手をかけようとしたとき、視界の隅にある色が飛び込んできた。
鮮やかな赤。
あれは……。
咄嗟に足が動いた。考えなんてなかった。
ただ足が勝手にその色に吸い寄せられた。
人混みの中でも目立つ色。
ほろ酔いの観光客の波をかきわけて追う。
段々と人が少なくなり、閑散とした路地裏へ続く曲がり角を曲がった。
何もない。誰もいない。
見失った。
そう落胆したとき。
後ろから口を塞がれて、さらに細い道へ連れ込まれた。
「んー!!」
「静かにしろって」
じたばたもがき、声を聞いてピタリと止まる。
ツバキが大人しくなると口から手が離れた。
見上げると、したり顔の男がいた。
「レオ。どうしてここに」
「それはこっちのセリフだ。どこにでもいるな、お前。本当に皇女か信じられなくなってきた」
ははは、と大きな口を開けて笑う。
レオは浴衣姿ではなく深緑の上衣とゆったりとした黒い長ズボン、灰色の外套を着ていた。
口は自由になったが体は拘束されたままだ。後ろから左腕一本で抱き寄せられている。左腕を引きはがそうとしたが叶わず、反対に右腕も追加されてしまった。
「離して」
「そっちから会いにきたくせに」
「そんなわけないでしょう」
「息切らして。そんなに俺に会いたかった?」
「自意識過剰よ」
この通りには他に誰もいなかった。
提灯のような明かりが温泉街を彩るように魔法で上空を漂う他、明かりもない。
街の喧噪は遠い。
「……あなたは軍が追っているはずでしょう。こんなところでのんびりしていていいの?」
「ツバキもそんなに落ち着いていていいのか?攫うって言ったのは嘘じゃない。このまま連れ去ってやろうか」
幼い子供を抱っこするように簡単に持ち上げられた。腕に座り、レオを見下ろす格好。
さすがにまずいと焦り瞬間移動しようとしたが、まったく何も起こらなかった。
「!?」
何度試しても移動できず、塀の上に寝転んでいた三叉の猫の魔物を呼んでも反応がない。
その焦燥に気づいたレオが鼻で笑う。
「無駄だ。俺がロナロに協力していたと知っているだろう。パレードで使われた赤い石を見たことはあるか?」
レオがピラミッド型の赤い石を三つ外套から取り出した。
これは魔力を吸い取ることができる道具だ。ギジーの透視能力が使えなかったことをツバキも覚えている。
「これがあれば俺に触れているお前も魔法は使えない」
レオが獲物を追い込んだような得意げな笑みを浮かべた。
ツバキの顔からサーッと血の気が引き、不安定な態勢にも関わらず再び暴れ出し、よろけて頭から落ちそうになる。
「ちょっ!あっぶねえだろ」
「離して!」
「おい!落ち着けって!」
背中を支えられながらストンと地面に下ろされ、がむしゃらに暴れる体をきつく抱き締められて動けなくなる。
レオから苦笑が漏れた。
「ったく。猫みたいだな」
「離して。捕まるわけには……」
「連れ去りたいのは山々だが、今は間が悪い」
ツバキは抵抗をやめてレオを見上げた。
「まだ何か企んでいるの?」
「俺は依頼された仕事を片付けてるだけだ」
依頼された仕事、とオウム返しして、レオの外套の襟をグイッと引っ張った。
ツバキが大人しくなったと油断していたレオは面食らう。
「ロナロの村を襲ったのはレオなの?リタたちを連れ去ったのはどうして?どこに隠しているの?」
「なんだそれは?」
「とぼけないで!ロナロの人たちが連れ去られたのはわかっているの!」
「どういうことだ?」
レオは怪訝な顔で首を捻った。隠しているようには見えない。
ツバキは襟をつかむ力を緩めた。
「知らないの?本当に?」
「ああ。あの村長とはパレードが終わった時点で契約は切れてる。報酬はもらっているから、村を襲うなんてことはしない。無論、誰かを連れ去るなんてこともする必要がない」
「契約ってどんな契約?ケデウムの副長官が裏で手を引いていたって本当?」
食い入るように見つめると、レオの顔が冷酷なものに変わる。見たことのない表情だった。これが仕事をするときのレオの顔で、彼は本当に人を殺すことも厭わないような仕事をしているのだと痛感し、ゾクリと冷たい汗が流れる。
「本当に知りたいのか?皇女が聞くような話じゃないぞ」
「……知らなきゃいけないのよ」
ここで怯んではいけないと、ツバキも己を奮い立たせて睨み返す。
レオの目が、また面白いものを見たとでも言うように細められた。どこまで話していいものかとツバキの表情を探る。
「副長官のことはどこまで知っている?」
「ロナロとレオの仲介者で、村長たちにパレードで皇帝を狙わせて、自分はケデウムの州長官であるフレデリック兄様を殺そうとしてたと聞いたわ」
「そこまで知ってるのか。お前は政には関わっていないと聞いていたが」
「そんなことどうでもいい。早く教えて」
ツバキが凄むと、レオはふっと口角を上げる。
「生意気だなあ。まあいい。お前の言う通りだ。副長官からロナロの復讐に協力するよう依頼を受けた」
「レオの商会は殺しも請け負っていると聞いたけど、協力だけなの?一年間も?」
「あのな、俺は武器や情報を売ってるだけだ。副長官は州長官が邪魔で、ロナロの奴等はバルカタルに復讐したかった。ついでに俺はこの赤い石がどこまで通用するか試したかった。利害が一致したからあそこまで協力してやったんだ」
「人の命も商品みたいに言うのね」
彼は人を殺すための道具を躊躇なく売り付ける人間だ。パレードでは父や兄たちの命を狙っただけでなく、なんの罪もないルファも巻き添えになるところだった。
侮蔑の目を向けると、レオは冷めた目で見返した。
「皇族がそれを言うのか。お前たちは、自分の力を誇示するために人を殺して国を奪う人種だ」
そう告げるレオはツバキを通して誰かを見ているようだった。何かを憎んだ過去を冷静に受け止めたような、冷たく、諦めにも似た眼差し。
「……レオも……バルカタルを恨んでいるの?」
声に出して、ズンと心が重くなる。
ツバキは自分の生まれ育った国が好きだ。だが今は平穏なこの国が、ほんの少し前まで侵略を繰返してきたことも知っている。自分の祖先がそれを命じてきた立場であることも。ロナロのように、今も憎しみに囚われている人がいるということも。
彼もこの国に翻弄された人なのかと複雑な気持ちを抱いていると、頬にレオの長い指がそっと触れた。
レオが強張っていた表情を和らげる。
「……この国は恨んじゃいない」
空を漂う丸い提灯の辺りが二人をほのかに照らす。
薄暗がりの中にふいに差した明かり。二人しかいない空間。布地の上から伝わる体温。
胸の奥がギュッと痛む。
ツバキを見つめるレオの瞳がわずかに揺れたのを見て、咄嗟に俯いた。
「パレードの後、ロナロに何があったか聞いていないの?」
レオはツバキの頬から指を離し、しばし記憶を辿る。
「軍が村を封鎖したことは知っているが。村は襲われたのか」
「そう。何人か連れ去られて、他の人たちは……。本当にレオがやったんじゃないのね?」
「ああ。だが、心当たりならある」
「何か知ってるなら教えて」
ツバキは顔を上げてレオの服を掴みながらつま先立ちになった。自然と顔が近くなり、レオが目を瞬かせる。そして何か思いついたように不敵に笑った。
「これ以上は情報料をもらわないとな」
「情報料?」
「百万リランはどうだ?」
「百!?ぼったくりでしょ」
「皇女ならそれくらい払えるだろう」
「だからって吹っ掛けすぎよ。二十万」
「皇女のくせに値切る気か。案外ケチだな」
「皇女皇女うるさいわね。だいたい今は一リランも持ってないのよ。宿へ戻らないと」
「それなら体で払ってもらってもいいぜ」
「ばっ。ばかじゃないの!」
顔を赤くしたツバキを見て、今度は豪快に笑った。
「どうせ次は攫う気でいるしな。今日はツケといてやる。ちょっと待ってろ」
レオはズボンのポケットから小さな楕円形の鏡を取り出す。見たこともない道具をツバキは興味津々で覗き込んだ。
「何それ?」
「これは遠くにいる相手と話ができる魔道具」
通常、遠くの相手へ連絡するには魔物(ツバキたちが飼っている綿伝の他に、鳥や蛙などがいる)を使う。もしくは、交鏡という魔力を込めた水を張った大掛かりな装置もあるが、高額なので一部の貴族しか持っていない。
「それもレオの商会で売っているの?」
「ああ。かなり魔力を使うから、長くは使えないがな」
「そうなんだ……」
言外に落胆した感が出ていたのか、レオは少しムッとした。
「そのうち魔力なんかなくても話せる通信手段ができる」
「魔力がなくても?魔物がいなくても?それはいくらなんでも難しいでしょう」
ツバキが目をぱちくりさせると、今度はニカッといつもの笑みになった。
「極東の国では、遠隔地へ声を届ける道具が開発されたそうだ。俺もまだ見たことはないが、いつか必ず手に入れる」
「極東の国?」
「ああ。この国で東の国として認識されている国々よりさらに東だ。そこでは魔力なんてものに左右されず、誰でも扱える道具で溢れているそうだ。誰でも等しく上を目指せ、なりたいものになれる」
そう語るレオは無邪気な少年のように目をキラキラさせていた。そこには先ほどの冷酷な目をした商人なんてどこにもいない。憎しみも、諦めもない。
また発見した新たな一面。
レオはどんな過去を過ごし、今は何を思い、これから何を追って生きていくんだろう。
ついそんな興味が芽生えた。
「知りたいなら、逃げるなよ」
レオは赤い石を地面に置くと、ツバキの右耳を塞ぎ、左耳を自身の胸に押し付けた。
くぐもった声は誰かと会話しているようだが、内容は聞き取れない。
ツバキの耳に、ドクンドクンとレオの心音が届く。
自分の鼓動もいつもより強く感じる。
自分の鼓動の方が早くて悔しいと思ってしまうのはなぜなのか。
カオウの顔を思い出して胸がチクリとした。
鬱屈した気分で数分を過ごした後、急に耳が自由になり音が明瞭になった。
レオはすかさず赤い石を服へ仕舞う。
「わかったぞ。連れ去られた場所」
「どこ!?」
必死になったツバキがレオの体を揺らす。
「ちょっと待て。その前に一つ教えてくれ」
「……何?」
「ロナロがなぜ魔力がないか知っているか?」
ギクリと身を強張らせる。魔力ではなく霊力があったからだが、それを知られるのは良くない。
「なぜそれが知りたいの?」
「どうなんだ」
「知らないわ。ロナロの存在自体、帝都では忘れられていたくらいなのよ」
レオはツバキの嘘を信じたのか、はなから大して興味がないのか、レオは「そうか」とつぶやいた。
「連れ去られた目的はこの赤い石を作るためだ」
「赤い石?」
「この赤い石は、魔力のない人の血でできている」
「…………血?」
ツバキは驚愕で目を見開き、おぞましさで身震いした。
「勘違いするな。血と言っても少量で作れる。本来は魔力を封じ込める方法を探すために開発したらしいんだが、魔力のない人の血で作ると魔法を無効化できることがわかり、対魔法の武器として生産を始めた。それを知ったケデウムの副長官は、ロナロという特殊な民族に着目したんだ。ロナロは帝都とケデウムという魔力が高い国に挟まれながら村人全員に魔力がない。そんなロナロの血で作れば、さらに精度の良い物が出来るのではと考えて、赤い石の研究者の一人と共謀したらしい」
「……武器を作るために村人まで殺したと言うの……?」
ツバキは硬く拳を握った。そんなことのために人の命を弄ぶなど許せない。
「どこにいるの?」
「その赤い石はケデウムの山にある城で研究しているそうだ。どうやらロナロの血では無効化ではなく変な効果のある石ができるらしい。皇帝の犬が調べているようだから、ここまでヒントをやればすぐわかるだろう」
「勿体ぶるのね」
そこまで言ったなら最後まで教えてほしいと
「情報料をくれないからだ」
「ツケなんじゃないの?」
「そう言うなら払う気あるんだろうな?」
あるわけない、と喉まで出かかった言葉を飲み込む。今日は連れ去らないというなら次は捕まらないように気を付ければ払う必要などない。
しかしそんな考えはお見通しだったようだ。
レオはツバキの顎を人差し指で上げた。獲物を狙う捕食者の獰猛な目に変わっている。
「少しだけ今貰う」
「は、離して!」
体を捩り暴れだすが、今度のレオは本気らしくピクリとも動かなかった。
「や……やめて。お願い」
懸命に首を反らして手から逃れて、左へ捻る。すると何かを見つけたレオがツバキの浴衣の襟を広げた。ひんやりした空気が右肩を撫でる。
「……こんなとこに授印の証?」
レオが見つけたのはカオウがつけた金色の印だった。通常なら手首に刻むはずのそれがこんな場所にある意味に気づかないはずはない。なにせ印の上には、赤い痕までついていた。
「また印を結んだのか。やっぱりそういう関係だったのか、魔物と人なのに」
「違うわ。そんなんじゃない」
「キスマークまでつけておいて。なんだか腹が立つな」
「―――痛っ」
レオが右肩の印に噛み付いた。
「痛い!やめて!」
歯の痕がつくまで噛み、レオはその上へ舌を這わせる。
ゾワッと嫌悪感が湧いた。
「やっぱりこのまま連れ去りたくなってきたな」
「離して!嫌!!」
ツバキは体中に力を入れて瞬間移動できるよう念じたが、赤い石の効力で逃れられない。その間にもレオのキスは鎖骨へと降りてくる。
不快感が体中を駆け巡った。
(助けてカオウ!!)
カオウの姿を思い描いた刹那、パキッという音がし、体が一瞬浮く感覚が訪れる。
ツバキはレオの腕から消え、すぐ目の前に倒れた。
「……お前」
茫然としていたレオがはっとして赤い石を取り出す。三つあった石はすべて真っ二つに割れていた。この石を割ったことがあるのは、先代皇帝のみ。
「お前は何者なんだ?なぜそんな強大な魔力があるのに、州長官にすらなっていない」
レオはツバキを再度捕まえようと手を伸ばす。
しかし、その手はツバキに届く前に払いのけられた。
払いのけたのはツバキではなく。
「ツバキに触んなよ」
不機嫌な顔のカオウだった。
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