第15話 お酒の力

 エイラトとケデウムの州境にあるレイシィア(平民の街)のテヘルは温泉街だった。いたるところから湯気が立ち上ぼり、昼間から温泉巡りをしている浴衣姿の観光客とちらほらすれ違う。


 気軽に親しめる無料の足湯やどこへ飾るのか悩みそうな派手な掛け軸が並ぶ土産物屋、そして串物やお菓子を売る店が軒を連ねる道を食べ歩きながら進み、ツバキたちは改装したばかりの大きな宿に入った。宿の値段としては上の下、平民でも比較的裕福な層が泊まり、警備もしっかりしている宿。本当に泊まるわけではなく、夜は城へ瞬間移動して帰るつもりだ。


 アフランと別れてから、すでに二日経っていた。

 最初に、州を跨いでいる川で精霊にリタたちの居場所を確認した。この辺りはウォールス山から遠く離れており、精霊の加護の範囲外だったが、それでも川を覗き語りかけると精霊が現れた。しかもリタを最初に見つけた精霊だと言う。

 その彼がイーヴィル湖よりは"少し近づいた"と言ったので、やはりケデウム方面にリタたちはいるとわかった。だが精霊を追跡して居場所を探すのは時間がかかる上に、水がなくなり地中へ潜られるとトキツとギジーの能力でも見つけられず、困難を極めた。


 それでも他に手がかりもないので精霊の言葉を頼りに、より近い場所を求めて歩き続けていたのだが、取っ掛かりが全く見つからない調査にカオウが飽き始め、慣れない霊力を使いすぎたツバキが倒れそうになったので、今日はエイラトのこの温泉街で休もうということになったのだった。


「意外といいもんだな、温泉って」


 瞬間移動した直後は温泉独特の硫黄の匂いに鼻をつまんでいたカオウも、肌寒い季節に入る熱めの風呂を気に入ったらしい。

 ツバキも前回のように精霊に遊ばれることもなく、監視のない初めての風呂を満喫でき、心から自由な気持ちになることができた(髪はこっそり洗ってタオルで隠して入った)。

 トキツも久々にゆったり温泉に入れてご満悦だったが(宿舎の風呂はガタイのいい男たちでいつもごった返している)、魔物入店禁止の宿なのでギジーだけは残念ながら入れず、代わりに温泉卵を五つほど平らげていた。


 今は全員同じ部屋でのんびり夕食を頂いている。

 川魚や山菜が多く、量も味も控えめの上品な品書きだ。酒の種類が多いのでそちらに重きをおいているのかもしれない。

 護衛中のトキツは二、三杯くらいでやめていたが、カオウとギジーは温泉宿といういつもと違う雰囲気に開放的になっているのか、じゃんじゃん飲み干していた。魔物は酒に強いとはいえ、飲めないツバキからしたら本当に、本当に、本当に、血の気が引いて心配になるほどの量を。


「ね、ねえカオウ。そろそろやめたら? 部屋はとったけど、寝るときはお城へ帰るのよ。瞬間移動できる?」

「大丈夫大丈夫。俺、強いから」

「それはわかってるけど、いつもより多いわよ?」


 ツバキは隣に座るカオウの着崩れた黒い浴衣を直した。顔にほんのり赤みがさし、浴衣がはだけて見える胸筋と腹筋は目のやり場に困る。

 しかも直されていたカオウが熱い眼差しでにこにことツバキを見つめるものだから、ツバキは夕飯のデザートがまだだがそろそろ帰るべきかと考え始めた。


「もう帰ろっか?」

「ツバキ」


 カオウがツバキの肩に手を置く。

 これは完全に酔いが回っているなとわかる目。ここまで酔うのは珍しい。


「なあツバキ」

「きゃっ」


 ひょい、とツバキを抱き上げて自分の膝に乗せる。にこーっとツバキの困り顔をいとおしそうに眺めて、頬にキスしようとした。


「お酒臭い」


 ツバキは咄嗟に顔を背けて手でカオウを押し退ける。しかしカオウはそのツバキの手の平にチューと吸い付き、手を力ずくでどかして頬にキスした。もあんとしたお酒の匂いをかいだだけでツバキも酔いそうなり、顔をしかめる。


「飲み過ぎ」

「うん。大好きツバキ」

「ちょっと」

「好き」

「んっ……」


 首筋に口づけたまま囁かれ、くすぐったくてゾクッとした。


「浴衣姿かわいい。うなじヤバイ」


 ツバキも宿が用意した桃色の浴衣を着て、髪は軽く結って左側に流している。カオウはツバキの浴衣の襟元へ手を差し入れて滑らかな右肩を出し印に吸い付いた。お酒で箍が外れているのか、調節する気などないようで、印から魔力を溢れさせる。


「やっぱ、高い酒よりツバキの魔力のがうまい」

「カオウやめて」

 

 金色の太い糸がこれ以上湧き出ないようツバキは必死に制御した。乱れる気を落ち着けて、酒の匂いで酔わないように鼻をつまみ、肩に触れる熱も感じないようにして。しかし勝手に流れてくる思念が邪魔をする。


<好きだよ>

<わ、わかったから>

<ツバキ。俺のツバキ>

<もう帰って寝よ?>

<また来年もここに来よう>

<そんなに気に入ったの?>

<来年も。再来年も。ずっと>


 なだめるようにカオウの背をさすっていたツバキの手が止まる。

 来年は、来れるかもしれない。

 しかし再来年は。 


<それは……>

<ずっと一緒にいるって約束したよ>


 真剣な声だった。肩から溢れていた魔力が止まる。

 痛いほど力強く抱き締められ、首筋にスリと頬擦りされた。


<ツバキも俺のそばがいいだろ>


 思念と一緒にカオウの感情が流れてきた。

 泣きたくなるほどの苦しみ。

 簡単には抜けられない棘を飲み込んでしまったような、どこにもぶつけられないもどかしさを身体に押し込めたような、先ほどツバキが感じたものよりも激しい痛み。


 こんな気持ちでいるのかという衝撃で全身が硬直した。

 思念で感情まで送ることはできないはずだからこれは自分が想像した気持ちだと考え直すが、それにしてはするすると頭に入り込んでくる。


 本当にこれほどの思いを背負わせているのなら、あまり猶予はないのかもしれない。出した答えをはっきり告げるべきなのかもしれない。迷えば迷うほど苦しめるだけだ。

 自分の望みを優先させて、彼を苦しめ続けてはいけない。


 ツバキは細く長く、胸の痛みや迷いを吐き出すように息を吐ききる。そして。


「カオウ。私」


 あなたに言わないといけないことがある。

 そう言おうとしてカオウの肩に手をかけたが、聞こえてきたのは微かな寝息。


「……寝てるの?」


 意識のないカオウの体は重たくて全く動かせなかった。


「えっ。カオウ寝ちゃったのか?」


 いつカオウを止めようかヤキモキしていたトキツが慌てて立ち上がる。


「城へ帰れないじゃないか。起こさなきゃ」

「あ、待って。まだ八時くらいよね。少しだけ寝かせておきましょ」


(酔いが覚めてから言おう)


 そうやって問題を先送りにする罪悪感を正当化して、ツバキはカオウの腕から逃れ、寝所へ担がれていく姿を見送った。

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