第13話 腕枕と掴んだ手
彩豚という魔物がいる。物質に色をつける能力を持つ豚と犀が混じったような魔物だ。
始祖の森で遊んでいた六歳のツバキは、泥に色を付けてもらい、泥団子を作った。
赤、黄、青、緑、橙、紫、白それから金。色とりどりの泥団子を並べてその出来上がりに満足し、うっとり眺めていたところをカオウに崩された。
怒ったツバキは泥をすくって投げつけ、カオウにお返しされ泥まみれになった。
泥は乾いたら固まる。そんな当たり前のことを知らず、「このまま全身固まって二度と動けなくなる」と言うカオウの嘘を信じて大泣きした。
カピカピになってしまった体を泉で洗い、それでも服についた汚れは落ちず。結果、二人で女官に怒られた。
そんな思い出が一つ。
瞼に差し込んできた日差しで目を開け、すぐ飛び込んできたのは、すっと通った鼻筋と少し厚い唇。
(!?)
ツバキは男性の腕に拘束されていた。
もちろん相手はカオウだとすぐにわかったから叫ばなかったが、咄嗟に下を見る。
見知らぬ質素な綿の寝間着を着ていた。桃色で、前をボタンで留めるワンピースタイプ。
とりあえず服を着ていたことに安堵し、変なことを考えてしまった自分を恥じた。
ここはどこかと視線と記憶を巡らせ、パン屋の二階にあったアフランの部屋だと見当づける。
あれから何があったかわからないが、城へ帰っていないところを見ると、皆無事だったのだろう。アフランと共に帰って来て叔母夫婦に泊まるよう勧められ、身分を明かせないからご厚意に甘えたというところか。
(それにしても……)
ツバキはこの状況をどう理解しようか頭を悩ませた。
カオウに腕枕されている。一人用のベッドで。向かい合って。足もがっちり固定されて。むしろツバキが抱き枕にされているというべきかもしれない。
叔母夫婦が変な気を回し過ぎたのか、カオウが押し切ったのか、それとも夜中にこっそりカオウが忍び込んできたか。
服を着ているから何もなかったとは思うが、ここで二人で一夜を明かしたことになる。
(昔は同じベッドで寝ていたんだから、何もおかしくはないはず)
だが余裕で三人は寝られるほど広い城のベッドではこんなに密着したことなどなく、何よりカオウは脱皮する前だった。色恋のいの字も芽生えていないとき。
(ど……どうしよう)
心臓がこれ以上ないほど波打ち始めた。
起き上がろうにもがっちり抱きしめられていて動けない。
体も昨日の疲れが残っているし、肌寒い朝に布団の温もりは心地いい。
仕方がないので誰かが起こしに来てくれるのを待つことにした。
(相変わらず羨ましいくらいさらさらの髪)
ツバキが一番好きなのは金色の瞳だが、髪も綺麗な金色だ。特に手入れしていないのにさらさらで、いつもカリンが恨めしげに見ている。もったいないことに、肩まで伸びた髪は魔物に戻ったとき
ツバキはそっと布団から手を出して、カオウの髪を撫でる。
ピクッとカオウの瞼が動いたが、それ以上変化はない。
カオウは朝が壊滅的に弱いから、これくらいでは起きないと経験上知っていた。
ここぞとばかりに顔もまじまじと観察する。
シミも吹き出物も何もない綺麗な肌。
毎日魔力をもらうためそういう類いのものはできないらしい。魔力をあげている方は、おでこに一つニキビが出来たばかりだというのに。魔法で治そうと思えば治せるが、そのために宮廷魔導士を呼ぶのは忍びなく、前髪で隠している。
人差し指で頬にそっと触れた。
次に、鼻の頭をちょんと触る。
そして、唇へ……ぷに、と押し当てた。
昔と同じであどけない無防備な寝顔の下唇だけべろんと下げて、間抜けな顔にくすりと笑う。
上唇を上へやったり横へやったり、図書館でカオウにされたように好きに動かす。
(案外楽しいのね、これ)
普段他人に触られないはずの場所を弄っている支配感とでもいうのか、背徳感とでも言うのか。妙なむず痒さが湧きあがり、ふふ、と笑う。
いつ目覚めるかわからない緊張感も加わって、波打つ鼓動がさらに早くなってきた。
そして唇の間に少しだけ指を割り入れようとしたとき。
パチ、とカオウの目が開いた。
「!!」
驚いて引っ込めようとした手を掴まれる。
「カオウ、起きてたのね!」
「今起きたんだよ」
心外だとばかりに呆れられ、ツバキの顔はバレてしまった気恥ずかしさで熱くなった。
「人が寝てる間に何してんの」
「ちょっと悪戯したくなっただけ。それより、どうして一緒に寝てるの?」
カオウは「あーそれは……」と気まずそうに視線を上へ泳がせる。
「夜中に勝手に入った」
「え!?」
「だって仕方ないだろ。ツバキは霊力を得たばかりで、一人にさせるのは不安だったし」
「だからって……。トキツさんが止めたでしょ」
「そーいや、寝込みは襲うなと言われてたな」
「!?」
「なんもしてねーよ。ツバキと違って」
からかい口調だったが、その眼差しは面白がっているというより優しくて、ツバキの胸がキュッとなる。
カオウの二の腕と接している顔の左側がやたらと熱を帯びていた。布団の中でくっついていた足を後ろへ引くと、新たに触れるシーツの温度が火照りを冷やす。
カオウはカオウで、平静を装っているもののツバキに潤んだ瞳で見つめられ、身の内の衝動が動き出しそうになっていた。掴んでしまったツバキの手は離すべきだろうか、それともこのままベッドへ押しつけてしまおうか。
視線が絡んだ二人の間の空気が変わる。
時が止まったと錯覚するほどの静寂、しかしそうではないのだと主張する鼓動。
激しく胸が高鳴る理由は相手も同じだと、そう感じるのはただの願いか、それとも。
カオウの喉仏がごくりと動いた。
「…………ツ」
「わ、私。そろそろ起きるね」
突然二の腕が軽くなり、ツバキを抱き締めていた場所に虚しい空間ができた。腕の中にいた温もりだけが残り、喪失感と、もやっとした抑圧された感情が体の中に燻る。
ゴン!
とすごい音がしたのはその直後。
「ツバキ!?」
はっとしたカオウが振り返ると、床でツバキが蹲っていた。まだ自由に出来ないのに無理矢理瞬間移動するから着地に失敗したのだ。顔面を強打したらしく、顔を両手で覆っている。
ベッドから降りてツバキの前にしゃがみ両肩を掴むと、ツバキが指の隙間から涙目を出した。懸命に痛みに耐えている。
「お、おい。大丈夫か?見せてみろ」
あまりに痛そうだったのでオロオロとツバキの手を取る。鼻は折れていないが、おでこと鼻の頭は真っ赤で、痛みと恥ずかしさからか、目をギュッと瞑り口を引き結び、プルプル震えていた。
プッと噴き出す。
「……ひっでえ顔」
「……!!」
ひどい!!とツバキは叫んだ。
カオウが変なことをしそうな雰囲気だったから慌てて逃げようとして失敗した。だからこれはカオウのせいだ。それなのに笑うなんてと目で抗議すると、笑いながら鼻をちょんと触られた。
「ははは。鼻の頭が真っ赤」
ムカッときた。だが、くしゃっと屈託なく笑う顔が可愛くて怒る気が失せ、ツバキも笑いが込み上げてくる。
くすくすと目を細めて笑う。
こんな時間が楽しいと純粋に思った。
森で体全体を使って遊んだり、帝都内の色々な街を散策したり、部屋でのんびり過ごしたり。二人でいる些細な時間が楽しかった。
昔は二人で過ごす時間の方が多かったのに、大きくなるにつれて少しずつ減り、今では少なくなっている。
(どうして昔のようにいられないんだろう)
答えはわかっているのに考えずにいられなかった。
「どうした?ぶつけたとこが痛いのか?」
じっとカオウを見つめていると、心配したカオウがツバキの額に触れる。
「大丈夫よ」
そう答えて微笑むと、カオウも微笑む。
ツバキに向けるカオウの眼差しはいつだって温かい。
差し伸べられる手もいつだって優しい。
今はまだ、伸ばせば届く距離にいる。
今は。
ツバキはカオウに向かって手を伸ばした。
(私は……やっぱり…………)
伸ばした手は、カオウの———
コンコンと扉をノックする音がした。
「おーい二人とも。起きたなら出てこられる?」
トキツの声でツバキは手を引っ込める。
「あ、待って。着替えは……」
「叔母さんが洗ってその辺に置いといてくれたはずだけど」
「え?あ、本当だ。すぐに行くね」
ツバキは立ち上がって机の上にあった服を手に取り、カオウに向き直る。
「カオウ、着替えるから」
出てってと言う前に、しゃがんだままのカオウに手を掴まれた。
彼は無言のまま、期待と不安が入り混じった目でツバキを見上げている。
先ほどは何をしようとしていたのか、何を意味しているのか、教えてほしいと訴えている。
ズキン、と胸が痛む。
「……早く行かないと」
ツバキはその手をすり抜けた。
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