第6話 特別蔵書室

 引き続き図書館の閲覧室。

 ツバキは数羽の一つ目蝙蝠が記憶した各州の景色を眺めつつ、一ヶ月の休暇の予定をウキウキと書き出していた。

 皇族専用の部屋に入るなんて畏れ多いと部屋のすみに座っていたトキツだったが、それでは再びカオウとツバキが二人の世界を作りかねないので、現在はツバキの対面の席に座っている。


「エイラトの温泉も気持ちよかったのよ。カオウは温泉入ったことある?」

「えー。興味ないなあ。それよりイリウムにある闘技場行こうぜ」

「またそんな物騒な。……でもせっかくだから行ってみようか」


 ツバキは三週目にその予定を書き込んだ。トキツがよくよく見れば、予定表はカオウの希望が多く反映されている。やりたがっていたチハヤの店で働くという項目の上には二重線が引いてあった。

 不思議に思いツバキへ聞こうと顔を上げると、ツバキは「そういえば」と勢いよくカオウに向き直った。


「温泉に入ってるとき、変な言葉が聞こえたの」

「変な言葉?」

「そう。よく聞き取れなかったんだけど、ティデェン……とか、なんとか」

「ティデェン?どこの言葉?」

「それがわからないの」


 バルカタル帝国の公用語はバルカタル語だが、セイフォン、ケデウム、エイラトはそれぞれ王国時代の言語が残っており、四つほどある属国もそのどれかの言語が使われている。

 ツバキは皇女として、バルカタル語と三つの言語、隣国のカルバル語・サタール語を習得していた。

 すべての単語を覚えているわけではないので帰国してから辞書を片っ端から調べてみたが、ティデェンという単語は載っていなかった。


「空耳じゃないの?」

「何度も頭の中に響いてきたもの。エレノイア姉様は精霊に遊ばれたんじゃないかっておっしゃってたけど」

「精霊?最近は見えるやついないだろ。俺ももう見えないし」

「昔は見えてたの?」

「何百年か前はね」

「へえ。どんな精霊がいたの?」

「どんなって、いろいろだよ。人っぽいのもいるし、魚っぽいのも鳥っぽいのもいる。何言ってるのかわかんねーからしゃべったことはないよ」

「言葉が違うの?」

「そりゃそうだろ。あいつらは人間に興味ないから」

「そうなんだ……」


 精霊の言葉かもしれないと考えたツバキは、司書へお願いして精霊関係の本を持ってきてもらったが、言語について書かれたものはなかった。昔確実にいたというのに、どの本も似たような伝説ばかりで生態についての資料がない。伝説であり、明確な歴史として残っていない。


「なんか変よねえ」


 不満げな声をあげると、ドアの近くに控えていた司書がもじもじしていたので発言の許可を与える。

 五十代くらいのひょろ長い男性司書は恭しく頭を垂れながら口を開いた。


「恐れながら、精霊に関しては三百年前にほとんどの資料が失われました。現在自由に閲覧できる本はそれだけでございます」

「三百年前?何があったの?」


 司書は皇族と話すのが緊張するのか、額の汗を服の袖で何度も何度もぬぐう。


「お、恐れながら、わたくしではわかりかねます」


 わかりかねますと言いながら、何か言いたそうにもじもじしている。


「何か知っていたら教えてちょうだい」

「ひぇっ」


 普通に話しているのに怯えられてしまった。ツバキはそんなに怖い顔してるかしらと頬をさする。


「わ、わたくしではお答えできません。畏れ多くてとてもとても」

 

 司書は大量の汗を袖で拭きながらチラチラこちらを盗み見る。知っていることは言いたくて仕方ないようだ。

 ツバキは言いたいが言えないことは何かと考え、一つ思いつく。


「精霊と言えば、かなり昔に精霊信仰が帝国内で禁止されたらしいけれど、それかしら」

「ひええ。そ、そこまでご存知でしたら隠すことなどできません。そうですそうです、三百年前、当時の皇帝が精霊信仰の禁教令を布いたときに、館内の精霊に関する本を燃やしました」


 司書は不自然に「すべて」を強調した。この数分で彼の性格を把握したツバキは、彼が言いやすいように質問してやる。


「さっき、自由に閲覧できるものはって言ったわよね。そうじゃない本なら残っているの?」

「ひえっ」


 言いたいくせにいちいち怯えるのは腑に落ちないが、それで答えをくれるなら我慢しようと柔らかい笑みで待つ。

 司書はもう片方の袖で汗を拭き始めた。


「と、特別蔵書室にあと一冊ございます。申請書を提出していただいて、許可されれば司書立ち合いで閲覧可能となります」

「そんなに厳重なのね。許可されるまでに何日かかるの?」

「通常三日以内ですが、本の内容により延びる場合もございます。申請なさいますか?」

「そうね……」


 三日もかかる上に監視付きでないと見られないのは面倒だ。

 と、すれば。

 ツバキはカオウと目が合い、にこりと笑う。いや、ニヤリと悪い顔をした。

 二人の表情に脂汗を流すトキツ。予想できるだけ、トキツはすっかり二人の思考回路に慣れてきたと言える。

 ツバキは丁寧に礼を言って袖が汗まみれになった司書を下がらせると、館内図で特別蔵書室を探した。


「トキツさんはどうする?」

「もちろん行くよ」


 下手にカオウと二人きりにしたら色んな人から怒られてしまう。


 ツバキはカオウと手を繋ぎ、トキツとギジーは彼の腕につかまると、全員一斉に目的地へ消えた。





 特別蔵書室へ瞬間移動して、最初に目に飛び込んできたのは首を九十度曲げた巨大フクロウの顔だった。

 フクロウはクリクリとまん丸い目をぱちぱちさせ、ツバキたちは目を見開いて停止する。

 数秒の間ののち、フクロウは口をパカっと開けた。


『侵にゅ』

「静かに!!」


 大声で警備員を呼ばれる前にツバキが能力で止めた。なんとかうまくいったがドキドキして手が震えている。

 蔵書室の中心にフクロウはいた。ツバキが楽々入れるほど大きな鳥かごの中に入っており、叫びたいのに叫べないもどかしさで嘴をひくひく動かしている。ツバキはフクロウと睨みあったまま、じりじり近づいた。


「声を出さないで答えて。あなたはどこに何の本があるか知ってる?」


 こくりと一回頷いた。


「ここに精霊に関する本があると聞いたのだけど、ある?」


 頷く。


「どこにあるか教えて。小さい声でね」


 フクロウは不服そうに顔を思いっきりしかめた後、嘴を小さく開けた。


『キ-五-二十二』

「ありがとう。私たちが出ていくまで眠っていてもらえる?」


 フクロウは返事もせずにすっと眠りに落ちた。

 その様子にトキツが感心する。


「だいぶ自由に扱えるようになったんだね」

「この力はね。カオウの力はなかなかうまくできないのよね」


 瞬間移動は何度か挑戦しているが、一週間前頭に大きなたんこぶを作り女官と侍女全員に怒られたばかり。

 空間は小物の出し入れくらいならできるようになった。


「そんなことより、どこかしら。キ-五-二十二」


 あたりを見回す。蔵書室というからもっとこじんまりした埃っぽい部屋を想像していたが、ここは空気も澄んでおり、天井まで十メートル以上はありそうな壁にびっしり本が敷き詰められていた。だが本はどれも古く重厚な背表紙で歴史を感じさせる。内容も過激なものが多そうだ。妖魔召喚術など現在は禁忌とされている魔術、人体解剖、死霊の作り方などなど。聞き耳を立てるとぶつくさ呟いている本や、黒煙が漏れでている本もある。開けば本の世界へ引きずり込まれる本もあるかもしれない。

 番号から、目的の本は八メートルほど上の棚にありそうだった。しかし見る限りここには梯子がない。普段はフクロウが取り出しているのだろうか。


「カオウ、飛んでくれる?」

「ん」


 カオウはツバキを横抱きにして一気に飛んだ。あっと言う間に遠ざかる地面が高揚感と恐怖感の中間の何とも言えない心地を生む。この感覚は何度体験しても楽しい。


「ねえカオウ。私は空を飛べるようにはならないのかな?」

「空飛ぶのは、俺たちの種族の性質であって能力じゃないから無理だな」

「なんだ。残念」

「俺がいつでも飛んでやるからいいだろ」


 カオウに優しく微笑まれ、ツバキはぱっと本棚へ視線を向けた。平静を装って本棚に貼られた番号を確認し始める。

 以前のカオウ相手なら何にも思わなかったのに、今の姿になってから心が少しだけざわつく。カオウもわざとそういう態度をとっているように思う。脱皮直後のように感情をぶつけてくることはもうないが(寝ぼけたのは抜きにして)、指先にキスされたり唇に触れられたり、スキンシップは確実に前より甘くなっている。

 非常に困る。


「あった。これじゃね?」


 カオウは宙に胡坐をかいてその上にツバキを座らせてから、右手を本棚へ伸ばした。

 思考が完全に本から遠ざかっていたツバキは慌ててカオウから本を受け取る。

 五センチくらいの厚みの、数十年どころではない年数が経っていそうな代物。

 落としてしまうと怖いので、トキツたちの元へ戻ってから中を開く。バルカタル語と同じ文字を使われているが古語なのか知らない単語が並び、解読には時間がかかりそうだった。挿絵もあり、口のない人のような生き物、手足が長い蛙、翼が生えた鰐のような生物が描かれているが、線が滲んでいてかなり不気味だ。


「これが精霊?」

「うん。他にもいるけど」

「伝説をまとめた本の絵はもっとかわいらしかったのに」

「人間は都合のいいように話を変えるからな」


 こじんまりした少女のような姿を想像していたツバキはがっかりしながら、さらにぱらぱらとめくっていく。

 そして、一つの図に目が止まり、目を見開く。


「……どうして、この紋章がここに?」


 それは、菱形の中に五芒星が描かれた図。

 ロナロの紋章だった。




「精霊の本に、どうしてロナロの紋章があるんだろう」


 答えが返ってこないと知っていながらつぶやく。

 一番可能性があるのは、ロナロの民は精霊を信仰しており、あの紋章はその象徴だったという考えだ。精霊信仰は現在は禁じられていないが、貴族内ではいまだに異端とされている。だからこそこの館内には似たような伝説が載っている本しかないのだろう。それにしても、昔とはいえ皇帝が禁じた本が城内に残っていると皇族に知られるのは本当はよくないことではないだろうか。あんな口の軽い司書で大丈夫なのか不安になったが、今回は助かったのでよしとする。


「仮説が正しいか確かめたい」

「なんで?」


 カオウは全く興味がないのか、他の本の背表紙を眺めながら浮遊していた。


「気にならない?精霊とロナロは関係があるのか。ティデェンって言葉も何かわかるかも」

「別にー」

「今度の休みにロナロ村へ行ってみようよ」

「だめだ」


 強い口調で止めたのはトキツだった。すごく険しい顔をしている。

 普段怒らない人が怒ると怖い。ツバキは少し青ざめた。

 トキツは言った瞬間まずいと思ったようで、首の後ろをポリポリかいて眉尻を下げる。


「ごめん。でも、ロナロ村は今は封鎖されているから行けない」

「封鎖?どうして?」

「詳しくは知らない」

「本当に?」

 

 ツバキがずいとトキツの前に立つ。

 澄んだ碧の目に睨まれるが、それでもトキツは腕を組んで口籠る。知っているが言えない。そんな表情をしていた。


「お兄様に口止めされているの?」

「ああ。だから、勘弁してくれ」


 トキツがツバキの護衛の他に、ジェラルドの手伝いをしていることは知っていた。

 彼が怒るほどのものがあの村に隠されているのだろうか。

 隠されると気になる。


「じゃあカオウに連れてって……」

「待て待て」


 トキツはため息をついた。

 ロナロの村が何者かに襲われ村人全員殺されたことは機密事項だ。しかもその犯人がレオかもしれないのだから、余計にツバキには言うべきでない。

 気になるような言い方をしたのがまずかったなとトキツは反省し、何とか気をそらす方法を考える。


「精霊とロナロの関係が知りたいだけだろ?なら、他にも適任がいるじゃないか」

「適任?」

「彼らはエイラトにいる。観光のついでに会えると思うぞ」

「あっ。そうか」


 ツバキの目がキラキラしてきた。珍しく興味深そうに本を読んでいたカオウへ朗らかな声を上げる。

 

「カオウ、一番最初の観光地はエイラトにするわよ。そこでアフランとルファに会いに行く」 


 興味をそらせたトキツはほっと胸をなでおろした。

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