第3話 侍女たちとの恋バナ
セイレティア=ツバキには三人の侍女がいる。
まずは言わずと知れた影武者サクラ。四年前ツバキがとある村で見つけてきた天真爛漫な少女。
次に、女官からの信頼が厚かった元侍女の孫カリン。五年前に祖母と入れ替わりで侍女になった。目つきが悪くサバサバした性格の十九歳。主にヘアメイク担当。
そして昨年城でジェラルドの第二皇子付き侍女登用試験を受けて入ってきたモモはまだ十五歳の少女だ。筆記と魔力の試験は首席だったのに面接で落ちたところを女官が拾った。
面接官の一人に心を読む能力を持つ授印がいるから嘘はつけないにしても、応募動機に「お下がりのおやつが食べられると聞いたから」、第二皇子に忠誠を誓うかという質問に「おもしろければ」と答えたのだ。
女官からしたら口が堅ければ一風変わった人の方が皇女と合うと考えたらしい。
皇女はそのエピソードをいたく気に入り、モモは無事おかし担当になった。
というわけで今日のおやつはモモが厳選した老舗菓子店のミルフィーユだ。
いつもはツバキとカオウが食べ終わり余った分を侍女たちがいただく(多めに発注するので必ずそうなる)が、今日のように女官が所用でいないときはみんなで一緒に食べる。女官に見つかると怒られるのだが、毎回そうしていると女官も薄々気づいているだろう。
モモは机にお菓子を並べて、よだれが垂れそうになっていた口を拭った。
「左から、苺、ズイニャ、ブルーベリーのミルフィーユ、それからチョコでコーティングされているこちらはキャラメルやバニラ、ナッツのクリームを挟んでいます」
「どれも美味しそう。私は苺にするわ。カオウはズイニャかな」
モモはにこにこしているツバキの皿へ苺のミルフィーユを置いた。カオウは今トキツと出掛けているので後で食べられるように取っておく。
続いて年功序列でカリン、サクラ、モモが各々好きなものを選び、みんなで一斉に食べ始めた。
「おいしー」
「しあわせー」
「あまーい」
「さいこー」
皇女と侍女の四人は頬を緩ませてなんの捻りもない感想を漏らした。
普段からのほほんとしているモモも、こんなゆるゆるな主人で大丈夫なのだろうかと心配になるときがある。主人は良くも悪くも侍女との境界線を無くしたがる。友達になりたがる。立場上そんなこと絶対に無理なのに。モモはそんな皇女が大好きだが、態度に表してはいけないので控えている。
そして主人以上に重大な秘密を抱える人もいないだろう。
最近最大の秘密だったカオウが公の存在になり心からほっとしたのも束の間、その魔物からキスされたという、これまた最悪な秘密を抱えてしまい、サクラとカリンは嘆いていた。
「……でね、主人公は恋人を捨てて、旅芸人についていくことにしたんです」
皇女と侍女の茶会の話題提供者は大抵サクラだ。
今回はサクラが読んだ恋愛小説の話。
幼馴染でもある恋人との結婚式一週間前、村に訪れた旅芸人の男性と恋に落ち、二人の間で揺れ動く女性の心情を描いた話らしい。
あらすじを聞き終わったカリンが明らかに軽蔑した表情を浮かべる。
「出会って一週間の男についていくなんてどうかしてるわ、その主人公。退屈な毎日に飽きるのは仕方ないけど、だからって刺激を求めて出ていくなんて、どうせボロボロになって帰ってくるわよ。帰って来たとしても、そのころには元恋人は結婚していて拒絶されてざまあ展開よね」
「相変わらず、カリンは辛辣ね」
ツバキは器用にミルフィーユを切りながら苦笑した。
ブルーベリーの程よい酸味を堪能していたサクラが反論する。
「でも、その旅芸人の男性がすっごく素敵なんですよ。ちょっと強引に主人公に迫るところがホントにドキドキして。刺激を求めただけじゃなくて、主人公は本当の恋に気づいてしまったんです、きっと。恋人との間にはなかった激情に身を焦がす……。そんな恋を一度でいいからしてみたいって思っちゃいます」
サクラは興奮して手をパタパタさせた。
カリンはむっとして鋭い眼光をサクラへ向ける。
「恋人だって主人公にとても優しくて包容力のある男性だったでしょう? 強引に迫る男って、ナルシストって感じで私は好きじゃない」
「あ、カリンも読んだのね」
二人を楽しそうに見ていたツバキがツッコむ。
モモは主人より先に二個目のミルフィーユへ手を伸ばした。
「ってことは、カリンさんは安らぎを求め、サクラさんは刺激を求めるってことですね。ちょっと意外です」
「そっ。そういうわけじゃないけど」
カリンの耳がピンク色に染まる。ふふふと心の中でにやつくモモ。
「そういうあなたはどうなの」
カリンに問われたモモはフォークの先を咥えたままうーんと天井を見上げた。
「どうなんでしょう。モモは初恋もまだなのでそういう気持ちはよくわかりません。初恋とはどのようなものですか、ツバキ様」
「ふえ!?」
意表を突かれたツバキの顔が真っ赤になり、他の侍女二人は真っ青になった。
サクラがツバキの腕をつかみ、カリンがモモの頭をはたく。
「ツバキ様! また空間へ行かないでくださいね!」
「バカモモ、なんてこと言うの!!」
慌てふためくサクラとカリン。
ツバキはギュっと目を瞑り恥ずかしさに耐えている。その様子が本当に可愛らしくて、モモはキュンとした。
「どのような状態になったら好きと認識するのですか?」
「どうだったかな、もう六年も前のことだから忘れてしまったわ。サクラはよく恋愛小説を読んでいるからサクラのほうが詳しいんじゃないかしら?」
「ほえ!? わ、私ですか?」
あ、逃げた。とモモは思いつつ、視線をサクラへ移す。
「ど、どうなんでしょう。よく出てくるのは、気づいたら目で追ってたとか、ふとしたときに会いたいと思ってしまうとか。あとは……」
サクラはぼんやりと何かを思い出すように続けた。
「その人に見つめられるとドキドキしたり、話しかけられるととても嬉しくなったり……でも他の女性に向けられた笑顔を見ると……こう、胸が苦しくなったりとか……でしょうか」
サクラが言い終えると、部屋がしんと静まり返った。
とても小説で得た知識とは思えない、やけに実感のこもった言い方だった。
恐る恐るツバキが沈黙を破る。
「サクラ、誰か好きな人がいるの……?」
「えっ。い、いませんよ」
不自然に声が上ずる。
「誰なの?」
「いませんよ。そういう気持ちになるのかなって想像しただけです」
「ほんとに?」
「ほんとです」
食い下がるツバキにサクラは唇を引き結んで力強く頷く。カリンがそんなサクラへ冷ややかな目を向けたのを、モモは見逃さなかった。ただこの場で追及すべきでないと、心にしまう。先輩侍女への配慮も後輩は忘れてはならないのだ。
「そういうツバキ様はどちらを選びますか? 恋人か旅芸人か」
侍女たちの視線が集まり、ツバキはたじろぐ。
「私はその本を読んでいないから、どちらがいいかなんてわからないわ」
「想像で構いません。大きな愛で包み込んでくれる男性か激しく愛してくれる男性か」
ツバキの心臓が一度大きく波打った。
それを誤魔化すように、紅茶を一口飲む。
「タイプが違う男性を同時に好きになることってありえるのかしら」
質問を質問で返すと、侍女三人は同時に首を捻った。
「あるんじゃないですか? 安らぎと刺激、両方とも必要ですもん」
「二股なんて最低ですけどね」
「さすがカリンさん、ばっさり切りますね」
大げさに感心するモモを小突くカリン。
「やっぱり恋人がいるのに他の人を好きになったらダメよね」
「でも、どうしても気になってしまうことってありませんか」
「なにサクラ。やっぱり好きな人がいるんじゃ……」
「ち、違いますよ。主人公だって最初は抵抗していたんですよ。だけどどうしても惹かれてしまって、止められなくなったんです」
「恋人よりも好きになったってこと?」
「ついていったってことは、そういうことでしょう」
カリンがミルフィーユのかすをクリームですくいながら言った。
「恋人のことがそれほど好きじゃなかったのかもしれませんよ。幼馴染ですから、想いを寄せられて情で付き合っていたんでしょうね」
「情……」
ツバキはポツリと呟く。
「確かに、リューシェさんならたとえ刺激的な人が現れても、全然なびきそうにありませんよねえ」
モモの言葉でセイフォン州へ一緒に行ったゆるふわ髪の女の子を思い出した。アルベルトとリューシェは今も相変わらずラブラブらしい。
年下なのにな……と声に出さずともモモ以外の三人は複雑な気分になった。
「あのときはじれったかったですよね。お互い好き同士なのだから、遠慮なんてしなきゃいいのにって思っちゃいました」
「迷惑だっただけ」
「カリンさん……」
モモがカリンの肩をたたき、憐れむような瞳で首を振った。カリンは「なによ」と言って手を振り払う。
そのやりとりにツバキは苦笑しつつ、頭によぎった考えを口にする。
「好きだからこそ、相手の立場とか気持ちを考えてしまうんじゃないかしら。本当に好きになったら、自分の気持ちよりも大切になるのよ、きっと」
「そういう考えで行くと、この小説の主人公は自分の気持ちを優先させただけだから、どちらのことも本当の意味で好きではないってことになりますね」
カリンが「やっぱりあの主人公嫌い」とぼやいた。
するとサクラがうーんと首を傾げ、何かに気づいたように顔を上げる。
「ちょっと思ったんですけど。主人公って、とても気が強い女性なんですよ。我を通さないと気が済まないというか。恋人は彼女に振り回されているんですけど、それでも主人公のことが大好きで、なんでも受け入れてくれるんですね。そして、そんな恋人のことが好きな女性がいるんです。主人公の女友達」
「四角関係なの?」
「それが主な話ではないので、友達のことは本にはちょっとしか書かれていないんですけど。主人公が友達の気持ちを知ったとき『傷ついた』という表現をしていたんです」
「傷ついた?」
「はい。意味がわからなかったんですよね。恋人がその友達に好意を持っていたら、傷つくのもわかるんですけど。恋人が友達のことをどう思っていたかは、ちょっと微妙で」
「何が言いたいの? サクラ」
なかなか核心を突かないサクラに苛立ったカリンが口を挟んだ。
サクラはちょっと聞いてとカリンを横目に見る。
「主人公は自分のことを嵐、恋人は大木、女友達は太陽だと例えていました。主人公は女友達の告白を聞いて、恋人にふさわしいのは彼女だと気づきショックを受けたのではないでしょうか。大木のような穏やかで優しい恋人を幸せにできるのは木にはなくてはならない太陽のような女友達の方で、嵐のように葉を吹き飛ばしてしまう自分では無理だと。だから、主人公は旅芸人と一緒に出ていくことを決めた」
カリンは眉間に深い皺を刻んだ。
「主人公が本当に好きなのは恋人だったってこと? 仮にそうだとしても、恋人とちゃんと話し合ってから去るべきだわ。何も言わず出ていったら、恋人があまりに不憫じゃない。恋人が友達のことを好きになる保証もないのに」
「でも主人公は恋人のことをよく知ってるもの。二人が一緒になる未来がわかったんじゃないかな」
「あの主人公、そんなに深く物事を考える人と思えないんだけど」
「そういう目線でもう一度読んでみたら、主人公の気持ちがわかるのかも」
最近何かを学び取ろうとするかのように恋愛小説を読み漁るサクラが真剣な顔でつぶやく。
そしてツバキはコーヒーを見つめたまま、物思いにふけっている。頭の中に誰か具体的な人を思い浮かべているようだった。
「人を好きになるって、複雑なんですねえ」
モモがそうつぶやくと、ツバキとサクラは深いため息をついた。
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