第2話 不可侵領域

 その日の話題は専ら一組の男女についてだった。

 

 舞台はモルビシィア(貴族の街)にある国軍の演習場。二つの師団による大規模な軍事演習が行われている。

 話題の人物は貴族たちが見学している席の後方、高所から外が見渡せる特別席にいた。


 女性はエメラルドグリーンの優美なドレスを着た白銀色の髪の皇女。相変わらず美しいと人々は感嘆のため息を漏らす。しかし同年代の若者はあまりのショックに声も出ない様子で彼女の隣を睨んでいた

 視線の先にいるのは金の髪が光り輝く男性。力強い目が心を揺さぶられる端正な顔立ちだが、初めての公式の場に緊張しているのか表情には少しあどけなさが残り、人懐こい印象を受ける。


 話題の中身はこうだ。

 まだ特定の相手がいないはずの皇女の隣にいるのは誰かという話から始まり、彼が皇女の授印だと知ると、完全に人に転化できる魔力の高さに驚く。皇女は魔力が低いのではなかったのか、これほどまで高いのなら何故授印の儀を禁止されていたのか、あらゆる憶測が飛び交った。


 続いて、二人の関係にも注目が集まる。

 黙って演習を見ているはずなのに、二人が同じタイミングで顔を綻ばせることがあった。視線が絡み合うと、彼の力強い目元が和らぎドキリとさせられ、いつも控えめで美しい笑みの皇女が可愛らしく笑いキュンとさせられる。

 数か月前契約したと発表があったはずなのに長年連れ添っているかのような空気を感じた。見ていると温かな気持ちになる反面、異性の魔物と契約した皇女を奇異の目で見て邪推する者がいるほど二人の周りには独特の空気……優しく甘い不可侵の領域があった。

 




 特別席には皇帝と第一皇子、クダラとリハルもいた。第二皇子は赤子で、皇后はまだ公務に出られる状態にないため欠席している。

 鋭い双眸で演習を観察しているのはジェラルドだ。

 馬や虎、大隼などの動物もしくは自身の授印に乗る攻撃魔法の使い手たちの動きは悪くない。回復魔法も的確だ。その合間を縫って剣、槍、弓などの武器を使う兵がいるが、その中に銃を持つ者はいない。


 調査によるとウイディラはリロイとの戦の際、赤い結晶で相手の結界を解き、直接的な魔法攻撃は盾で無効化したというから、完全に隙がないわけではなさそうだった。しかしもし防がれてしまった場合、銃と剣では銃が圧倒的に有利だろう。

 かといって、銃の製造国はウイディラとリロイ、もしくはさらに東の国なので、あいにく入手経路がなかった。サタールを通じて買うこともできないではないが、手間と時間がかかってしまう。


(いっそ本当に謀反を企てていて大量の銃がどこかに隠されていたら面白いんだが)


 などと不謹慎なことを考えつつ、演習で気になった点を側近へ伝えていった。



 

 

 そんなジェラルドの左隣に座っているのがツバキだ。

 戦闘なんて痛々しいものはあまり好きではないが、王に見立てた旗を奪うために大勢の人と魔物が号令に従って動く様は圧巻の一言だった。


 初めての公務で緊張していたカオウも、そのド派手な光景に魅入られ今はやや興奮気味だ。

 演習中は必要最低限しか話してはいけないので、先ほどから思念でカオウと会話している。


<俺もああいうとこで戦ってみたい>

<え。危ないからやめてよ>

<せっかくトキツから剣とか弓の戦い方習ったんだぜ。やってみたいじゃん>

<遊びじゃないのよ?>

<わかってるよ>


 ツバキは心の中でため息をついた。

 カオウは最近やけに好戦的だ。暇があるとすぐトキツに稽古してもらっている。しかも能力を使わないで勝とうとしている。どうしてそんなことをするのかツバキにはさっぱり理解できない。

 十歳のときも似たようなことが一度あった。ロウと出会ってからしばらく彼が率いる自警団に入ったのだ。そのときはロウや自警団の仲間たちに教えてもらっていて、最終的にはロウ以外の人には勝てるくらい強くなった。

 それ以降もトキツと出会うまでカオウが倒れたところを見たことはなかった。

 だからきっとカオウは強い部類に入るのだとは思う。

 しかしだからといって鍛え抜かれた軍で通用するかは疑問だ。わざわざ危ない所へ自ら行って欲しくもない。

 好戦的なのは男の性なのか、魔物の性なのか。


<なあツバキ。ここにいるのって皆貴族なのか?>

<大体そうだけど、歩兵隊は平民もいるわよ。魔力が高いと認められれば爵位をもらえる。ロウみたいに>


 平民の中にも魔力が高い者はおり、魔力の基準を満たし軍へ入り功績を立てれば男爵になれる。ただし男爵は一代限りなので子爵以上になるには二代続けて軍へ入らなければならず、魔力が安定して遺伝するようなら領地を与えられる。反対に魔力が遺伝せず基準を満たさなければ容赦なく爵位は降格もしくは剥奪された。


 カオウはツバキからロウの名が出て複雑な気持ちになる。

 カオウはツバキと出会うまで喧嘩らしい喧嘩をしたことはなかった。

 能力を使えば相手を殺す方法ならいくらでもあるからだ。姿を消したり瞬間移動して後ろから一気に刺す、空高くから相手を落とす、印を与えて一瞬で魔力を吸い尽くすことも、空間へ放り投げて気を狂わせてからどこかへ捨てることだってできる。


 喧嘩の仕方を教わるようになったきっかけは、盗賊に絡まれたところを助けてくれたロウにツバキが一目惚れしたからだった。嫉妬が芽生えたと同時に、盗賊を一撃で倒していく姿はカオウが見てもかっこよくて、同じ様に倒せるようになりたいと思ったのだ。

 今は純粋に楽しいからトキツに教わっている。いつか能力を使わなくてもトキツやロウに勝てるようになりたい。

 もはやツバキのためというより、自分のため。

 そんな回りくどい戦い方をしたがるなんて、人の矜持に近いのかもしれない。

 





 演習が終わり城へ帰ってきたツバキとカオウは、ツバキ専用の庭園のベンチで休憩していた。

 ツバキはサクラほど花に詳しくないので、何の花が植えてあるのかはわからない。小さな花びらがたくさんついた、淡い色合いの花が並んでいる。

 最近、徐々に日が短くなってきた。先週はまだ明るかった空はもう赤く色づき始め、等間隔に置かれた明かりがじんわりと灯り始める。

 

「今日はありがとう。公務へ出席してくれて」


 授印と公務へ参加するという長年の夢が叶い、ツバキは嬉しいような、照れくさいような心地ではにかんだ。

 

「見てて楽しかったし、今日みたいのなら行くよ。舞踏会とか言われたら行かないけど」

「それは魔物は呼ばないから大丈夫よ」


 くすくすと当然のように笑われ、カオウの胸がチクリと痛んだ。


(魔物は……か)


 明確な線引きがツバキの中にあることを痛感する。

 カオウはツバキの両手を左手でそっと包んだ。今日はぐっと気温が下がっているせいか、指先が冷たい。

 両手で包みなおし、口元へあてて息を吐き冷たい指を温める。

 何度か息を吐いて温まった相手の指先へ口づけた。


「あのさ……」


 指先に触れたままつぶやくが、その先が続かない。

 ツバキも何も言わず待っている。


「あの……」

 

 また言えず、口をつぐむ。

 西陽がやたらと目に刺さる。

 数秒待って、決心したとき。


『ツバキ様、カオウ。お夕食の準備できましたよー』

 

 カオウの襟に隠れていた綿伝がこの場にそぐわない軽いノリでしゃべった。

 

「…………行こっか」

 

 カオウはきまりが悪そうな、ほっとしたような表情で立ち上がると、ツバキの右手を握ったまま歩き始める。

 

 ツバキはカオウに手を引かれ、彼の少し切なそうな背中を見つめた。

 彼が何を言おうとしたのか、以前のカオウ相手だったらしつこく問い詰めていたはずだ。しかし今は曖昧にしておきたい問題がある。それについてだったらと思うと、どうしても踏み込めなかった。


 彼の背中を”少し切なそう”だと感じたのは、自分がそうだったからかもしれない。


 ツバキはカオウの手を強く握り返した。

 振り返ったカオウは目を細めて優しく微笑み、後ろを歩いていたツバキの手を引いて真横を歩かせる。


 二人だけの優しく甘い不可侵領域。

 その中に少しだけ、互いに割り込めない領域が生まれていた。 

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