第28話 おいかけっこ 1

 翌日、城の裏庭。今日は昨日とは違いツバキの私室に近い野原にいた。

 十九階建てのクディルの塔を見上げて、ツバキは不満げな表情で首をひねる。毎日空いた時間に練習してやっとここまで積み上げられるようになったものの、ここからが難しく、何度やってもパーツをそれ以上上げられないのだ。


「いや、この前の状況から一ヶ月半でここまでやれるほうがすごいから」


 呆気にとられたようにトキツに言われても、あまりうれしくない。


「でもカオウに対抗するには三十段は必要なんでしょう?」

「上級ならね。空の魔物なら、もっといるかもなあ」

「そんなので訓練するなよ」

「じゃあもっと訓練しないとね、クディルで」


 途中入った発言を無視してツバキは断言する。


「俺が訓練に付き合うって」


 その発言も無視して、ツバキはもう一度二十段目に挑戦し始めた。

 集中、集中、集中……。

 四本のクディルを一気に浮かす。不安定によろけながら、ぶつかりあいながら頂上まで飛ばして、慎重に置こうと力を込める。

 しかし。


「もうキスマークつけないからさあ」

 

 ガラガラガラと音を立ててすべてのクディルが崩れ落ちた。


「もう!!」


 せっかくここまで積み上げたのにと文句を言いながら、決してその人の顔を見ない。

 しゃがんで散らばったクディルを黙々と集める。

 

「……ごめん」


 無視。


「だから、悪かった」


 しびれを切らしたカオウに後ろから抱き寄せられた。よろけた背中は広い胸板に受け止められ、胡座の上に座る格好になる。

 顔を覗きこまれ、逸らすと無理矢理上げさせられた。

 ツバキはものすごく怒気をはらんだ碧の目でカオウを睨む。


「あのね、昨日すっごく恥ずかしかったんだから!」


 ツバキの部屋に風呂はついているが、城には皇族専用の大風呂がある。久々にそこへ入ろうと思って準備までさせたのに、服を脱ぎ、首と肩についた痕を鏡で見て愕然とした。

 最初は何か虫に刺されたのかと思った。もしくは何かにかぶれたのかと。

 しかし付き添いで一緒に来ていたアベリアにそれが何か教えられ、昼間のカオウの行為と結び付き、恥ずかしさで倒れそうになった。結局、風呂で控える侍女たちの目から逃れるように服を着直し引き返すはめに。彼女たちの怪訝そうな顔が忘れられない。


「あ、あんな、あんな……あ、痕」

「だから、悪かったって」

「印を手首に付け直して」

「それはだめ」

「どうして」

「こうしたいから」


 カオウはツバキの背中のファスナーを少し下ろし、襟を広げて右肩の印に口づけた。

 金色の粒子が印から緩やかに湧き上がり、撚るように糸となって、魔力が吸われる。微量なので頭ははっきりしていた。けれどそのせいで昨日は気づかなかった肩に触れる熱を感じる。


「訓練だよ」


 顔が見えず、ツバキのよく知る声ではなくなったせいか、カオウだとわかっているのに違う人にされているようだった。


「やだ。やめて」

 

 振りほどきたいのに腕力が足りない。以前よりカオウの力は格段に増している。

 それならと集中して魔力を制御した。これ以上吸われないように。

 金色の糸が解けるように靄へと変わり、消えていく。もう少しですべて無くなるというところで、首筋を舐められた。ぞわりと体が反応し集中力がとぎれたせいで、魔力がまた溢れ出す。

 今度は吸い取られる量が急激に増え、頭がぼんやりしてくる。

 また昨日みたいになるのは嫌なのに。

 

「おい」


 険しい表情のトキツがカオウの肩をつかんだ。

 ツバキの首から唇が離れる。


「嫌がることはしないって約束だろう」

「無理。今日もサクラたちに邪魔されて全然ツバキに触れなかったんだ」

「そりゃあ、あんなことしたら余計に警戒される」

「だからってなんでツバキ以外のやつに指図されなきゃいけない? 俺はツバキのそばにいたいだけ」

「それならそんな風に魔力は吸うな。本当にしたいのはそれじゃないんだろ?」


(なんの話してるの?)


 ツバキの知らないところで自分の話をされている。

 すごく居心地が悪い。


 そんなツバキの心情などお構いなしに、二人は続ける。


「トキツ。昨日の勝負負けたけど、やっぱ時間が欲しい」

「陛下にも二人きりにするなと言われてるんだけどなあ」

「そこまで変なことしねえから」

「そこまでって」

 

 呆れた顔のトキツはしばらく悩み、ため息をつく。


「どうせ止めたらとんでもない場所へ飛ぶ気だろ」


 見透かされたカオウは照れたように口をすぼめる。


「まーな。一応許可取るだけ偉くない?」

「自分で言うな。ちょっとだけだぞ」


 トキツとギジーが遠ざかっていく。

 こんな雰囲気の中二人きりは良くないと焦燥感にかられた。


「え、待ってトキ」


 途中で口を大きな手が覆う。

 

(嫌だ。こんな手は知らない)


「ツバキ」


 口から手が離れ、カオウが顔を覗いてきた。


(あ……)


 金色の目が見えてようやく安堵する。

 ツバキは今までと変わらない金色の瞳だけを求めるように見つめた。


 しかしその憂いを帯びた表情がカオウの気持ちを焚きつけてしまう。

 金の瞳が揺れ、必死で隠していた火種を突如燃え盛らせたように瞳孔が開く。

 それは、皇女に邪な気持ちを抱く男たちのそれに似ていた。


 長い間安心だけをツバキに与え続けてくれた少年が、他の男性と同じように危険な存在になりえるのだと気づいた瞬間だった。


 一筋、涙がこぼれる。


「私のカオウはどこ?」


 思わず出てしまった言葉。

 深くカオウを傷つけるとわかっていても、こぼれる涙は抑えられない。


 カオウの中で怒りで湧き上がった。


 押し倒され、カオウの体が重なる。


「なんだよそれ」


 カオウは顔をしかめてツバキを睨んだ。


「ツバキは今の俺が気に入らない?」

「そういうわけじゃない」

「やっとツバキより大きくなって、俺はうれしかったのに。なんでツバキは俺の中に前の俺を探すの?」


 寂しそうな、苦しそうな声がツバキの胸を締め付けた。


「俺のこと嫌い?」

「嫌いなわけない」

「じゃあ好き?」

「それは……」

「俺は好きだよ」


 カオウは感情を読み取るようにまっすぐツバキを見つめ続ける。戸惑いと悲しみ、そして恐れを抱いているのがわかった。こんな顔をさせたいわけじゃないのに、苛立ちと切なさが焦りを生み止められない。


「ツバキが俺のことそんな風に見てないってことは知ってる。突然姿が変わって、戸惑うのも無理はない。俺だって、こんなに感情が膨らむなんて思わなくて、正直ビビってる」


 カオウの顔がゆっくり降り、額と額が合わさる。金色の瞳は碧の瞳を捉えて離さない。


「でももう隠せないから」


 唇が触れた。

 

 ツバキは目を見開き、ジタバタするが逃れられない。

 大好きな瞳が変わってしまった悲しみと、大切な人を変えてしまった苦しみで心が千切れそうに痛む。

 

<カオウ、やめて>


 口を塞がれているため思念で呼び掛けた。


<まだやめない>


 舌が唇を割って入ってくる。


<嫌……!>


 逃げてもカオウの舌は執拗にツバキを追い、誰にも触れられたことのない領域を犯していく。


<やだ。やだ。やめて……!>


 いつも助けてくれるはずの人が、今は恐い。

 逃げたいのに逃げられない。

 早く逃げたい。

 早く。


 ギュッと目を瞑り、どこかへ逃げたいと願った瞬間。

 急に体が軽くなり、次いで腕をどこかで強打した。


(痛っ)


 目を開けると、すぐ上にいたはずのカオウがいない。


「……ツバキ?」


 声がした方を向くと、五メートルほど離れたところにカオウがいた。呆然とこちらを見ている。

 

 突然場所が移動するなど、カオウの能力以外思いつかない。しかし彼は先程と同じ位置にいる。


「もしかして、私?」


 瞬間移動したのはツバキだった。

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