第24話 春の風

 うららかな日差しに照らされた煉瓦の壁の前には、小さな野花がポツポツと咲いている。

 ロウに先導され刑務所から出たアフランとルファは、約一ヶ月ぶりの外の空気を思いっきり吸い込んだ。

 数日前、二人は新たな身元保証人と暮らすことを条件に釈放が決まり、その後様々な手続きを経てようやく今日その日を迎えたのだった。


「ロウさん、いろいろとありがとうございました」


 アフランは隣に立っているロウに頭を下げた。

 外に出て即効タバコに火をつけたロウは仏頂面で(本人にその気はないがアフランにはそう見えた)煙を吐く。


「父親のことは残念だったな」

「なんとなく予想してましたから」


 悲しげに微笑む。

 ロウの部下が二人の父親を探したところ、七年前に病で他界していたことがわかった。村を出て一年ほど働き、村へ帰ろうとしたときに倒れてしまったらしい。

 帰らなかったのではなく、帰れなかった。

 父親と会えないと知ったときの落胆は大きかったが、夫の帰りを信じて待っていた母を思うと胸のつかえが取れた気がした。


「迎えが着いたようだ」


 ロウの声で顔をあげると、白と黒の馬に引かれた警察専用の飛馬車が舞い降りてきた。

 アフランとルファは期待と不安が入り交じった表情で互いの手をぎゅっと握る。

 御者がドアを開けて中の人物へ手を差し出す。その手をとって降りてきたのは小柄の若い女性だった。

 ルファと同じ茶色の髪をした女性は二人を見るなり目に涙を貯めて駆け寄ってきた。


「あなたたちがアフランとルファね」

「あなたが叔母さん?」


 ドキドキしながらアフランが聞く。


「そうよ。やっと会えた」


 女性は警察の調査により見つけた父親の妹だった。事情を知った女性は彼らの身元保証人となることを二つ返事で引き受けてくれた。彼女も、兄が村に残した家族がどうしているか、ずっと気掛かりだったようだ。


「よく顔を見せて。……ああ、アフランは目が兄さんにそっくりね。ルファは鼻筋が」


 女性はアフランとルファの顔を順に両手で包み微笑む。

 どう接していいか分からずただ突っ立っていたアフランは、女性の笑顔を見た瞬間、忘れていた父親の笑顔を鮮明に思いだした。優しい眼差し、目尻のしわ、口元。すべてが父親と重なり、自然と涙が頬を伝う。


「……まだ家族がいたんだ」


 女性の頬にもまた涙が流れ落ちた。


「兄さんは、死ぬ間際まで家族を村に残してきたことを悔やみ、会いたいと願っていたのよ」


 ルファが女性に抱きつく。

 躊躇していたアフランも、女性に頭を撫でられると力強く抱きついた。


「さあ、帰りましょう」


 家はここから飛馬車でも三日はかかる距離にあり、日が暮れる前に最初の宿泊所へ着きたいらしい。

 本来なら平民には高価すぎて手の届かない飛馬車、しかも警察用のに乗れるとあって、ルファは目を輝かせて喜んだ。早く乗りたいと女性の手を引っ張っていく。


 ルファの元気な後ろ姿を見て、アフランはほっとした。

 牢での生活は息苦しく、どんな刑が下るのかわからない不安でルファは日に日に元気がなくなっていたからだ。

 アフランも同様に鬱屈した気持ちになったが、時折届けられる差し入れのおかげでなんとか乗り越えられた。それは本やちょっとした菓子で、いつの間にか現れ、食べ終わるといつの間にか包み紙が消える。そんな魔法もあるのかと感心し、次はいつその魔法が見られるのかと差し入れ以上にワクワクした。

 ただ、最初の差し入れに『ナイショで!』とメモがあったため、送り主が誰か今も知らない。


「どうした」


 ぼんやりしていると、ロウに声をかけられた。

 気を取り直して笑顔になり、手を差し出す。


「本当にお世話になりました」


 家族と引き合わせてくれたこともそうだが、そもそもロウがアフランの話を信じてくれなかったら、最悪の事態が起き、今も他のロナロ人たちと同じくまだ牢にいたかもしれない。


「お前たちはもう自由だ。好きに生きろ」


 自由。

 ロウの言葉を噛み締めながら、握手を交わす。

 ロウの手は大きくて力強く、しっかりやれと言われているように感じ、アフランも応えるように力を込めて握り返した。

 ロウと別れて飛馬車に乗り込む。 

 すると座席に置いてあった大きな蒸しパンが目に留まった。


「あら? さっきまで無かったのに」


 叔母が不思議そうに言う。

 手に取るとまだ温かかった。三つに分け二人にも渡し、自分の分を頬張ると程よい甘さが口の中に広がった。

 優しくて、馴染みのある味。


「チハヤさんの蒸しパンだ!」


 ルファが感激して目に涙をにじませている。

 間違いなく何度も食べたチハヤの蒸しパンだった。

 アフランの胸にも熱いものが込み上げる。


「あんな騒動を起こしてしまって、恨まれていると思っていたのに」

「少しだけなら寄れると思うけど?」


 女性がアフランの背中をさする。

 アフランは首を振った。


「落ち着いたら手紙を書きます。そして、自分の力で生きられるようになったら、会いに行きます」


 これからまた新しい生活が始まるのだ。

 しばらくは叔母さんの厄介になるしかないが、これまでのように、何も考えず大人の指示を待つだけでは駄目だ。ちゃんと自分の力だけで生きられるようにならなきゃいけない。そう覚悟したのに、今会ったら気が緩んでしまいそうだった。


(チハヤさんに誇れるような大人になったら、必ず会いに行こう)


 ふわりと馬車が浮いた。

 馬が一歩一歩進むたびに坂道のように宙を昇っていく。

 眼下に広がる野花を眺めながら、アフランはまた一口蒸しパンをかじった。




 広い空に薄く広がる曇の下を、颯爽と飛馬車が横切っていく。


「行ったみたいだな」

「うん」


 ツバキとカオウは野原に寝そべっていた。

 トキツとギジーは少し離れた場所に座り、能力でアフランたちの様子を確認する。


「二人はどう?」

『元気そうだぜ』

「叔母さんってどんな人?」

『小柄で美人』

「外見じゃなくて」

「優しそうだよ。三人とも笑顔で会話してる」


 ツバキは安堵の息を軽くついた。

 親を亡くしてから慣れない土地で頑張っていた二人。これからは落ち着いた環境でのんびり暮らしてほしいと願う。

 柔らかい日差しと風が心地よくて、飛馬車が見えなくなってもぼんやり空を眺めていると、風に乗って流れていく雲の合間に尾の長い雲雀のような魔物を見つけた。

 この時期にしか現れない春の魔物。ただ空を泳いでいる時は穏やかな風を運び、宙返りをすると強い風を吹かせる。


「そろそろ行くか」


 カオウは両手を伸ばしながらあくびをし、足を振り上げて跳ね起きた。

 ツバキの手をとって立たせてやる。


「そうね。宙返りする前に」

「宙返り?」


 トキツは二人の視線の先を追い、魔物が見えやしないかと目を細めるが無駄に終わる。


「今日はどこへ行く?」

「そういえば、新皇帝にまつわる芝居が始まったって聞いたけど」

「あいつの? なんだそれ」

「面白そうじゃない?」

「そうかぁ?」


 カオウとツバキはわいわいと話しながら街へ向かい、その後ろをトキツたちがのんびりついていく。

 そして、サアーッと風が吹いて舞った木の葉たちが、彼らの後ろを追っていった。

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