ホバージープが水上を走る。

 点在する海上資源プラントを遠目に見ながら、金井はとある島に向かっていた。

 模擬戦での勝利の報酬に要求したのは、己が転生した原理を説明できそうな者の紹介。

 そして、1人の物理学者を紹介された。

 彼はサンガブリエラの沖合にある孤島で、僅かな家事手伝いとひっそりとした生活を営んでいるのだという。

 上陸してすぐ、海の見える小高い丘にその家はあった。

 それなりに大きい家だった。少なくとも、城下にあった金井の家の10倍は大きい。

 ホバージープの運転手は外で待っているという。自分の監視はいいのかと問うと、この家に入ることは禁じられているそうだ。よほど気難しい人物なのかと少し不安になった。

 ドアベルを鳴らすとすぐに、髪を後手に撫で付けた顎髭の中年男性が現れた。

「御免ください。拙者は金井・誠右衛門と申します。総統の紹介で伺ったのですが」

「カナイ様ですね。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

「紹介いただいた物理学者殿とはあなたではないのですか?」

「わたくしは執事のローマンと申します。ウィリアム・ケプラーはわたくしの主人です」

 シャツの襟から覗く首筋を見るに、人造種スレイブではなく自然種ナチュラルだ。

 奴隷人間スレイブマンと自然種では雇うコストの桁が違う。高名な学者なのだろう。総統には重々感謝をせねばならない。

 通された来客室には、薄い金髪の壮年の男がいた。

 質の良い灰色のカーディガンを身に着けた上品そうな男だった。

「よく来てくれた、カナイ・セーモン君。私がウィリアム・ケプラーだ。一応、物理学者をやっている」

 長椅子に座ったケプラーは希少なハードコピーの本を閉じると金井に長椅子を勧めた。

「お初お目にかかり申す」

「まずは茶と菓子でもどうだね。ローマンの焼いたスコーンは絶品だぞ」

「ありがたく頂戴します」

 キウイフルーツのジャムを付け、紅茶と一緒に食べる。

 美味い。ベルの焼いたスコーンといい勝負だった。

「君はエド時代から400万年の時を超えてタイムスリップしてきたということだったね」

 本題だ。

「左様にござる」

「荒唐無稽な話だが、原理的にはあり得ない話でもない。天文学的な確率だが」

「原理とは?」

「まず量子もつれについて説明せねばなるまいね」

「量子もつれ」

 全く知らない言葉だ。

「例えばこの2つのスコーン。このスコーンたちはよく似てはいるが別物だ。なぜ別物と言い切れるんだろうね」

「形が微妙に違います」

 このスコーンは手作りだ。完全に同じ形のものなど作ることはできない。

「うん、他には?」

「……その2つ、材料は同じものなのですか?」

 材料が同じものなら、それはほとんど同一のものと言ってよい。

「では逆に訊くが、君の言う『同じもの』の定義とは何だね? 確かにこれは同じ袋に入った小麦粉を使ってはいるが、同じ小麦の穂から採れたものではないよね? さらに細かく言うなら、小麦粉を構成するデンプンの構造も焼いて分解された糖の量も微妙なレベルで違う。さらに細かく、これら分子を構成する原子も放射性同位体の量も完全無欠に同一とは言えない」

「むむむ」

 話が難しくなってきた。

「つまるところ、ものすごく細かい単位で見ると、この2つのスコーンが別物であるということは一目瞭然なのだ。そして物質の最小単位は量子という」

「その最小単位――量子とやら以上に小さいものはないということですか」

「そう。そして量子が同一であるものを区別することはできない。最小単位で同一なのだから、それらは区別できない。同じものだ」

「同じもの」

「同じものはどこに存在しようが同じものだ。時間も空間も関係ない。片方に干渉すればもう片方にも影響が出る。これが量子もつれだ」

 話が見えてきた。

「エド時代で銃弾に当たって死んだ君と、今の君の身体の元となった人造兵士は神がかり奇跡的な確率で量子もつれをおこし、その結果君の意識、記憶が再生したのではないだろうか」

「それが―――真実にござるか」

「いや、違う。仮説だ。実際のところはその場に観測機械でも置いてない限りわからないだろう」

 ケプラーはスコーンの1つにジャムを付け、口に運んだ。

「しかし君が来てくれてよかったよ。私の、今の研究を裏付ける助けとなるだろう」

 人のよさそうな笑みだった。育ちがいいのだろう。

 ケプラーは好奇心旺盛で、本題が終わっても会津の生活などを根掘り葉掘り訊かれた。



 その晩、総統は金井をバーカウンターに呼び出した。

 成果を訊くためだ。

「量子もつれか。成程のう」

 濁り酒を味わいながら、総統は考え込むように顎を撫でた。

「正直半信半疑ですが、あの説明が最もしっくりきました」

 今日の金井は酒が進んでいる。疑問の解消が良いほうに作用したか。

「のう、悩みも1つ消えたところで提案なのじゃが」

「提案とは?」

「祝言じゃ。貴様とシャオランの」

「む」

 寝耳に水という顔だった。

「最低限、シャオランの姉妹がホークランドにいるうちにとっととやらねばなるまいが」

「おっしゃる通りにござる。不覚にも失念しておりました」

 世界の終りのような顔をする。シャオランがよほど大事なのだろう。

「ま、貴様を軟禁状態にして準備も何も出来ぬようにしておるのは、他ならぬこの儂じゃ。儂が万事取り図ろうぞ」

「忝く存じます」

「ではそれを飲み終えたらばとっとと婚約者の元へ行くがよい」

「御意」

 酒を一気に煽ると、少々ふらつきながらも自室に駆けていった。

 これがあの剣鬼かと、格差に微笑みがこぼれる。

 それもつかの間の事。すぐに真顔に変わった。

「量子もつれか。あのウィリアムの口から出たということは―――『人類種の遺産』の正体も掴めてきたのう」

 そこにあるのは冷徹なるホークランドの女王の顔だった。



 式は日本式の神前婚が可能だった。

 小じんまりとした神社ではあったが、多様な種族、民族、宗教を容認するホークランド以外では日本神道の信者すらいるかどうか。

 式のために南極から帰還したエマとザマリンの祝福は強烈だった。

「おめでとー!」

「おめでとう!」

「おめでとー!」

「おめでとう!」

「おおう」

 2人して白無垢のシャオランにまとわりつき、祝福の連呼。胴上げせんばかりの勢いだった。

「おめでとー!」

「おめでとう!」

「おめでとー!」

「おめでとう!」

「おめでとー!」

「おめでとう!」

「ちょ、もう放して」

「おめでとー!」

「おめでとう!」

「おめでとー!」

「おめでとう!」

「ありがとおおおおおお!!」

 血は繋がっていないとはいえ宇宙に3人だけの姉妹だ。

 全力で門出を祝う姿に、金井は故郷の家族を思い出す。

(父上、母上、兄上……誠右衛門にもとうとう嫁が来ました)

 式にはアオイをはじめとしたラインゴルド号のメンバーも参列することになっている。

 アオイは目の手術も終わり、モノクルが取れていた。

「左右で違う色なのだな」

「あ、やっぱ気になります? 医者が間違えて発注しちゃって」

 薄い茶色の左目は生まれついてのものだが、移植した右目は黄色だ。

「これはこれで気に入っちゃったんでそのままなんですけどね」

「成程」

「船員の補充も退役軍人やら元商船乗りやら総統閣下から都合してもらいましたし、今後も安定して海賊続けられそうですよ。海賊というよりはただの武装商船みたいな感じですけどね」

「そうか」

 遺産のことはあえて訊かない。最早部外者だ。極秘事項にまで関わる資格はない。

「総統閣下とレエモンさんからも花とご祝儀が送られてきたとか」

「うむ」

「閣下はともかくレエモンさんからも来たのは意外ですね」

「俺もそう思う」

 つんけんとしてはいるが、実はそれなりに買われているのだろうか。


「つんけんとはしておるが、実はそれなりに誠右衛門を買っておるのじゃろう?」

 官邸執務室。

 総統が通話会議をしているのはレエモンだ。

 会議とは名ばかりの雑談に近いものだったが。

「別に、あの男個人に対しては思うところはありません。ただ希少な我が方の剣士であるからして」

「カカカ、まだそう決まったわけではないぞ」

「では将来への投資ということで」

「ある意味似ておるからのう。あ奴と貴様は」

「またそういう……」

 怒っている風だが、赤子の頃よりレエモンを間近で見てきた総統だから分かる。彼は気分を害したどころか、上機嫌な方だ。

「貴様も32になるか」

「すべて貴女の御陰です」

 32年前、漂着したガリアンの宇宙船の冷凍睡眠装置から救出された、唯一の生存者がレエモンだった。

 ガリアンと王国圏はかつての100年戦争以降、徹底した不干渉をお互いに取り決め、完全な断交状態となっている。

 そもそもガリアンとの間に立ちはだかる10亜光年の暗黒海域が互いの交流を遮断していた。

「貴様も誠右衛門も異邦人。互いに通じるとこがあるだろうよ」

 救出されたレエモンは総統が引き取り育てた。いわば総統がレエモンの母親代わりである。世話は主に家令のベルや奴隷人間のメイドたちがやっていたが。

「閣下は一度これと気に入ったものには甘いところがございます。くれぐれも海賊上がりの者など信用なさいませんよう」

「違うぞレエモン。儂が甘いのはな―――身内じゃ」

「心得ておりますとも」

 レエモンは現在治安軍の施設にいる。

 治安軍長官は6つのときに剣士としての力が発現して以来、たゆまぬ努力の末に得た地位だ。

 剣士であるからには期待されるのは人間兵器としての戦力だが、ある程度の事務雑務も生じる。

『人類種の遺産』の調査報告もそれだった。

 極秘事項のため、長官に直接報告が行き届く。

「通信のセキュリティも完璧ではありません。ご報告は直接差し上げます」

「うむ、任せた」

「ときに閣下。議会派からの情報共有に腑に落ちぬ部分があるのですが」

「いずこじゃ」

「宇宙怪獣の記述です。私は集団幻覚にでもあったのではないかと疑っているのですが」

「その話は、直接会ってした方が良かろう。そもそも宇宙怪獣というのは―――」

 総統の言葉は途中で切られた。

 レエモンの側にアラートが鳴ったためだ。

 背後から緊急通信が響く。

「第5外洋艦隊より報告! 正体不明の飛翔物体を別途表示の座標にて確認。目視報告によれば―――宇宙怪獣です! 現在ホークランドに接近中。9日以内に本星に到着の模様!」

 ついに来た。宇宙怪獣ファフニール。

 それは、人類種の遺産の眠る黄金海域の伝説。

 財宝に近づくものに滅びをもたらす神話の邪竜。

「新婚早々に気の毒じゃが、誠右衛門には無理矢理にでも協力してもらう他あるまいな」

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