第51話 とある優しい村娘と手負いの魔族

油断した。


そう思い、木にもたれかかった魔族は

皮肉にニヤリと唇を曲げた。


腹の傷が深い。

血がとめどなく流れ一向に止まる気配がない。


なんとか追手を巻くことはできたようだが、

多量の出血により、この場から動けそうになかった。


(ついに年貢の収めどきか)


悔しさはない。

自分がただ弱かった。それだけだ。


そう魔族が思った――その時――


かさりと目の前の茂みが揺れて

人間の少女が姿を現した。


「……人間の娘か……」


血の滲んだ口を曲げて

魔族が笑う。その顔を見て――


少女が慌てた様子で

茂みの奥へと駆けていった。


おそらく、大人を呼んでくるのだろう。

手負いの魔族を仕留めるために。


しかし――


再び姿を現した少女はやはり一人だった。


それどころか、その手に桶やタオル、

そして包帯や薬草などを握りしめている。


「……どうした?」


「……怪我してるから」


少女はそう言うと、

魔族の前に座り、傷の手当を始めた。


魔族はしばらくぽかんとした後に、

牙を剥いて少女に告げる。


「何のつもりだ!

余計なことをするな!」


「だって……血を止めないと死んでしまうわ」


「魔族を助けるなど気でも触れたか!」


「魔族だろうと人間だろうと、

怪我人をみたら助けるのは当然でしょ?」


その後も、いくら魔族が声を荒げようと

少女はその治療の手を止めることはなかった。


「一通り手当は済んだわ。お腹空いてない?

パンとか持ってきたけど食べるかしら?」


「貴様……本当に何を考えている。

わかっているのか。俺は魔族で、

お前たち人間の敵だぞ」


「そうかも知れないけど……

少なくとも今は怪我人よ。それに

私はあなたのこと知らないもの。

知らない人を憎むことなんてできないわ」


「怪我が治れば、俺はまた人間を襲うぞ」


「……パン置いておくから」


少女がパンを置いて、茂みの奥へと帰っていく。


魔族は舌打ちをしてパンを手に取る。


「……毒でも仕込んでいるのか?」


それならばむしろ都合が良い。

善意などより悪意のほうが慣れているのだから。


魔族は一口パンをかじる。


だが――


口の中に広がるのは、パンの甘い香りであった。




それからも少女は度々姿を現して、

魔族の治療をしていった。


魔族は憮然とした面持ちながら、

どちらにせよ怪我で身動きもできないため

少女の治療を仕方なく受け入れた。


少女は明るく、魔族に対しても

笑顔を見せるような純粋な娘だった。


しかしある時、

こんな話題が出たときだけは、

少女はその表情を曇らせていた。


「どうして人間と魔族は争っているの?」


「決まっている。種族が違うのだからな」


「どうして種族が違うと争わなきゃいけないの?」


「分かりあえることなどないからだ」


「そんな事ないと思うけど……」


「ないな」


きっぱりと告げる魔族に、

不満げに表情を暗くする少女。


魔族はふんと息を吐き、淡々と事実を告げる。


「種の違いを埋めることなどできん。

異なる種が共存するには――支配するしかない」


「支配?」


「強いものが弱いものを従わせる。そういうことだ」


この言葉に、少女は強い反発を示した。


「そんなことないわ。強いとか弱いとか、

そんなことでしか共存できないなんて嘘よ」


「嘘なものか。弱いものは強いものから搾取される。

どのような綺麗事を抜かそうと、それが現実だ」


「強い人は弱い人を守るものよ」


「それは弱い人間のたわごとだ」


魔族はギラリと瞳を尖らせて少女を睨みつけた。


「弱ければ奪われる。それが嫌ならば強くなればいい」


「そんなの――間違っているわ」


少女の声が小さくなる。


どれだけ否定しようと現実問題として、

魔族に襲われて滅ぼされた人間の村は多い。


少女は強情であるが、愚かではない。

魔族の言葉が決してたわごとでないことを

理解しているのだろう。


だがそれでも――少女は弱々しくこうつぶやいた。


「私は……弱くても強くても、

信じあえることがあると思っているわ」


「……ふん。勝手にしろ」




――少女と出会ってから一月。


傷は完治していないが、なんとか動けるようにまで回復した。


結局最期まで、少女は魔族を村人に知らせることはなかった。


魔族は少女に別れの挨拶をすることなく

隠れ潜んでいた場所からひとり離れる。


(……挨拶だと?)


馬鹿らしい。人間と馴れ合う気などない。

むしろ人間がこちらを信用してるなら、

それを利用して、彼女の村まで案内させ、

その村を襲ってやるのも良い。


住処を追われたため金もない。

村ひとつ襲えば、良い稼ぎになるはずだ。


そう思いながらも――


どうにも気乗りしない。


(……むちゃをして怪我の治りを遅くしたくないだけだ)


我ながら言い訳じみている。


そんなことを考えながら、

魔族は周囲を見渡せる崖の上に着いた。


とにかく次の住処を探さねば。

そんなことを考えていると――


眼下に小さな村を見つける。

その村のある場所は、魔族が隠れ潜んでいた場所の近くだ。


「……なるほど。あの娘の村か」


思いがけず、少女の村を見つけた。

だがやはり、どうにも襲う気にはなれない。


魔族が軽く舌打ちをして、村から目を逸らした時――


「あれは……」


村から少し離れた位置に、数十体の魔族が潜んでいた。

各々が武器を手にして、村へと少しずつ進んでいる。


「……村を襲うつもりか?」


おそらくそうだろう。

村へと近づいていく魔族は

赤い瞳をらんらんと輝かせ、

凶暴な笑みを浮かべていた。


魔族は小さく息を吐く。


「……みたことか。これが現実だ」


人間と魔族が分かりあえるなどと、

妄言を吐いた強情な少女に毒づく。


いくら綺麗事をならべようと、

弱者は搾取されるために存在する。


弱いままでは――失われるだけなのだ。


「……俺の知ったことか」


魔族は踵を返して、村から離れていく。


どうでもいいことだ。


少女に恩義などない。


治療など頼んだ覚えもない。


そもそも――


魔族が人間のために動くなどあってはならない。




――だが


――それと同様に


――人間が魔族のために動くことも


――本来はありえないことだ。



「……」


弱いものは強いものに搾取される。


それは覆しようもない事実だ。


弱いものはいつも奪われるだけだ。


金も住処も――命も。


少女もまた弱い。


だから――奪われる。


それだけだ。


それだけの――はずだ。



――だというのに




どうして――



胸が――




「――くそ」


魔族が足を止める。


「――くそ! くそ! くそ!

俺は何を考えている! あの人間が死のうと

俺にはどうでもいいことだろ! そのはずだろ!」


いくらそう自分に言いかせても――


魔族はもう――


気づいていた。




あの取るに足らない少女が――


弱いだけのあの少女が――


奪われることは我慢ならないのだと。


「――!」



魔族は踵を返し、少女の村へと駆け出した。


まだ傷は完治していない。

走るたびに腹の傷が痛み、血がにじみ出る。


だがそれでも魔族は一心不乱に走った。


あの弱い少女が――


奪われないために。



遠目に村を眺める。

村を襲おうとした魔族はすでに

村に入り込んでいるようで、

村からは悲鳴と火の手が上がっている。


(――くそ! 間に合え!)



魔族が村に到着する。



――だが


「……そんな」


魔族はそこで目にした光景が信じられず


力なく――膝を着いた。




――そこには





「オラオラオラオラ!

この私の村を襲うつもりとは

良い度胸じゃないの!

生きて帰れるとは思うんじゃないわよ!」


「いやあああああ! 助けてええええ!」


「悪魔じゃああ! 悪魔のおなごじゃあああ!」


「逃げんじゃねえ! このクソ砂利が!

刻んで叩いてじゃんけんぽんしてやるわ!」


「いいぞ! やれやれ!」



魔族を追いかけ回している少女と、

それに歓声を上げている村人の姿があった。



「くらいやがれ! 昇鷹拳!」


「ぶべろろろろ!」


「ひげえええええ!」


少女の繰り出したなぞの技により、

十体以上の魔族がまとめて宙に飛ばされる。


どうやら村を襲いに来た魔族は全て

少女に倒されたようで、少女のすぐ近くに

血だるまの魔族がゴミのように積まれていた。


「けっ! おととい来やがれ――

……て、あれ? あなたは――」


少女が魔族の姿を見つけて、

とてとてと駆け寄ってくる。


魔族の姿を見て、

少女がぱあと表情を華やがせる。


「わあ! よかった動けるようになったのね。

いきなりいなくなるから心配していたんだよ」


そう朗らかに話しかけてくる――


最強の少女に――



「……ういっす。おせやになりました。

このご恩は一生忘れやしません」


魔族は小物感ばつぐんに頭をペコペコと下げた。

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