第35話 とある大魔王と老人ホームの職員
「ぐ……おのれ」
地べたに這いつくばる勇者一行を見下ろし、
魔王はほくそ笑んだ。
これが人間が一縷の望みをかけて
自身に遣わした勇者一行……
なんと生ぬるいことだろうか。
魔王は虫でも払うように、
右手をおもむろに振るう。
すると魔王の手のひらから
巨大な火の玉が撃ち出され
地面に這いつくばっていた
勇者一行を薙ぎ払った。
「があああああ!」
「きゃあああ!」
火だるまになった勇者一行が
苦悶の声を上げて
地面をのたうち回る。
その姿がひどく滑稽で、
魔王は声を上げて笑った。
「無様なことだな。
その程度の力で、魔王である我を倒そうなどと、
よくもそんな分不相応な夢を見られたものだ」
「くそ……俺たちの肩には
人類の期待が掛かっているんだ。
負けるわけにはいかないんだ」
「気概だけは褒めてやろう。
だが……無駄なことだ」
魔王は唇を歪めると
両手を頭上に掲げて意識を集中させた。
「冥途の土産だ。見せてやろう。
我が絶対的な力を――」
魔王の掲げた手のひらに、
闇の力が集中していく。
勇者一行の顔面が瞬く間に蒼白となる。
自身らがいかに魔王にとって
取るに足らない存在であるのか
理解したのだろう。
だが――その認識はすでに遅すぎた。
「死ね――勇者どもめ」
魔王は頭上に掲げた闇の力を
勇者一行に容赦なく投げつけた。
――
――
「とまあ、そういうわけじゃ」
「へえ」
老人の話を聞き終えた若い女性が、
そんな気のない返事を返す。
女性のその返答に、
老人は不服げに唇を尖らせた。
「へえ……とは何事じゃ。
この話は、魔王であるわしが
勇者一行を華麗に駆逐した、
素敵無敵な話じゃぞ」
「そうですねえ」
女性が老人の話にこくこくと頷いて、
桶のお湯に浸していたタオルを、
きゅっと絞る。
水気を切ったタオルを丁寧に折り畳み、
女性が老人の上半身をタオルで丁寧に拭く。
「ですけどね、おじいちゃん。
魔王でしたら他にちゃんといますよ?」
「馬鹿者が。今の魔王はわしの後継者じゃよ。
わしは二十年も前に引退した身じゃからの。
いうなればわしは魔王のさらに上の存在――
そう大魔王じゃ」
「その話――何度目になりますっけ?」
首を傾げる女性に、
老人はプンプンと頭から湯気を出す。
「何度でも話すわい!
わしの言葉を誰も信用しようとしないのじゃからな!」
「でしたら、どうしてその大魔王のおじいちゃんが、
この老人ホームにいるんですか?」
「じゃから、二十年前に腰痛が悪化して
身動きが取れんようになってしもうたんじゃ!
そしたらあれだけわしを持ち上げていた魔族どもが
手のひらを返したように、わしに見切りをつけおった!
けしからんことじゃ!」
「まあでも、戦えない魔王じゃあしょうがないですよね」
「まだ戦えるわい! 確かに身動きは取れんが、
わしの古代魔法を使えば、この辺一帯を焼け野原に――」
「はい大魔王のおじいちゃん。
体拭き終わりましたから服を着てくださいね」
老人ホームの職員である女性の言葉に、
老人は言い掛けた言葉を止めて、
溜息まじりに服を着こんだ。
「ぬう……大魔王たるわしが人間に体を
拭かれるとは、何という屈辱じゃ」
「そう言うなら、ちゃんとお風呂に入ってくださいね」
「……ここの風呂はひどく熱いんじゃ。
とても入ってられるものではないわ」
「大魔王が何を情けないことを……
まあ確かに他のおじいちゃんは、
熱いお風呂が好きだから、
それに合わせるとそうなっちゃうんですよね」
「勇者どもの火炎魔法よりも熱いぞ」
「はいはい」
老人の愚痴を適当にあしらい
職員の女性がニコリと微笑む。
「そうそう。今日の夕食は
大魔王のおじいちゃんが大好きなシチューですから、
楽しみにしていてくださいね」
「ほうほう、それは吉報じゃな」
老人はきらりと瞳を輝かせ、
職員の女性に尋ねる。
「して、わしのは当然二人前じゃな?」
「まさか……一人前しか用意しませんよ」
「わしは大魔王じゃぞ!
言うことを聞かねば、この辺りを焼け野原に――」
「わがまま言うと、夕食抜きにしますよ」
「……むう、それは困る」
落胆して肩を落とす老人に、
職員の女性がポンと手を打つ。
「ああ、そういえば104号室の
おじいちゃんが、大魔王のおじいちゃんを
呼んでいましたよ」
「大魔王を呼びつけるとは無礼な奴じゃ」
「またチェスの誘いじゃないですか?」
「だろうな。仕方ない。出向いてやろう」
「また偉そうにして……
車いすを押すのは私なんですからね」
苦笑する職員の女性に、
老人は申し訳なさそうにぺこりと頭を下げた。
――
――
「だああ! 待て! 待て!
やり直しじゃ」
「またかい? 大魔王のじいさんよ」
大魔王の言葉に、
チェス仲間の老人がカラカラと笑う。
「待ったは一度だけだ。
そう約束しただろ?」
「卑怯だぞ! お主!
わしに気付かれんようにコマを進めおって!」
「気付かれんも何も、
目の前でコマを動かしているだろ?」
「黙れ! ええい! わしの古代魔法が火を噴くぞ!」
「はいはい。火でも何でも噴いて良いが……
人にものを頼むときは、それなりの態度があるだろ?」
「……すまぬ。あと一度だけ許してくれ」
ぺこりと頭を下げる大魔王に、
チェス仲間の老人が歯の抜けた口で笑う。
「仕方ないな。あと一度だけだぞ」
「ふっふっふ。大魔王たるわしに
チャンスを与えたこと、後悔させてやろうぞ」
意気を取り戻した大魔王は、
自身のコマを一手前に戻して、
再度ゲームを続行する。
だが瞬く間にピンチに陥り、
大魔王はまたも声を荒げる。
「いかん! 待った! 待った!」
「もう駄目だぜ。大魔王のじいさん。
これ以上は認められねえな」
「ぬうう! わしは五百年を生きる
大魔王にして大魔族じゃぞ!
そのわしが頭を下げているというのに、
その頼みが聞けんというのか!?」
「大魔王でも大魔族でも、ルールは守らんとな」
「わしの古代魔法が――」
「第一、ルールを無視して試合に勝っても
じいさんも嬉しくないだろう?
大魔王だというのなら、なおさらな」
チェス仲間の指摘に、
大魔王はぐうの音も出ず声を詰まらせる。
「……確かに、正々堂々と倒さねば
わしの力を見せつけることにはならんな」
「だろ? チェスだったらまたやればいいさ。
だから今日のところは諦めることだな」
「……仕方ない。この屈辱は忘れんからな」
しぶしぶ了承する大魔王に、
チェス仲間がカラカラと笑う。
「さすが大魔王さまだ。話が分かる」
「……馬鹿にしておるな」
大魔王が不服に唇を尖らせる。
するとここで――
「ああ、ここにいたのね。
大魔王のおじいちゃん」
中年女性の職員が現れる。
きょとんと目を丸くする大魔王と若い職員に、
中年職員が眉をひそめて言う。
「何でもね、また村に現れたみたいなの。
申し訳ないけど、おじいちゃん頼めるかしら?」
「また? 先週来たばかりなのに……
おじいちゃん? 大丈夫かしら」
若い職員の言葉に、大魔王はこくりと頷いた。
「懲りない連中じゃな。仕方ない。出向くとしよう」
大魔王の言葉に、若い職員が手を叩いて笑顔を見せた。
――
――
「げははははっは! 我らは最強の魔族さまだ!」
「人間どもめ! ひれ伏せ! 恐れ戦け!」
「皆殺しだ! 刻んで叩いて醤油に付けて食ってやる!」
村の入口に突如として現れた三人組の魔族。
彼らが意気揚々と威嚇の声を上げていると――
「古代魔法――パフパフ」
しわがれた声が鳴り、
三人組の魔族があっさりとチリと化す。
村人たちがホッと胸をなでおろし、
しわがれた声の主に振り返る。
そこには車いすに乗った
大魔王の老人がいた。
大魔王の車いすを引いていた
若い職員が「わあ」と手を叩く。
「さすが大魔王のおじいちゃん。
頼りになるわ」
「うむ。この程度の魔族など
ものの数ではない」
「とっても素敵よ」
「当然だ。して、約束は忘れておらんだろうな」
「ええ。大魔王のおじいちゃんのシチューは
特別に二人前用意しますからね」
「うむ。それは僥倖じゃ。
ついでに食後のデザートも二人前に――」
「それは駄目です」
若い職員にきっぱりと断られる。
「……わしが世界を征服した暁には、
世界の半分をやる。それでどうじゃ?」
「世界なんていりませんから、
聞き分けましょうね」
残念そうに肩を落とした大魔王は、
若い職員に車いすを引かれて、
老人ホームへと帰っていった。
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