やはりどうしても気になってしまう。食後に僕らはビールを飲み始めて、だから自然と会話はそちらに向かった。つまり彼女についての話だ。


 彼女はソファーの背に寄りかかって、程よく冷えたビールにリラックスしていた。僕はキッチンのカウンターを挟んで彼女を見下ろしながら、新しいビールを音を立てて開け、立ったままそれを飲んだ。風は少しぬるかったけれど途切れずに部屋を流れ、汗の体に心地よかった。


 彼女がビールを飲むことについて、僕はもう考えないことにした。貨物が取り扱い方法に希望を出してくるなら、それに従ってしまおう。職住が分離されてない僕の暮らしだったから、そこらへんを考えるのは面倒くさかった。第一彼女がビールを飲む姿はごく自然だったのだ。


 僕は彼女の振る舞いにどうしても納得がいかなくて、なぜ逃げないのか、何をされるか分からないのに不安じゃないのかを聞き出そうとした。人間が人間を貨物として扱っていることに、僕はまだ動揺していたのかもしれない。


「そんなことに責任感を持っても、君には何も得がない。さっさと逃げ出せばいいのに」


 彼女は自分のこれまでについては頑なに口を閉ざしたけど、今の自分についてはこれっぽっちも迷いを持っていなかった。


「私がいいと言ってくれる人がいるなら、そこに行ってみるのはきっと間違いじゃないよ」


 彼女はビールで胸元まで赤くして、しきりに襟元をパタパタとした。シャツの裾はだいぶ上の方にずり上がってしまっていたけど、酔った彼女はもう気にしていなかった。僕は自分の視線が不躾になってしまうのを止められず、それが彼女をうっとりとさせた。


「それが私の価値だもん。何か間違ったこと言ってるかな」

「行った先で、ひどい奴が君をおもちゃにするかもしれないんだぜ。君はそいつの言いなりになるままで、得られるはずの対価は、どこかよそに吸い上げられてしまうんだ」

「私にそうして欲しいなら、そうしてあげるの」


 彼女はまだ見ぬ顧客に自身を捧げる自分に酔っていた。小さくないだろう財を投じて無数の可能性の中から自分を選んだという行為は、見方によってはこれ以上ない優越感を彼女に与えていたのだ。それは、僕がこだわる人間の貨物扱いという問題とは大きくズレていた。議論の難破に頓着しない彼女はわざと胸元を大きく広げて、僕の視線がその上を泳ぐのを嬉しそうに眺めた。


 けれども次第に分かってきたのは、実は彼女が自身の配送目的を知らされていなくて、配送先が性的充足のために彼女の魅力を欲しているというのは、彼女の思い込みにすぎないという事だった。


 彼女は何のために送られていくのだろう。規格のように整えられた彼女の髪や健康な体。体にストレスをかけないシンプルな服装。


(彼女の白い足、しっとりと滑らかな肌、すっきりとした腰回り、形のいい胸、瞳)


 僕は悪い空想を止められなくて、ビールは急に苦くなった。彼女は人間としての総体を求められているのではなく、


部品パーツ


受け取り手の考える彼女の魅力はそこにあるのだろうか?


・・・


 僕はすでに酔ってしまっていた。だからどうしても黙っておくことができなかった。


・・・


「それでもいい」


 彼女はもう飲めないと言って、残りを僕が引き取った。酔いは彼女の全身をぐるぐる巡って、彼女は目を瞑ると深くソファーに寄りかかった。肘掛けに両手の重さをすっかり預け、膝を軽く閉じ、両足のつま先は床に落ちたけれども、求め合うように互いの方を向いていた。


 僕はそばに立ったまま、酔った目でしどけなく横たわる彼女の全身を眺めた。そこに昼間の、何もつけず浴槽に横たわる彼女の姿が重なった。彼女は美しかった。僕の中にふつふつと怒りが湧いた。彼女は全部が彼女自身であり、全てを備えてこそ一つの彼女であり、それはバラバラにしてもいいものではなかった。


「私のどこかに価値があるなら、それを認めてくれるなら、それでもいい」


 目を閉じた彼女はつぶやいて、そこにはすでに決まった事実を述べるような、淡々とした響きがあるのだった。


「さっさと逃げたらいい。そんなチェーンなんて簡単に切れる。そして僕はしばらく目をつむってる。あっという間に君は自由だ。


逃げるためのお金なら僕が用意する、何なら乗り物だって」


 僕は倉庫に転がっている古ぼけた二輪駆動装置を思い出していた。あれの充電にはどれくらい時間が必要だろうか。


 彼女はうっすらと目を開けて僕を見た。それから左手を上げると、僕にシャランとチェーンを見せた。


「私を縛るチェーンは、こんなおもちゃなんかじゃない」


 そして、一介の配送管理者のあなたに話す必要もない、話すつもりもない、と言った。


「だいたいあなたが怖がってることだって、あなたの妄想かもしれない。そんなものよりも、私は自分が魅力的だと知ってるし、その魅力を信じてる」


 彼女はソファーの上で息苦しそうに身を捩り、するとその曲線が一層際立った。


「でも、だからって、そんなひどい縛りに素直に従うなんて」


 彼女の体から目を離せずに、僕は言い返した。手にしていた缶の中で、ビールがぴちゃりと濡れた音を立てた。


 再び彼女は目を閉じ、両手で自分をかき抱くようにした。


「あなたと私、何が違うっていうの」

「僕?」

「そう」


———こんなところにひとり飼われて、機械だけを慰みにして、人生を切り売りして。


———明日は今日と同じ。明後日も、その後も、その後もずっと同じ。


———どこへだっていけるのに、あなたはどこにも行かず。


———機械の一部になって、満足してる。


———あなたは小さな責任を任せられて、それっぽっちに満足してる。


———誰も文句を言わない、誰にも迷惑をかけない。


———そんなことに満足して、それが自分の価値だと信じ込んでいる。


———それ以外の可能性を考えようとしない。


———怖いから。


———それ以外を考えることが怖いから。


———・・・


「ああだめ」


 彼女はソファーの上でブルブルと震え出した。


「私は私の魅力を信じないといけないのに」

「ねえ君」


 彼女の目から涙がこぼれ出す。その目は僕をキッと睨みつける。


「あなたのせい。あなたが悪い」

「僕はただ、君のことが気になって」

「怖い」

「・・・」

「あなたのせいで、私は考えないようにしていたことを思い出してしまった」

「・・・」


 不意にソファーの肘掛けを掴むと、彼女は立ち上がろうとした。けれども震える体は主人の言うことを聞かず、体を起こした途端に前へよろめいた。僕は何も考えずにその体を抱きとめた。彼女の重さが、すべて僕にかかった。


 僕が美しいと思った彼女は、僕の腕の中で震え続けている。


「また信じなきゃ、自分を信じなきゃ」

「ねえ君」


 彼女は僕にしがみつくようにすると、必死に顔を上げた。


「お願い」

「・・・」


「私の名前はユノー」

「君は」


「私に私の魅力を思い出させて」


さもないと、明日の怖さにどうにかなってしまいそう。


 涙の顔。それを見て、僕の中に火がともった。それはみるみると大きくなり、僕の内側をゴオゴオと焼いた。


「お願い」

「分かった」


 彼女は一層僕にしがみつくようにして、僕は抱えるようにしてその体をベッドに運んだ。


「僕はメグミ」

「メグミ」

「ユノー、どうか思い出して欲しい、自分の魅力を」


 暗い部屋の中、僕の体の下で彼女は小さく泣くような声を上げ、僕は彼女のために祈った。


(5に続く)

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