第86話 雪を踏んで

 冬のある日、理緒さんがアパートのドアを開けると、廊下にうっすらと雪が積もっていた。

 幸い仕事は休みで予定もない。雪が凍ると危ないので、早めに箒で掃いてしまうことにした。

 理緒さんはとりあえず、自分の部屋の前から掃除を始めた。下を向いて箒を動かしていると、右隣の部屋のドアが開いて、誰かが彼女のすぐ近くを足早に通り過ぎた。

(あれ? 右は空き部屋じゃなかったっけ)

 理緒さんが顔を上げると、右隣の部屋のポストには緑色の養生テープが貼られたままになっている。やっぱり空き部屋のままだよね、と妙に思ったとき、ふたたびそのドアが開いて、白い服を着た若い女性が出てきた。

 女性は裸足だった。凍りかけた雪を踏んで、すたすたと理緒さんの目の前を通り過ぎる。呆気にとられて見送っていると、その女性は左隣の部屋の前を通り過ぎたあたりでふっと消えた。

(えっ、何? 誰? 今の)

 理緒さんが箒を持って固まっていると、右隣のドアがガチャリと音をたてて開いた。

 内側に、ドアノブを握る女の手と、白いスカートがちらりと見えた。

(あっ、また出てくる)

 とっさにそう思った。

 理緒さんは自分の部屋に逃げ込むと、震える手で鍵とチェーンをかけ、その日は一日中閉じ籠った。

 テレビをつけ、外の物音は極力聞かないようにした。


 次の日の朝、彼女が恐々ドアを開けると、廊下の雪は大勢の人がその上を通ったかのように踏み荒らされ、ところどころに判別可能な裸足の跡が残っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る