希薄な理由

「時差ボケでちょっと眠いわね……」


 晩ご飯を食べた後、静香は欠伸をした。

 今日戻ってきはばっかだからしょうがないが、少しだらしない。


「そうか。明日には帰るんだからもう寝たら?」

「明日帰るなんて誰も言ってないわよ。もう少しいるわ」


 夫のお世話をするためについて行ったのに、ここにいてもいいのだろうか? なんて良平は思ったが、面倒だったので言葉にしなかった。

 ついて行くくらい愛してるというのもあるだろうけど、良平の父親は家事が壊滅的だ。

 だから桃花のことを確認出来たのであれば、すぐにでも戻った方がいい。

 それなのに戻らないというのは、きっと何かあるのだろう。


「というか、良平たちに話すことがあるから、こうして戻ってきたのだけど」

「話?」


 静香は「ええ」と頷く。

 このタイミングで戻ってきたということは、桃花にも関係があることなのかもしれない。

 それを桃花も察したのだろう、真剣な顔で静香の方を見た。

 静香はゆっくりと深呼吸をしてから話し始めた。


「話しというのは、良平の感情がこんな理由なのだけど……」


 普通の人がこんなにも感情が希薄なことなんてなく、良平がこうなったのにはちゃんとした理由がある。

 虐待などを受けて感情が希薄になっていくならわかるが、良平はそうではない。

 一人でいることが多かったけど、虐めなんかは一切なかったのだから。


「良平は小さい頃に病気になったことがあるの」

「病気?」

「ええ。脳炎よ」


 脳炎はウイルスが直接脳に侵入感染して起こるものもあれば、ウイルスなどが炎症を誘発して起こるものもある。

 発熱、頭痛、けいれん発作などが症状として現れ、死ぬ可能性のある病気だ。

 助かったとしても後遺症が残ることがあって、身体を動かしにくかったり、知能障害があったり様々。

 良平に関してはそんなこと起こっていないので、ほぼ完全に回復はしているのだろう。


「命は助かったけど、良平は脳炎のせいで感情が希薄になってしまったの。他に問題はないのだけれど」

「脳炎に? そんなの記憶にない……」

「私も知らない……」

「本当に小さい頃だったから」


 真剣に言う静香を見て、とても冗談には思えなかった。

 そもそもこんな嘘をつく人ではない。


「今まで言うか迷っていたのだけど、彼女が出来たということで言うのを決めたわ」


 良平に彼女が出来たということは、この先結婚まで行く可能性がある。

 だからこのタイミングで告げ、桃花にも知ってもらおうと思ったのだろう。

 桃花は良平にベタ惚れだということなので、告白しても問題がないとの判断だ。


「少し感情が戻ってきているようだし、桃花ちゃんが彼女になって本当に良かったわ」


 彼女が出来なかったら、良平の感情はまだ戻っていなかっただろう。

 そんな息子が感情を出しているのだ、母親として嬉しいに決まっている。


「桃花ちゃん、これから良平のことをお願いします」


 うっすらと涙を浮かべながら、静香は桃花に頭を下げた。


「あ、頭を上げてください。私は何があろうともお兄さんのことを愛すと決めてますから」

「桃花……」

「私はずっと一緒にいますよ。これからゆっくりと感情を取り戻していきましょう」


 桃花は良平に抱きつき、自分の顔を胸にうずめさせた。


「もしかしてお兄ちゃんが婚姻届けを出そうとしたのは、病気になったことがあるのが原因?」

「婚姻届け? これはまた大胆というか思いきったことをしたものね……」


 桃花がモテるから出そうとしたのだが、誰が聞いても驚くだろう。


「それについては病気かどうかはわからないわ。私は医者ではないのだし」

「そうだね」


 ずっとイチャイチャしている二人を見て、ため息をつきながらもどこか嬉しそうにしている詩織であった。

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