第百二十九話 憂いあり
どうしよう。
俺は途方に暮れていた。
眼前には非常に多くの観客ーーー魔界の住人達が居る。中継で各地に繋がってもいる。そしてその人数・獣数の二倍の目が、俺を見つめているのが分かる。分かってはいるのだ。だが俺は指一つ動かせず、汗を滝のようにかきながら、どうすべきかを計りあぐねていた。
問題は簡単だ。
暗記した原稿を忘れたのだ。
もう一文字も出てこない。
壇上に出るまでは記憶に残っていたはずなのだ。だが壇上に出て、視線がこちらに集中した瞬間、全てが消えていった。泡のように。
ここまであがり症だっただろうか。いや違う。だが俺の双肩に掛かっている物の重さと、そして集まる視線の量に押し潰されてしまった。そんな感じがする。
最悪の場合に備えて原稿を持って出たのだが、それは風に飛ばされた。一瞬のことであった。俺があっという間に忘れた瞬間、手の力が緩み、そして紙は空を舞った。
チラと舞台裏を見る。サリアとトンスケが頭を抱えている。ジュゼは代わりの原稿を用意しようと大慌てになっている。ティアは寝ている。昨日時間を止めていたので疲れているのだ。
ああ、どうしよう。
俺は意を決して、今まで逸らしていた全ての視線に正面から向き直った。
もうなればヤケだ。やるだけやってみよう。ダメなら俺が時間を戻す。そう心に決めて、俺は口を開いた。
「……魔界の皆さん、お集まり頂いた事、感謝致します。」
舞台裏からアッという声が上がるのが聞こえる。ジュゼが台本と見比べて違うとジェスチャーしているのが、なんとなく空気の流れとかそういうので分かる。
でも続ける。
もう後には引けない。自分の言葉で伝えるのだ。
「ここに集まっていただいたのは、ある事実を伝えるため、そして、あるお願いを聞いて貰うためです。」
人々がざわつく。
「先日魔界を襲撃した怪物……我々魔界政府は、あれをユーデアーラ、伝説の怪物デアーラと、邪悪に歪んだ勇者ユート・デスピリアの名前からそう名付けました。あれを斥候とした一軍が、宇宙、つまりこの星の外から飛来しようとしている事が分かりました。到着まで、約90日。極めて限られた時間しか残されていない事もまた、分かりました。」
俺は敢えて余裕の無い方の時間を提示した。期限は短く設定する方が良いと、何処かで聞いた気がする。それに時間を止められるとかそういう話をするとややこしくなると思ったからだ。
「このままでは、この星は、あの怪物に食われてしまうでしょう。」
その言葉に人々は、身を竦める、頭を抱える、様々な反応を見せた。何もが一つの思いを表していた。恐怖。それは中継の画面からも伝わってきた。
「あの怪物は、この星の魔力を食わんとしています。被害を受けるのは、魔界です。我々が、最も危険な位置にいる事は確かです。……ですが。ですが!!」
俺は力を込めて言った。
「我々は座してそれを待つべきなのでしょうか。否です。断じて否であります!!我々魔界の住人が、ただ一方的に食われるだけで良いのでしょうか!!決して、そんな事があってはならない!!」
拳に強い力が加わり、掌にドラゴン特有の鋭い爪が少し突き刺さる。
「我々は怯え戸惑うだけではない!!我々は、断固として、宇宙より来たる侵略者に対抗せねばなりません!!」
人々が顔を上げ始めた。その顔には薄らと、薄らとではあるが、決意のような物が見え隠れしていた。決意と、そして、闘志が。
「そこで私は皆さんにお願いがあります!!皆さんの力を貸してほしい!!」
「具体的にはなんだ!!」
聞き覚えのある声が聞こえた。コスマーロの声、だがちょっとだけ声色を変えている。場を盛り上げようとしてくれているのだろう。その声に同調するように、そうだそうだという声が聞こえる。
「この星全体にバリアを貼ります!!皆様には、そのバリアの生成するための魔力供給用の導線を作るなどの作業をお願いしたい!!そして、この魔界城に全ての敵を集め!!我々の力で!!魔界の総力を上げて!!これを迎撃するのです!!」
「それで大丈夫なのー?」
今度はアウローロのちょっと声色を変えた声が聞こえる。
「そうだそうだー。」
「もうあんな思いをしたくないわ…。」
人々が次々に不安を口にした。
「不安に思う方もいるのは分かっています。ですが、これしか方法がありません。私とそこにいる勇者の力であれば、先日のように迎撃する事は可能です。しかし、それが魔界全土となれば、私達にも手の打ちようが無くなってしまいます。危険は承知で、ここに集める方法しかありません。逆にそれが実現出来れば、皆さんの被害を抑えるために避難誘導も容易となります。」
中継の人々にも見えるように手を広げた。
「魔界の未開拓領域。そこに満ち溢れる魔力を使えば、この星を覆うバリアの形成は可能である事は計算されています。」
嘘だ。結構一か八かだ。だが今ここで出来ないとは言えない。勢いで乗り切る。
「私はそこに住うすべての神々の協力を得ました。神々も迎撃、そして準備に協力してくれる事は決定済みです。」
人々が少しだけ安堵の顔になった。神々の助けがあるというのはある程度の安心を生んだようである。
「ですが唯一足りないのは、先程も申し上げた通り、魔力を供給するためのパイプ、それを作る人々の手です。」
俺は再び手を握り、掲げた。
「皆さんの命と!!皆さんの手は!!私が守ります!!守ってみせます!!だからそのための力を!!私に貸してください!!皆さんの手を!!私に!!貸して頂きたいのです!!」
そこで、俺は一息吐いた。
「お願いします!!手を貸して下さい!!貸して下さる方はどうか!!どうか!!手を上げて下さい!!」
心の底から、叫んだ。
一瞬の沈黙の後、人々が手を上げた。
俺は緊張の糸が解れ、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになったが、なんとか踏みとどまり、手を上げると同時に放たれた人々の歓声に応えるように手を振った。
「魔王様!!」
その歓声を切り裂くように、突然ジュゼの叫び声が聞こえた。場に沈黙が再び訪れた。
声色には明らかな焦りと恐怖が込められていた。
「な……。」
なんだ?と聞き返したかったが、聞きたくなくて言葉が出ない。
そんな俺を無視するように、ジュゼを振り切って壇上にズカズカと上がり込んできた男が居た。
スカイルであった。彼は俺と目を合わせるなり、突然頭を下げた。
「大変だ。申し訳ない。計算違い甚だしい。……もう、もう、時間が、無い。」
……なんだって?
「ともすれば、ともすれば、だが、もう奴は、すぐそこまで来ている。」
それを聞いた瞬間、俺は遂に堪えきれず、膝から崩れ落ちた。
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