第九十四話 事実は得てして残酷である

 俺は思い出した記憶の衝撃のあまり、ベッドから転げ落ちそうになった。ベッドの横の支えでそれは防がれた。思い切りぶつけて体が痛い。


 なんて…なんて事だ。言葉が出ない。動かせる指がわなわなと震える。


 おそらくユートが最後に放った魔法は、儀式の部屋で知ってしまったであろう精神入れ替え魔法だ。でなければ俺はここにいないし、奴は嫌みたらしく"心を入れ替えた"事に言及したりしないだろう。


 つまり俺は、精神入れ替え魔法で、元の世界に転生…なのかは分からないが、そういう事をされてしまったのだろう。


 そしてその相手が、あの無駄金費太郎だったという事らしい。


 更に、どんな理由かは知らないが、どうも奴は飛び込み自殺を図ったらしい。それで…俺はこうして病院のベッドに居る、と。



 どうしよう。

 ここから何をどうすればいい?



 どうしたいかは決まっている。


 もはや俺にとっては元の世界と化した向こうの世界へ戻りたい。今この世界にいたとしても、俺は無駄金費太郎として、本来の歳より上の人間として生きていかねばならない。無理だ。耐えきれない。


 百歩譲ってそれを受け入れたとしても、あのままユートを、デアーラを、そしてその脅威に晒されたままの彼らを見捨てる事が出来ない。サリアだけではあの状況を完全に処理出来ない。今戻って果たしてどこまで何が出来るか分からないが、とにかく何もしないわけにはいかない。何もしないでいるなんて出来ない。出来る事なら今すぐ駆け出したいくらいだ。



 問題はこの状況全てだ。


 怪我。全治六ヶ月だっけか?そんなに経過したら大変な事になる。…向こうの世界とこちらの世界の時間の流れが同じかどうかは分からないけれど。だがそもそも怪我のせいで動けない。物理的に。体を動かすのも痛い。


 世界を移動してしまった事。こちらの世界には魔法が無い。


 その考えに行き着き、改めてハッとなった。


 …そうだよな。魔法が無いんだよな。


 …無いのか。歴史の上では魔女とかそう呼ばれる人々は居たが、実際は違う。この世界に魔法は存在しない。


 だとすると、ちょっと待て、俺帰れなくね?詰んでない?これ。


 だって…だって…向こうに行った時は…ジュゼが儀式をしたからであって…。こちらの世界で何かしたわけでは…無いしさ…?え?じゃあ何?俺このまま?ずっと?向こうに?戻れず?この姿のまま?


 それはやばい。それは勘弁して。それは勘弁してくれ!!あのまま何もせずなんて居られるか!!何か…何かこちらの世界から何か出来る事はないのか!!


 痛みを堪えながらあれこれ考えつつ、ジタバタとベッドの上でもがいていると、やがてナースが飛んできた。


「落ち着いて下さい!!暴れないで!!」


 そう言われても、はいそーですかと言ってやめられるか。今こうしている間にも向こうの世界は大変な事になっているんだ。全く分からないけどおそらく。


 いや、いや、だが確かに慌てても出来る事はない。俺は自分の心を押し留めて何とか冷静になろうとした。息を吸って、吐いて、吸って、吐いて。そして段々と落ち着きを取り戻した。


「すみません。」


 自分の声に驚いた。なんだこの声。今までのそれより低い。だがよくよく思い出すと、選挙カーのそれと大体同じだった。当面、あるいは一生、この声と付き合わなければならないのか。違和感が強い。エレグの時とは大違いだ。


「いえ、大丈夫ですよ。ただ今はまだ安静にしていて下さいね。」


「は、はい。…と、ところでお聞きしたいのですが。」


 俺は平静を装いながら、出来るだけ丁寧な口調で言った。元の無駄金と同じかどうかは分からないが、丁寧である事に越した事はないだろう。


「なんですか?」


 聞くのが怖かった。だがまず情報収集が必要だ。聞かねばならない。


「私が…その、事故にあってから…どのくらい経っているのでしょうか。」


 その問いに、ナースは何の気なく答えた。


「えーと、運ばれてから丸一日手術して、一日お眠りのままで、昨日目を覚ましたので…。三日ですね。それが何か?」



 三日。


 数時間ではないだろうとは思っていたが、三日。


 それは余りにも、あの出来事が起きた後としては、絶望的な数字であるように思えた。


 その三日の間にどれだけの命が失われただろうか、皆はどれだけの命を守ってくれただろうか。ーーー俺は、どれだけの命を守る事が出来なかっただろうか。


 俺の全身から血の気が引いていった。


「大丈夫ですか?その…貧血ですか?先生お呼びしますか?」


 ナースの男の心配そうな声が遠くから聞こえてくる。距離は離れていないはずなのに、耳に届かない。今はただ、向こうの世界の事だけが頭の中を駆け巡っていた。トンスケ、ティア、サリア、…ジュゼ。彼ら彼女らが無事かどうか。それだけが堪らなく気がかりであった。

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