第九十一話 此処は何処、私は誰

 次に目が覚めた時、俺は病院のベッドに居た。


 病院のベッドと分かったのは、耳元でピッ…ピッ…という心電図の音が聞こえたからだ。


「ん…んぅ…。…?」


 立ち上がろうとしたが動けない。全身が痛むし、腕やら何やら至るところに管が張られていて、それが俺の動きを疎外している。更に呼吸器まで付けられている。動いたらマズそうだ。少し目を凝らすと、腕やら足やらの管が俺の体に栄養やら血やらを運んでいるのが、ちょっとだけ見える。ちょっとだけなのは、俺の腹が邪魔だからだ。


「目を覚ました!!」


 耳元でナースらしき男性が叫ぶ。


「い、今先生をお呼びしますので、このまま少し、横になっていてください!!」


 その男性はそう言い残して病室を出ていった。慌しそうに。


 まだ意識は朦朧としているが、何とかまともに考えられるだけの思考力は戻ってきた。この機会に整理してみよう。


 まず何故俺は病院に居るのか。


 怪我をしているからだ。だが何故?何故怪我をした?いやもっと先に考えるべき点がある。


 俺は何故元の世界の病院に居るのか。


 俺は…その、所謂異世界に居たはずなのだ。それが何故ここに居る?


 まさか…まさか、今までのが全て夢だったとか言わないよな?


 ゾクリと背筋が凍る思いだった。今までのあのリアルな感触が、様々な出会いが全て夢?全て妄想だった?そんな事があるのか?


 だがその考えも別の事実で、立ち消えとまでは言わないが、疑問符が付く。


 少なくとも俺は、大学生だったはずだ。今まで夢を見ていたとしても、それは疑いの余地は無い。仮にそうでないとすれば、合間の記憶…就職するなり、自宅で警備をするなり、何かしらの記憶があってしかるべきだ。


 今の俺の脳内にはそれらの記憶は存在しない。ここに運ばれる前に記憶として残っているのは、異世界で魔王として働いた事だ。その前まで遡っても、大学生の時、選挙カーに轢かれる瞬間の事くらいしかパッとは出てこない。大学生活の事も幾らか思い出せる。だが、大学を卒業してどうこうという記憶は無い。だから、万一異世界の出来事が夢だったとしても、大学生である事は凡そ間違いないと思う。多分。記憶喪失とかでなければ。


 だが一方で、それを否定する事実が存在する。この出っ張っている腹だ。寝ている状態で足の方を見ると、膨らんだ腹がそれを阻む。俺は生前…というべきかなんというべきか、元の世界ではここまで太っていなかったはずだし、異世界の姿でも同様である。それにさっき気を失う前に見た毛深い腕。処理していたからあんなに毛は生えてなかったはずだ。異世界でも…異世界ではエレグ、ドラゴニュートの姿だったから、そういったものとは無縁だった。



 何から何まで分からない。どうしてこうなってしまったんだ?何があって此処にいるんだ?俺は、俺は何をしたんだ?



 …俺は、本当に俺なのか?



 疑問は尽きず、頭の中で浮かんでは消えてを繰り返し、その度に心電図が激しく上下する。そんな中、戸を開けて人が入ってきた。先程のナースの男性と、白衣を着た女性だった。


 その女性は俺を見るなりホッと胸を撫で下ろした。


「良かった…。何とか手術が間に合ったようですね。ですが心拍数が安定していません。まだ油断は禁物です。君、鎮静剤の用意を。」


 先生と呼ばれた女性が近づきナースに指示をしながら、俺に問いかける。


「何があったか覚えていますか?」


 俺は自分の体に付けられたチューブや呼吸器が外れないように気をつけながら首を振った。


「そうですか…。言いにくいのですが、事故か…或いはその…何らかの要因で車に轢かれたようで、それで運ばれてきたのです。意識を取り戻して本当に良かった。出血や全身の骨折で、ともすればという所だったのですよ。通報が早かったお陰で間に合いました。」


 彼女は言葉を選びながら、死ぬ確率の方が高かった、という事を告げた。そしてその前に重要と思われる事を言っていた。事故か、或いは。或いは、というのは、つまり…飛び込み…自殺?


 んなバカな。なんで俺は自殺なんてしなければならないんだ。やる事やりたい事山積みなんだぞ。だが少なくとも車に轢かれたのは事実らしい。…なんでだ?疑問はどんどん増えていく。どれか一つ、せめて俺が誰なのかだけでもハッキリさせたい。俺が俺である事をーーー。


「大体全治六ヶ月といったところでしょうか。ともかく、当面は動かず、しばらくはこのまま寝ていて下さい。無駄金さん。」


 ーーーん?


 無駄金とはどういう事だ?俺の存在が無駄金だとでも言いたいのか?


 そうと思っていると、それが顔に出たのか、ナースが申し訳なさそうに口ごもった。


「い、いや、その…。失礼しました。そういう意味で申し上げたのではなく、ですね…。」


「色々混乱されているようですね。配慮が足りず申し訳ありません。勝手ではあったのですが、貴方の荷物を見せていただいたところ、名刺がありましたので、そちらの名前で呼ばせて頂いたのです。ただ、その…、決して、苗字に対して批判するつもりは無いのですが、少々聞こえが悪いかもしれません。費太郎さんとお呼びした方がよろしいですか?」


 …はい?


 名刺?名刺にそう書いてあったの?


 ていうか俺は名刺なんて持ってないはず…。


 そう思っていると、彼女はその名刺とやらを取り出した。




 その赤く血で染まった名刺には、無駄金費太郎という名前が書いてあった。




 あ?


 ん?


 はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?


 いや待て待て待て待て待て待て!!


 幾らなんでもおかしいだろ!!百万歩譲って俺が元の世界に何らかの手段で戻ってきたり、実は異世界の体験が夢だったとしよう。百万歩譲ってだぞ!!その場合、俺が名刺を持っていたとして、それは「一清」という名前でなければおかしいだろ!!なんで聞いた事も無い名前の名刺が俺の懐に入ってるんだよ!!


 聞いた事…無い…名前…。


 いや…。聞いた事は…ある…。何処かで…。


 俺の脳裏に断片的な記憶が蘇る。異世界に転生する前の記憶。


/////////////////////////////////////


 気分良くゲームをプレイしていると、ゲームのBGMを劈くような轟音が窓の外から響いてきた。

『無駄金費太郎(むだがね・つかいたろう)!!費太郎に貴方の一票を!!貴方の一票が政治を変えます!!』

 選挙カーのアナウンスだ。

「名前をまず変えろよ。」

 その時俺は家に一人だったが、思わず呟いたのを覚えている。何だよその名前。どう考えても無駄遣いする気満々じゃねぇか。

『宵越しの金は持たない党!!宵越しの金は持たない党の無駄金費太郎に清き一票を!!』

 俺の呟きが聞こえているわけもなく、また聞こえていたところで止めるわけもなく、轟音は延々と続いていく。


/////////////////////////////////////


 選挙カーで俺を轢いた張本人じゃねぇか!!なんで俺がそいつの名前…いやそいつになってるんだよ!!


「大変です!!心拍数が急激に上昇しています!!」


 ああそうだろうよ俺はわけがわからなすぎてもうキレたよ!!なんだよこの状況!!意味わかんねぇ!!ああそうか、このずんぐりむっくりの体、あの政治家候補の体か!?なんでだよ!!なんでそいつの体に俺が入ってるんだ!?いや違うのか!?俺の魂にそいつの体が入っているのか!?違う!?あーもうわからん!!誰か!!誰か説明してくれぇ!!


「むー!!むー!!」


 息が出来ない状態でバタバタと動くのを、ナース達が必死で押さえつける。完全に暴れている被疑者を取り押さえるとかそういう感じの光景である。


「危険です!!麻酔と鎮静剤を!!」


 その言葉と共に注射器が打たれた。痛みと共に神経が麻痺していくのが感じられる。さっきから…こんな事…ばっかり…。そう思いながら、俺は三度意識を失った。

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