第五十六話 過去とげんざい

 私はユート・デスピリア。勇者である。それを証明するように、私の手には太陽のアザがある。


 そも勇者とは何か。それはかつて君臨した邪悪なる魔王を討ち滅ぼし、魔界へと封印したという、偉大なる戦士。その力を引き継いだ者、それが勇者である。魔の王を討ち世界に平穏を齎す。それが勇者の使命である。その勇者を見分ける証が、掌に描かれる赤き太陽の印である。これを持って生まれた者こそが伝説の勇者であり、邪悪が君臨しようとした時に神が抑止力として生み出したもうた者であるとされる。


 私が生まれたのはブレドール王国の城下街であった。生まれた時は国を上げての大行事が成されたと言われている。私の家には支援金、豪勢な食事、立派な武器、小難しい本が送られてきた。私が特別であったためだ。


 何より私が特別だったのは、魔力を帯びていた事だ。私は生まれた時から魔力を持っており、時を経るにつれて魔法を習得するようになっていった。普通は畏怖の目で見られるだろうが、勇者である私がそれを持つというのは、まさしく選ばれし者の証と受け止める者の方が多く、人々は畏敬の眼差しで見つめていた。私はその眼差しを誇らしく受け止めていた。稀に何やら複雑な目ーーー恐怖のようなものを帯びた目で見られる事があったが、かつての私はそれを気に病む事はなかった。私は学力も武力も何もかもが優れていた。天才とは時に奇異の目で見られるというのは、学んだ歴史でもままある事であった。それに魔法を使える者など、魔物と同様である。迫害されたとしても仕方ない。私も勇者でなければそうなっていたかもしれない。だがそれは仮定の話である。私はそのような凡人とは違う。私は特別なのだ。



 十八歳になり、国王に挨拶をし、旅に出た。送られてきた立派な武具を身につけて。


 国王は言った。「魔界の王はこちらの世界を支配しようとしている。それを阻止してくれ」と。


 街を出るときは大々的な催しが行われた。両親に別れを告げると、両親は涙を流しながら私を見送っていた。決して無理をするな、何かあったら戻ってこい。そんな事を言っていたと思う。当時の私は胸を張って答えた。そんな事にはならないと。何故なら私は勇者であり、魔法が使える、まさに天才なのだから。


 そして、魔界への入り口につき、何か違和感を感じた。不思議な筒があり、本で読んだような魔界を守る凶悪な門番などは居らず、イージス王国の兵士がぼんやりと小屋で見張っているだけであった。私の抱いていたイメージと異なる。だが安心は出来ない。気を引き締めながらその筒を降り、魔界へと向かった。



 そこには人間、つまり私に気安く声をかけてくる魔物達がいた。


 ーーー気味が悪かった。魔物は理性が無く、人語を解す事も無く、ただ本能のままに人を喰らう化け物であると昔から聞いていたからだ。愚かなはずの魔物が人の言葉を話す事への不快感から、思わず私は剣を抜き、その魔物達を一刀の元に斬り伏せた。


 すると魔界の兵士達がやってきて、私を捕らえようとした。私はそれも斬り伏せた。邪悪な魔界の兵士など、存在する価値も無い。当然の措置である。


 やがて周りが血で溢れ、魔物一匹居なくなった頃、人間の兵士達が私の元に来て、私を紐で縛り、魔界から連れて帰った。それはイージス王国の兵士達だった。私は、何故人間の兵士達が私を捕らえるのか理解出来ず、何の抵抗も出来ずにただ従う事しか出来なかった。


 そして魔界の入り口で、私は魔界についての説明を受けた。


「魔界が邪悪で満ちたなんてのは偏見だ」


「魔獣の中にもいい魔獣はいる」


「魔王も魔界を統治しているだけで、そこまで悪い事をしているわけではない」


「世界征服?数百年前にはそんな話があったかもしれないが、今はそんなの聞いた事がない」


 そんな言葉を聞いた。聞いた気がした。


 私の今まで抱いていた魔界の知識と全く異なるものであった。


 呆然とする私に彼らは尋ねた。何処から来たのかと。ブレドール王国であると告げると、彼らは笑いながら言った。


「ああ、あの田舎か。それじゃあ仕方ないな。あそこは色々古いから。」


 ーーー気付くとそこもまた血で塗れていた。私の手も、国から貰った鎧も、剣も、全てが赤く染まっていた。



 私はどうすれば良いのか分からなくなった。きっと過去の勇者の殆どがこうして事実に気付いて失踪したのだろう。私も失踪すべきだろうか。人々の期待を背負ったはずなのに。私は完璧な人間のはずだったのに。何故こうなってしまったのか。考えれば考える程私の思考は悪い方へと向かっていく。そして赤い手を見て、私は罪を負ってしまったと思った。その罪を償わねばならない。


 私はーーー近くの崖へと向いーーーそこから鎧を投げ捨て、そして身を投げた。


 途中の岩場に体をぶつけた。全身の骨が折れる痛みが脳を襲った。血が流れた。手だけでなく全身が血に染まった。そのまま海へと転げ落ち、水が肺に溜まり、私は死んだ。海を赤く染めながら。



 するとどうだろうか。どのくらい経ったか分からないが、私は目を覚ました。全身の傷は治っていた。不思議だった。今までのことは夢だったのではないかと思うことすらあった。

 近くに偶然流れ着いていたボロボロのローブを着込むと、私は街へと向かい、全て夢だったのではないかと確認しに向かった。

 だが残念ながら、それは叶わなかった。

 近くの街はイージス王国の領土だった。そこには鎧姿の私の似顔絵が貼られていた。

「この者、殺人鬼につき注意」

 そう書いてあった。私はローブのフードを深く被り、顔が見えないようにした。鎧の兜はフルマスクだったので、似顔絵でも顔の特徴として分かるのは目くらいだろう。顔を隠せば十分バレることはないだろうと思われた。

 だが不思議であった。何故私が生きているのか。あの身投げで感じた痛みは今も克明に思い出せるというのに。そう考えを深めていくにつれて、私は核心へと至った。



************



「私が勇者だからだ!!」


 ユートは叫んだ。


「私が勇者だから!!死んでも生き返る!!あの後何度も試したが、その度に私は生き返った!!目こそこのように垂れ始めたが、このように腐り果てた今も全てが見える!!」


 奴の目が再び垂れ、奴は再びそれを戻す。


「このような奇跡が何故起きるのか?その答えは一つ!!私が勇者だからだ!!」


 ユートはもはやこちらを見てすらいなかった。奴は天に向かって吠え続けた。


「私が勇者なのに、何故魔界が滅ぼすべき対象でないのか?何故私が魔物を倒しただけで殺人鬼扱いされるのか?その答えも簡単だ!!この世界が間違っているのだ!!私は勇者!!使命を帯びて神に選ばれし存在!!私がすることが正しく、私を否定することが誤りである!!即ちこの世界が誤りなのだ!!」


 何を言っているのか俺には分からなかった。だが奴は叫び続ける。


「フヒェ、ヒェヒェヒェ!!だから正してやるのだ!!魔界を混沌へと戻し!!悪の魔王を立て!!そして私がその魔王を討つ!!それがあるべき世界の姿なのだ!!」


 そして奴は俺に向き直った。


「ーーー故に魔界は滅びるべきなのだ。本来あるべき姿なのだよ。」


 奴は真っ黒な矢を中空に生み出し、それをこちらへ飛ばして来た。俺はシールドモードでそれを弾き飛ばす。サリアは剣を振り下ろし、サリアに向かってきた矢を全て消しとばした。


「だというのに何故、今の勇者が私に歯向かう?何故魔王がこちらの世界に干渉する?何様のつもりだ?私は勇者なのだぞ?」


「お前が何様だよ。勇者だから何しても許されるとか思ってんじゃねぇよ。大体、お前は勇者なんかじゃない。お前はただの歪みきった屑野郎だ。お前自身が、お前の大嫌いな魔物だ。勇者に対する風評被害だ。」


「黙れ!!人々もこうして魔界のことを心の底では憎んでいるのだ!!私が正しい!!私が正義だ!!」


「そりゃ、心の底では誰しも「魔物に襲われたらどうしよう」みたいな心配してたっておかしくないでしょ。それにつけ込んで自分の正義を押し付けるんじゃないわよ!!」


「黙れ!!黙れ黙れ!!父と母と同じような事を言うな!!」


 奴は矢を更に生み出す。俺達は全て消し飛ばす。


「アンタがこんな馬鹿げたことを止めない限り黙らないわよ!!」


「それと、お前の性根を叩き直すまではな!!」


 俺達が言い放つと、奴はイラついたように言葉を更に荒げた。


「黙れぇぇぇぇぇ!!私に逆らうな!!私は勇者だぞ!!ーーーもういい!!貴様から黙らせてくれる!!」


 するとサリアへ手をかざした。


「幾ら魔法に対抗出来たとて、私の全力には抵抗出来まい!!貴様のその勇者の力を頂くとしよう!!貴様の体ごと!!」


 その言葉を聞いて、俺は叫んだ。


「サリア!!Bのダイアルを!!」


 だが間に合わなかった。サリアの体がユートの手に吸い込まれていった。後にはブレイブエクスカリバーが、カランカランと音を立てて落ちた。ーーーなんてことを。


「フヒェヒェヒェヒェ!!これで今代の勇者の力は私のもの!!これで私の力は揺るぎないものに…ぐ…?」


 愕然とする俺に対し、高笑いするユート。だが奴の様子がおかしい。


「なんだ…これは?魔力が空ではないか。ただの…ただの人間…。」


 ユートが有り得ないと言いたげな表情で頭を抱える。


「何故だ!?何故魔力も特殊な力もない!?何故私の魔法に対抗出来た!?」


 その答えはーーー俺が言うのも野暮な気がしたが、言ってやらないと誰も指摘できないだろうな。


「それは、そいつが、別に魔界を恨んでないからだろ。」


「な…に…?勇者だぞ?魔界を滅ぼすのが、勇者の役目だぞ?邪悪な魔王を滅ぼすのが、勇者の仕事なのに?」


「違「そ…れ…は…違うぞ…!!」


 俺の言葉を遮るように、誰かの声が聞こえてきた。俺は驚いてその声の主を探した。


 それは、群衆に紛れて行進させられていた、エスカージャ殿だった。


「魔王はウチの国を襲おうとしたお前らから国を救ってくれた!!その何が邪悪か!!」


 魔法が解けたのか?それはつまりーーー。


「もう恐怖など無い!!むしろお前の方が怖いわユートとやら!!お前は本当に人間なのか?」


 その言葉にユートは一瞬凍りついたような表情を浮かべ、そして今まで以上に激昂した。


「貴様ァァァァァ!!」


 そして黒い剣を手に取り、エスカージャ殿へその剣を振るった。


「ひぃっ!!」


 [ヘルマスター!!][シャインシールド!!]


 今度は間に合わせた。俺は光の障壁で彼を守った。


「にににににに人間かだと!?ふざけるな!!貴様!!私は!!勇者だ!!人間に決まっている!!」


 明らかに酷く動揺した様子で奴は叫び、障壁に対してガンガンと剣を叩きつけ続ける。障壁はびくともしないが、それを意に介さず、いや、それを目に留める事なく、ただただ一心不乱に剣を叩きつけ続ける。


「勇者は!!魔王を滅ぼす!!それが役目!!勇者は人間!!勇者は!!」


「勇者は人々の希望の光だ。」


 俺はそれを遮るように言った。


「人々を前に進めることが勇者の役目。魔界が悪に染まり、人々の心に大きな影を落としているなら、滅ぼす事も必要かもしれない。でもな、それはただの過程だ。そいつがーーーお前が吸収したサリアが目指しているのは、結果だ。人々に希望を与えるという結果に向けて、歩き続けている。それが本当の勇者ってやつじゃないのか。」


「…黙れぇ…。」


「お前はただ過程と目的を履き違えて、それに囚われ続けているだけに過ぎない。ただお前がバカなだけだ!!」


「黙れこの魔王風情がぁぁぁぁぁぁ!!」


 奴は俺に向けて三度黒い矢を放ってきた。だが俺は構わず言い放った。言わずには居られなかった。


「俺はお前を許さない!!魔界を危機に陥れ、自然界の人々を操り、自由を奪ったお前を!!サリアを吸い込んだお前を!!絶対に!!」


 [Mode Blade!!][ヘルマスター!!][シャインブレード!!]


 その矢を全て切り落とし、俺は叫ぶ。


「サリアを、俺達の勇者を返せ!!」


 その言葉に呼応するかのように、サリアの居た場所に落ちていたブレイブエクスカリバーが輝いた。


「な!?」


 驚愕するユート。そしてその光の剣は、俺の手元へとやってきた。使え、と言わんばかりに。


 ーーー俺は、意を決して、その剣を手に取った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る