第86話 【秘められた想い】

<<エルン家影の者ハリス視点>>


俺はエルン家に代々仕えるジョルジオ家の現当主シティの嫡男、つまり次の当主だ。


影の者とは、トカーイ帝国に古くからある職業で、王家を含め大貴族は、大抵抱えている。


その存在はどの貴族も明らかにはしていないため、我が一族が影を担っていると知っているのは、エルン家に仕える者の中でもごく一部だ。


ある時は主家の密偵として政敵の秘密を探り、ある時は主家の失態をもみ消したりと、主家の盾であり槍でもある。


当然、厳しい修行を収め心と身体を鍛えている。


俺は影。決して表に出ることの無い誇り高き騎士だ。



今俺は、サリナお嬢様の依頼で、キンコー王国ナーラ公爵令嬢のリザベート様を追っている。


サリナお嬢様からは、リザベート様の一挙手一投足を記録して報告するように言われている。


決して気付かれてはならないが絶対目を離すなとの厳命だ。


聡明なサリナお嬢様のことだ、あのリザベートの …いやリザベート様… 危なかった。一度呼び捨てにして酷く怒られたっけ。


とにかく、サリナお嬢様はリザベート様に何らかの興味を持たれているのは間違いない。


お互いに公爵家のことだ、もしかすると国家間のトラブルに関わるものかも知れない。


我が国のレイン皇帝とキンコー王国のネクター国王、ハローマ王国のガード国王は、学友でその頃からの親友同士だと聞いている。

現在の大陸の安寧もお三方の尽力によるところが大きい。


その関係を揺るがすほどのものが隠れているとすれば、わたしの任務は責任重大だと思う。


さて、リザベート様であるが、キンコー王国中を視察しながら精力的に職務を遂行しておられる。


女性初の官僚ということで、一躍時の人ととして有名になったが、その華やかなデビューとは異なり、毎日地道にコツコツと職務を遂行されるところには好感が持てる。


視察では必ず作業現場に赴き、自分の目で見る。

作業中の農民の中に入って行き、問題が無いか確認したり、作業手順に疑問を持つと、何故そうしているのかを聞きながら自分の意見も交えて一緒に改善方法を考える。

作業に手が足りなければ、自ら手伝いに行く。


皆に混じって一緒に昼を摂る。


何度もここに来ているのだろう、農民や労働者達から自然に受け入れられていた。


何もここに限ったことではない。


どこに行ってもこんな調子で、とても中央の官僚とは思えない。


普通、中央の官僚の視察といえば、領主や代官屋敷に立ち寄り、無駄話でもして時間を潰すものだ。


領主や代官は、サボっていることを報告されないように、官僚は余計な陳情をされて管理責任を問われないように、持ちつ持たれつの関係だ。


リザベート様の行動は、ある意味常識を逸している。


たしかに、わたしがリザベート様に付いた最初の頃は、領主や代官に煙たがられていた所もあった。


しかし、あのリザベート様の行動を何度も目の当たりにしていて、罪の意識を感じない者はいないだろう。

次第に態度が軟化し出し、中には代官が率先して作業を引率している者達も出てきた。


そんな領地が上手く回らないわけが無く、収穫量が増え、治安が良くなり、住民が増え、耕作地が開墾され、と好循環が生まれる。


そして、そんな領地が増えてくると、視察に対する常識が変わる。


今では、中央の官僚自体の認識をも変えてしまった。


リザベート様恐るべし。


権力をふりかざすことも無く、派手な活動をすることも無いのに、周りが自然に変わってしまう。


これからのキンコー王国はますます発展し、そして強くなる。


はっ、もしかしてサリナお嬢様がわたしを監視に付けた真意はこれか!!


わたしはリザベート様を暗殺すべきなのか?


心の中で葛藤する。


リザベート様をだんだん好きになっていく自分と影として始末すべきだと思う気持ち。


はたして、どうすべきか。




「ハリス兄さん、ご苦労様です。

定期報告をお願いします。」


弟のマリクが話しかけてきた。

そうか、今日は定期報告の日だった。


俺は調査結果をまとめた書簡をマリクに渡す。

マリクはその内容を確認して、こちらを見た。


「兄さん、今日はサリナお嬢様からの伝言を持って参りました。


『吟遊詩人となって、トカーイ帝国内に、リザベート様の日頃の行いを皆に広めなさい。

どんなに素晴らしい行動だったかを存分に伝えるようにしなさい。』


ということです。

もうリザベート様の監視は終わりにして、トカーイ帝国内での喧伝活動に注力して欲しいとのことでした。」


リザベート様の監視を終了して、トカーイ帝国に戻る。


もうリザベート様の顔を見れなくなる寂しさと、暗殺しなくて良かったという安堵が入り混じり複雑な心境だった。


心残りはあるが、サリナお嬢様からの指令だ。

俺はマリクに頷き、引き揚げの準備に入った。


6ケ月にわたる監視の中で、俺はリザベート様に感じてはいけない感情を抱いたかも知れない。


親父が知ったら怒るだろう。


よし、サリナお嬢様の次の依頼である、トカーイ帝国内でのリザベート様の喧伝活動に向かおう。


この任務は、俺にしかできない。


俺だけがリザベート様の一番良い所を知っている。

たぶん俺以上に、サリナお嬢様の依頼を上手くこなせる者は、いないだろう。




やがて、リザベート様を神格化し讃える歌がトカーイ帝国中に広まり、俺は大満足でサリナお嬢様の元に戻った。



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