第19話 自慢の孫





 アリアは図書室の扉を開けると、室内をそっと覗く。

 そろそろ閉まる時間なので人は少なく、すぐ後ろにいるルレイから蓮也が誰かを教えて貰う。


「レン坊はあそこにいるよ」


 ルレイが示す指の先を追い、中央に位置する机へ目を向ける。

 そこには一人の少年が分厚い歴史書を真剣な表情で読んでいた。


 ――あちらの殿方が蓮也様なのですね。


 その姿をアリアは、しげしげと見てしまう。

 整った黒髪に、深く全てを染めてしまいそうな黒い瞳。

 身長は座っているから分かり難いが、アリアよりは十センチほど高いだろうか。

 何より遠目からでも分かるほど、戦闘を行う者として身体が引き締まっている。

 多少、目付きが鋭いと思わなくもないが、アリアとしては愛嬌があると思えた。


 ――私と婚約していただける御方が……あそこにいます。


 彼の姿を確認し、認識する。

 ただ、それだけのことなのに心臓が少しだけ高鳴った。


 ――私が家族以外に愛することを許された、唯一の殿方。


 アリアの人生は、常に自制と理性を自身に強いる日々だった。

 誰かを好きになることはなく、誰かを重用することもない。

 生まれながらに得た立場を理解したのは五歳の頃。

 クラスの判定をした時のことだった。

 アリアが〝聖女〟だと分かった瞬間、周囲の目付きが変わったことに幼いながらも彼女は気付いた。

 家族にそのことを伝えれば、父は真面目な表情でアリアに説いたのだ。


『これからお前は、色々なことを耐えなければならない。好きなことを好きと言えず、特定の何かを重用することも出来ない。王女でありながら〝聖女〟のクラスを持つことは、それほど大変なことだ』


 アリア・ルフェスという存在は、権力欲がない人物であっても、在り方を容易に崩してしまう。

 何かを好ましく思えば、どこかに弊害が必ず生まれるだろう。

 誰かに肩入れすれば、特別だと勘違いした本人か周囲が騒ぎ出すだろう。


『だから誰にも付け込まれないように誠実に、真面目に生きなさい』


 父であるルフェス王は、娘にそう伝えた。

 アリアは幼いながらも父の言葉を胸に刻み、王女として恥じぬように勉強をした。

 そして〝聖女〟のクラスを持つ者として劣らぬように礼儀を学んだ。

 平民にも貴族にも平等に接し、決して偏りを作らなかった。

 周囲が恋に浮かれるような年頃になっても、彼女は誰かに恋をしたことがなく好きになったこともない。

 そうならないように自分を厳しく律した。


「……風見……蓮也様」


 けれど今日、生まれて初めて許された。

 唯一、恋しても許される相手が目の前にいる。

 だって彼はアリア・ルフェスの婚約者となってくれる人だ。


「……蓮也様」


 本来であれば一代限りの爵位など譲渡出来ない。

 何故ならそれは、当人にだけ与えられたものだから。

 しかしルフェス王が譲渡を否定せず検討したのは、ルレイの提案に対して風見蓮也と三英雄の繋がりを証明するには、十分過ぎるほどの意味があると判断したこと。

 何より八方塞がりだったアリアの婚約に、光明が差すと理解していたからだ。


「……っ」


 だから少しだけ口唇が震えて。

 アリアは言葉を交わしたことのない相手に想いを募らせてしまう。

 彼は優しいだろうか、それともぶっきらぼうだろうか。

 何が好きで、どんな性格で、自分のことをどう思っているのか。

 知りたいことがたくさんあって、自分のことも知ってもらいたくて。

 無意識に足が動き出した。

 近付くにつれて、彼の表情が僅かに変化していることに気付く。

 歴史書を読みながら……おそらく楽しんでいるように見えた。

 それもまた、アリアは知りたくなった。

 だから彼の側に近寄って、肩を叩いてみる。


「……ん、フィノか? 悪い、熱中してた」


 仲間と勘違いしたのだろう。

 気安い様子で蓮也は振り返る。

 けれどアリアの顔を見た瞬間、


「…………えっ?」


 予想と反していたからか、呆然とした表情になっていた。


「そろそろ閉館の時間で声を掛けさせて頂いたのですが、凄く集中されていましたので。失礼ながら肩を叩かせていただきました」


「……あっ、ああ、いえ、ありがとうございます」


 驚いた表情になりながらも感謝する蓮也。

 アリアはそこで、彼がどうして歴史書を読んでいるのか尋ねてみる。


「歴史の本をお読みになっておられましたが、何故……と問うてもよろしいでしょうか? 読まれて面白かったですか?」


 個人的には面白いものではない。

 けれど彼は表情を動かしていたので、興味を惹く何かがあったのは間違いない。

 蓮也は一度大きく深呼吸をしてから言葉を返してきた。


「思いもしないことが書かれていて、結構驚いてしまいました。それにルフェス王国の民として国のことをしっかり理解しようと思ったことは、おかしいことでしょうか?」


「いいえ、とても素晴らしいと思います」


 彼の返答にアリアはなるほど、と内心で頷く。

 蓮也は一年と少し前に異世界から召喚された人間。

 召喚されてすぐルフェス王国に来ているとはいえ、やはり国のことを知るには時間が足りなかったのだろう。

 冒険者としての訓練もしていただろうから、余計にそうだろうと感じる。

 けれど自分が生まれ育った国の歴史を楽しそうに読んで貰えるのは、意外に嬉しいとアリアは感じた。

 何よりルフェス王国の民としての自覚があるからこそ、わざわざ歴史書を読む彼に好印象を抱く。


「〝蓮也〟様はとても真面目なのですね」


 嬉しくてつい、彼のことを賞賛してしまった。

 だというのに蓮也は何故か、警戒するように身体を強張らせる。


「……まだ王都に来て日が浅く、無知なこと大変申し訳ございません。貴女様のお名前を伺ってもよろしいでしょうか?」


 蓮也にそう言われたことで、彼が自分のことを知らないことに気付いたアリアは目を瞬かせる。

 そして無作法だった自分を恥じると、ゆっくりカーテシーを行い自己紹介する。


「ルフェス王国第二王女――アリア・ルフェスと申します」


 基本的にアリアは自分のことを知らない相手と出会ったことがない。

 挨拶はすれど相手は皆、アリアのことを知っている。

 初対面で、顔すら知られていない相手に挨拶するのはほとんど初めてだ。

 だから少しだけ緊張して、同時に少しでも良く思われたくて、普段よりも動きに神経を巡らせながらアリアは挨拶した。


「この度は蓮也様の婚約者となりましたので、よろしくお願い致します」


 ついでに先ほど話し合いで決まったことを伝えると、蓮也がどうしてか数秒だけ動きを止める。

 けれどハッ、とした瞬間から彼は周囲の見回して状況を探り始めた。

 そんな蓮也の様子にアリアは内心で首を傾げる。


 ――どうして警戒されたままなのでしょうか。


 信じる、信じないではない。

 自分の言葉を疑うはずがないと思っていたのに、目の前にいる少年は彼の名を呼んだ瞬間から常に警戒している。

 それがどうしても彼女には不思議だった。


「…………」


 滲み出る警戒心を隠そうともしていない蓮也だが、ふと図書室の扉から見知った顔が出てきたことに気付く。


「……婆ちゃん?」


「婚約者との初対面だっていうのに、どうして警戒してるんだい?」


「どうしてと言われても、彼女から婚約者だと告げられたからだ」


「……どういうことだい?」


 祖母ですら意味が分からない、とばかりに疑問を呈した。

 出会ったばかりのアリアでは理解出来ない状況なのも当然だ。


「俺はただの平民で、アリア様は王族だ。だというのに婚約者だと言ったのは、俺を動揺させて何かしらの情報を――三英雄に関する何かを得るつもりか罠の可能性が高い。それに俺はアリア様を見たことがないから、本人かどうか判別が付かない」


 本物だとは思っているが確証はない。

 さらに嘘としか思えない内容では、警戒しても仕方ないだろう。


「だけど、あんたが婚約者と言われたぐらいで動揺するとは思えないね」


「彼女ほど美しい女性を俺は他に知らない。不意を突くには十分過ぎるくらいの効果がある」


 蓮也が真剣な表情で伝えると、ルレイは思わず吹き出して笑ってしまう。


「すまないねえ、聖女様。あんたを見たことがないとはいえ、美人過ぎて警戒されるのは私も予想外だったよ」


「いえ、蓮也様の内心を素直に聞くことが出来て嬉しく思います」


 容姿に関しては元々、それなりに綺麗だという自負がアリアにはある。

 そして状況を把握していないからこその蓮也の吐露に、嘘や偽りがあるとは思えず素直に嬉しいとアリアは感じていた。


「レン坊、あんたが聖女様の婚約者なのは事実だよ」


 淡々と事実を告げるルレイ。

 蓮也は祖母の発言に何度も瞬きをしたあと、額に手を当てる。


「……ちょっと待ってくれ。彼女は本当に聖女様で、しかも俺の婚約者だと婆ちゃんは言ってるのか?」


「その通りだよ」


「……婆ちゃん、まさか王家を脅した?」


 でなければ王女と新人冒険者が婚約者になるなんて、普通はあり得ない。

 けれど普通じゃないのはアリアだけではなく、蓮也も似たようなものだ。

 そのことに気付かず明後日の方向へ思考を飛ばしていく蓮也に、ルレイは近付いて頭を軽く叩いた。


「馬鹿なことを言うんじゃないよ、まったく。あんたはこうでもしないと、三十歳過ぎたところで結婚しそうにないからね。先手を打たせてもらっただけだ。私は曾孫の結婚式まで出るつもりなんだから、レン坊には適齢期で子供を産んで貰いたいんだよ」


「……言いたいことは分かるが、性急すぎないか? 俺は王都に来て、まだ一ヶ月ちょっとだ」


「まともに恋愛して、まともに結婚出来ると自分で思っているのかい?」


「難しいかもしれないが、いずれは出来るようになるかもしれない」


「難しいどころか、私は無理だと思ったよ。聖女様から婚約者と言われて警戒したあんたにはね」


 たとえ嘘だとしても、アリアほどの美少女から言われれば一瞬は喜ぶものだ。

 だというのに蓮也は呆けてしまっただけで、喜びの感情を一度も見せていない。

 今まで幼馴染みのせいで残念な環境下にいたとはいえ、さすがにあの反応はない。


「それに言ったろう? さっさと恋人を見つけなければ政略結婚させるって」


 冗談っぽく言ったが、それでも言ったことは事実。


「聖女様は私の一押しだよ。不義理なことはしないと断じて言える」


「婆ちゃんが決めた婚約なら、そういうところは疑ってない」


 素敵な女性なのだろうと蓮也は思う。

 むしろ自分が相手で申し訳なさが一杯だ。


「とりあえず理由が色々あって、結果として俺が婚約者になったのか?」


「そうだね。聖女様とレン坊の面倒事を一挙に解決する策といえば、その通りだよ」


「だったら仕方ない……なんて言葉は語弊があるな。双方にメリットがあるのなら、婚約に至るのも当然だ」


 政略的に有りだと判断されたもの。

 彼女の取り巻く環境も、相当に面倒なのだろうと蓮也は察する。

 と、その時だった。

 アリアは一歩だけ蓮也に近付く。


「私はルレイ様を信じています。ですから蓮也様に約束して欲しいのです」


「何をでしょうか?」


「私は誠実に貴方様だけを見つめます。ですから貴方様も私だけを誠実に見て欲しいのです」


 告げられた瞬間、豆鉄砲でも食らうかのように蓮也の表情が変化した。

 言葉の意味は理解しているが、困惑している様子が微塵も隠せていない。


「その反応はなんだい、レン坊?」


「いや、奇妙なことを言われたと思っただけだ」


 蓮也的にアリアの発言は不思議だった。

 わざわざ言われた理由が、さっぱり分からない。


「俺が今のところアリア様について知っているのは、婆ちゃん一押しで非常に綺麗な女性だということ。けれどそれだけで、分かることは色々とある」


 蓮也はちらりとアリアを見てから、素直に答えを言う。


「俺がよそ見をしないのは当然だ。他に目を向けるとなると、婚約関係の破綻が前提になるが……そもそも婆ちゃんの発言で前提条件は崩れている」


 彼女は不義理なことをしない。

 誠実に、真っ直ぐに蓮也を見てくれる。


「だからアリア様だけ見ることを約束して欲しいと言われるのは、奇妙だと思っただけだ」


 そこまで言ったところで、ふと蓮也は考えが甘いことに気付いた。


「……いや、違う。出会ったばかりだから、暗黙の了解になるよりは言葉で伝えたほうがいいのか」


 言葉にせずとも伝わっている。

 これはこれで怖いものだ。

 自分だけが伝えた気分になって、相手に伝わっていない可能性がある。

 そうなると、彼女がわざわざ声にして確認したことには意味があった。


「申し訳ありません、アリア様。自分本位の考えで、気分を害してしまったことをお許し下さい」


 丁寧に深々と頭を下げる蓮也。

 彼女が言ったことには必要性があったと認識したが故に謝ったのだが、何故かルレイが吹き出してしまった。


「……どうして笑うんだ、婆ちゃん」


「とてもレン坊らしいと思っただけだよ」


 考えとしては生真面目同士だからこそ、どちらも間違ってはいない。

 わざわざ言う必要がないのも理解出来るし、出会ったばかりだからこそ声にするのも自然な考えだ。

 しかし確実性を求めたアリアの言葉に、蓮也は同意し頭を下げた。

 それこそが蓮也らしいとルレイは思う。

 だから扉から中の様子を窺っていたルフェス王に、ルレイは堂々と問い掛けた。


「どうだい、国王陛下? レン坊はお眼鏡に適ったかい?」


「アリアにとって最善の婚約者であることを認めよう」


 ほんの少しのやり取りだけで、彼の性格がどういうものか把握出来た。

 そして二人の相性が良いだろうことも分かった。

 きっと蓮也とアリアは互いに向き合って、互いを大切にする。

 愛なき日々など、あり得ないだろう。


「そもそもレン坊、あんたの素の感想を聞いてないね。実際のところ、聖女様が婚約者になったことは嫌じゃないのかい?」


「どうして嫌だと思うんだ? 人生の幸運、全て使い果たした自信がある」


「ほう、そこまで言うとは珍しいね」


「当然の答えだ。俺は人生で彼女ほど美しい人は見たことがないし、婆ちゃんが一押しと言うほどの女性だ。むしろ来世の幸運も使っていないか心配する必要さえある」


 まだ実感は沸かないが、沸いてしまったら顔が真っ赤になりそうな気がする。

 今はまだ現実味がないから、いつも通りに受け答え出来ているだけだ。

 というか蓮也は図書室に集まっている面々を見て、本音を言えば気が気じゃない。


「婆ちゃん、そろそろ王家の皆様に礼を取ってもいいか? 無礼を通り越しているんじゃないかと、心配で胃が痛くなってきた」


 アリアが側にいて、扉の近くにはルフェス王。

 その背後にいるのはアライルと、おそらくは王妃だろう。

 フロストとフィノの姿も、最後尾に僅かながら見える。

 現状、嫁いでしまって王城にいない第一王女以外の王族が勢揃いしているのだから、胃が痛くなるのも仕方がない。


「図書室で礼を取るのも変だよ、レン坊。国王陛下もそう思うだろう?」


「その通りだ。場に応じた振る舞いは必要だが、今の我は娘の婚約者を一目見に図書室まで来た父親でしかない。礼は相応の場所にて受け取ろう」


 素気なく断ると、蓮也の視線が困ったように彷徨う。

 そのことに気付いたルフェス王は、くつくつと笑いながらルレイに話し掛けた。


「お前の孫だというのに、こんなことを気にするとは可愛らしいな」


「ああ、その通りさ。本当に生真面目で、だからこそ自慢の孫だよ」


 ルレイが胸を張って答えると、恐縮したように蓮也は頭を下げる。

 せめてこれくらいはやっておかなければ、という想いが見え見えだ。

 だからルフェス王だけではなく、レグルスの面々も王家の面々も、もちろんルレイも彼の小市民的な感情を察して、くすりと笑ってしまった。





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