おいたんに出逢えてほんと良かったですね。
私も一度やった事がありますが、
生きている細胞がまだ生きたいって抗うんですよね。
一週間入院しただけですが、その時屋上で末期ガンの方と話しました。
「生きたいって」泣いておられて……。
私、もう一度生きようって強くなれました。
出会いって偶然じゃないなって思います。
作者からの返信
私も、総合病院にメンタルで入院中に末期ガンの方と触れ合ったことがあります。その時、星都様のように思ったという記憶が蘇ってきました。
自殺しようと思っても、最後の一線はなかなか越えられないんですよね。心の奥底に眠っている生命欲が、死を阻止するんだと思います。
生きるのは大変だけど、生きていればいい事もある。
星都様のエッセイを拝読していても、「あぁ、更年期にもいい事がありそうだな」とか思いますし(#^.^#)
時には辛い人生ですが、1ミクロンでも生きていたいなら、生きてみせようホトトギス、と思いますです(*^^)v
私もうつ病で自殺したいと思ったことが何度かあるので、とても深く共感しました。
当時「自傷他害」の心理に陥っていたのを思い出します。攻撃性が自分に向くか他者に向かうかの違いだけですから。時々無差別殺人事件が起こりますが、寄り添ってくれる人がいれば防げたのかもしれません。
作者からの返信
攻撃性が自分に向いている状態なら自分が死ねば済むんですけど、他人に向いちゃうと本当に怖いですよね。私はそれで速攻病棟送りにされました。
無差別殺人を起こす人には、寄り添ってくれる人が居なかったんでしょうね……。凄く悲しい事です。でもその立場はいつ自分がなってもおかしくないです。だから、その狂気を冷静に見つめる事が必要なのかもしれません。
佐野心眼さんもうつ病で辛い思いをなさったのですね。
うつの絶望は闇より深い黒だと存じ上げております。
生きていてくれて、良かったです。
カクヨムで出会えたことに喜びを感じる私です。
若い人の自殺率が高いのが気になっていたのですが、無雲さんのエッセイを読んで、トンネルの中にあって自分を見失っているんだなって。苦しいですね。
自分を取り戻すのが難しいってなんなんでしょうね?そもそも自分とはなんなのか。哲学的な問いですね。
作者からの返信
そわ香さん、おはようございます!!
自分とはなんなのか。
とても哲学的ですよね。よくそういう時に出てくるのが、デカルトの「我思う、ゆえに我在り」ですが、思考の主体としての自我が揺らいでしまうと、自分を見失ってしまうかもしれません。
「死にたい」で頭一色になっている時は、周囲の助言は恐ろしいほど意味を持ちません。その時欲しいのは、助言でも何でもなく、ただ寄り添っていてくれる温かい心かもしれません。