42.私の経験から考える『自殺願望』

 『40.苦しさの尺度は主観でいい…と思う』で自殺についてちょっと触れましたが、今日は私の経験から考える『自殺願望』を書いてみようかと思います。


 重いです、長いです!はい!!それでもよろしければお付き合いをお願いします!!( ^^) _旦~~




 私が約6年ほど前まで多剤大量処方をされていてボーっと生きていたことは拙作『帰ってきた!無雲の生態』に書いてありますが、そこにあまり書かなかったことがあります。それは『自殺未遂』についてです。書かなかったというか、書けなかったというか、思い出すだけで不安感が押し寄せるので、あえて見て見ぬふりをしました。


 多剤大量処方末期には、『1日に1回は死のうとする』くらいの勢いでこの世から消え去ろうとしていました。自殺願望自体は『うつ病』と診断名が付いていた20歳/通院当初からありました。その波は穏やかな時もあれば荒波のように押し寄せてくることもあり、14年間私を苦しめました。



 では何故自殺を考えたのか。



 最初は分からなかった。ただただ死にたかった。何が辛いのかも分からずに、ただ重苦しい憂鬱の中で「死にたい」と口にしていました。ただただ理由も無く、もしかしたら死ねるかも?くらいの勢いで自傷行為を繰り返していました。理由は、無い。ただ、未来も何も見えなかった。真っ暗なトンネルにいるようだ…とよく表現されますがまさにその通り。真っ暗闇の中にいて、そこから出られる光も見えず、ただ、「死にたい」という欲だけが沸き上がっていました。


 当時の主治医T先生はそんな私に『電気ショック療法』を施しましたが、まったく効果はなかったです。ただ、記憶が吹っ飛んだだけでした。その後、20代半ばになった私はまだ自殺願望に苦しめられていました。やはりそんなに理由が分からないままに。


 20代半ば~後半までK君という同級生とお付き合いをしていた時は、K君から「自殺未遂や自傷行為をしたら別れる」と言われていたので、「死にたい」とも口にせず自殺未遂もしませんでした。でも、自殺願望は常にありました。それと同時に、他害(他人に危害を与える事)の恐れも出ていたので、私は大学病院から精神科専門病院に送られました。


 自殺と他害は表裏一体なのだと思います。よく、「自傷他害の恐れあり」と表現されますが、当時の私はそのままその通りで精神科病院にぶち込まれることになったのです。


 その後多剤大量処方の目にあいますが、その当時の自殺願望の理由ははっきりと覚えております。それは、「生きている瞬間が辛かった」からです。将来が不安でした。「親亡き後の生活を考えると恐怖」「社会に出るのが怖い」「もしも良くなったとして社会に放り出されたらどうしよう」それと、「私なんか居なくなったほうが世の中のためになる」でした。


 この「」から分かるように、世の中の全てに恐怖と不安を感じ、自己肯定感は限りなくマイナスで、ポジティブな思考は全く働いていませんでした。



 私が当時欲しかった言葉は、諭す言葉でも説得する言葉でもお怒りの言葉でもなかった。ただ、「私の存在を必要としてくれる言葉」だった。それは「愛してる」でも「好き」でもなんでも良かった。丸ごと受け入れてくれてずっと一緒にいてくれる人が欲しかった。怖かった。親が死ぬのが怖かった。兄弟とも絶縁状態なのに、誰も居なくなって生活が立ち行かなくなるのが怖かった。



 はい。自分本位です。もう自分の事しか見えていません。当時の頭の回転じゃ行政のお世話になるとかいう発想も出てきてません。誰かにぶら下がろうとして必死です。そんな感じで全てが不安だったので、毎日死のうとしてました。



 そんな状態の中Eさん(おいたん)と出会っておいたんが私を好きになってくれたのは奇跡だというしか無いのですけれど、そこから運命の歯車が回り私は回復して今では自殺願望も無く社会復帰も果たし元気に過ごしているのです。(『帰ってきた!無雲の生態』参照)



 今思うのは、当時の私は自分しか見えていなかった、いや、自分の事すら見失っていたんじゃないかということです。「死んだら楽になれる」と思っていました。「今が辛い」から「今から逃げられれば何でもいい」と思っていました。でも、自分に止めを刺す事は出来なかった。(出来てなくて良かったけど。)



 「死ぬのが怖い」とちょっとでも思っていたから、止めを刺せなかったんだと思います。「痛いのは嫌だ」とか「苦しいのは嫌だ」とか思ってましたから。甘えてますね。(その甘えはあったほうが長生きできると思いますよ~。)



 自分をも見失い、死ぬことに恐怖すら抱かなくなり、どの苦痛よりも生きている事への苦痛が上回ると、人間は自分に止めを刺すのかな、とも思います。ちょっとでも生きたいなら生きてみて欲しいし、自殺しようとしたとしても失敗して欲しいです。



 ただ、横に座って一緒に呼吸をしてくれるだけでいいから傍に誰かが居て欲しかった。むしろ余計なことは言わなくていいから、傍にいてくれるだけで良かった。それだけで、ちょっと満たされてあとちょっと生きてみようと思うことが出来た。

 生きていくには、時には甘えも必要だ。




 今日はすごく長い文章になりました。日々色々書くことにより、思い出したり書ける内容が増えているので、出来るならば『帰ってきた!無雲の生態』を加筆修正してきちんと整え直したいです。やっていいのか出来るのかどうなのか。リサーチ不足なんでございます。(汗)


 

 本当に、こんな長い文章に最後までお付き合いいただきありがとうございました!またこの先も重い内容を書くかもしれませんし、馬鹿な内容に特化する日もあるでしょうが、よろしくお願いします!!(∩´∀`)∩



 

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