第87話

 煙管の先端を狂鬼へ向ける綾は、目を細めてニヤリと笑みを浮かべた。そんな綾の挑発染みた表情を見た狂鬼は、苛立ちを見せた様子で眉をしかめた。


 「どうやら死にてぇみてぇだな?」

 「そう見えるかのう?見当違いじゃ。……ワシは死ぬ気なんてサラサラ無いわ」

 「ほざいてろ!!」


 狂鬼は大剣を出現させて、綾の懐へと接近する為に間合いを詰めた。その行動を予想していたのか、綾は手を狂鬼へと伸ばしてクイっと人差し指を動かした。その瞬間、狂鬼の身体が真横へと動かされた。


 「――っ!?」


 視界の全てが真横へと流れた事に目を見開いた狂鬼は、自分の身に何が起きたのかを理解出来なかった。綾へと近付く寸前だったのにもかかわらず、狂鬼の身体は明後日の方向に飛んでいたのである。


 「……あぁ、一つ忠告じゃ鬼っ子」

 「あぁ?」

 「ワシに近付いて良いのは、ワシが認めた者だけじゃ。ワシに触れて良いのも」

 「意味の分からねぇ事言ってんじゃねぇ!!!」


 体勢を立て直して、再び綾へと距離を詰める事に挑む狂鬼。だがしかし、次は遥か上空へと移動されてそのまま綾の動かす手と同じように地面に叩き付けられた。


 「……っ(何が起きてやがる。どうして近付けない)」

 「妖術、――粘糸鋼糸ねんしこうし。ワシの糸から、逃げれんぞ。鬼っ子」

 

 そう告げる綾は、再びニヤリと笑みを浮かべながら片手を伸ばす。そんな綾が狂鬼と戦闘を繰り消す間、杏嘉は場所を移動していた。背後へと回り込む為、狂鬼が来る前に綾が言っていたのだ――。


 「杏嘉。少しの間だけ、ワシが時間を稼いでやる。トドメを任せるぞ」

 「なっ、アイツはアタイの仇だ。何を勝手に」

 「言ったじゃろう。お主の役目を履き違えるな、とな。何も身を投げる訳じゃないんじゃ。……頼むぞ、杏嘉。そう長くは持たんからな」


 ――そう言っていた事を思い出しながら、杏嘉は微かに奥歯を噛み締めながら駆けていた。


 「(冷静さを欠いていたのは綾の言う通りだ。……だがよぉ綾、アタイはトドメだけ貰っても、何も嬉しくねぇんだよ!!)――妖術、夢幻妖狐むげんようこ


 杏嘉がそう告げながら両手の五指を合わせて三角形を作った。その瞬間、杏嘉の周囲で封陣が出現し、周囲に狐火が複数出現し始める。徐々に狐火は姿を変え、白い狐へと容姿を変えていく。

 その数が十を越えた瞬間、杏嘉は「往け」と告げる。狐火は迷う事無く飛び出していき、十を越える数の狐火が狂鬼を目指して飛び交う。そんな様子を気配で察知した狂鬼は、大剣を薙ぎ払って狐火の対処に入った。


 「あぁ!鬱陶しい!!――っ!?」


 だが対処しようとした瞬間、再び綾の蜘蛛の糸が介入して腕を引っ張られる。振ろうとしていた方向とは違う方向へ振られた事を理解した狂鬼は、苛立ちを隠せずに綾の事を睨み付ける。


 「て、テメェ……!!」

 「対処、させる訳が無いじゃろう?ワシは手癖が悪いんじゃ、許せ鬼っ子」

 

 そんな事を言う綾を睨み付けていた狂鬼だったが、周囲に集まり始めた狐火に違和感を覚えた。噛み付くだけで痛みは無く、ダメージが無い事に関して違和感を感じた。

 十数体を越える大量の狐火は、ただ狂鬼の周囲に纏わりつくようにして付近に集まる。噛み付いている狐火は数匹だが、やはりそれでも大したダメージにはなっていない。

 

 「(あの蜘蛛の糸で動きを止めるのが目的?なら、この狐火は何だ?……まさか!?)――ぐっ、この離せっ!!!」

 「もう遅いぞ、鬼っ子。……やるが良いぞ、杏嘉!!」


 綾のそんな声に反応して、狂鬼は杏嘉の姿を探した。背後に回り込んでいた杏嘉は、再び九尾の姿となり目を細めて封陣の上に立っていた。それを見た狂鬼と視線が重なり、杏嘉は小さな声で唱えるのである。


 「――九尾・爆崩塵ばくほうじん


 杏嘉の言葉に反応し、狂鬼の周囲は小規模の爆発を何度も起こした。その様子を杏嘉と綾は、警戒しながら視線を向け続けるのであった――……。

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