第85話

 八拳を放った狂鬼は、壁に張り付けとなった杏嘉を見ながら歩を進める。距離を縮めて行く狂鬼は、肩を回しながら愚痴のように口を開いた。


 「……オレはさぁ、あの人に憧れて黒騎士になってんだよ。強くて気高くて、誰も寄せ付けなかったあの人に追い着きたいから強くなろうとしたんだ。それが何だ?くだらない世界で暮らしてると思えば、仲間になってる奴がこんな雑魚とか」


 壁に張り付いている杏嘉を見上げ、狂鬼は言葉を続けながら睨み付ける。


 「――マジ舐めてんの?って感じだよな。なぁ?女狐」

 「ぐっ……!」


 張り付いている杏嘉の首を掴み、ジャラジャラと壁から身体を引き抜く。想像よりもダメージがあるのだろう。動こうとしても、杏嘉は指一本動かす事が出来ない様子だった。

 そんな杏嘉の首を掴んだまま、目を細める狂鬼はニヤリと笑みを浮かべる。


 「そうだ。もしここでお前を殺せば、あの人もやる気になってオレの相手をしてくれそうだよなぁ。ククク、我ながらナイスアイディアじゃねぇか?なぁ、そう思うだろ?」

 「っ……ふ、ふざけんな!だ、誰が、テメェなんかに殺されるかよ……!」

 「へぇ~、今の状況で何が出来るってんだ?もう身体を動かす事すら出来ねぇ奴にさ。だったら見せてみろよ、お前がオレに殺されないって所をよぉ――!!」


 首を掴んだまま、そのまま杏嘉を投げる。違う場所にある壁に激突すれば、流石の杏嘉でもダメージを負う事は避けられないだろう。それが分かっている杏嘉は、投げられた風圧の中で体勢を立て直そうとする。

 だがしかし、投げられた勢いが強過ぎて体勢が立て直すのに困難を感じていた。未だにダメージが残っている中で、痛んだ身体の状態で体勢を立て直すのは難しいのである。

 

 「ぐっ……!(このままじゃ……!)」

 「何だ、口だけか。結局、ただの雑魚だったな」


 そう言いながら狂鬼はその場を離れようとする。そんな狂鬼の姿を見た杏嘉は、悔しそうに表情を歪めて痛みながらも身体を捻る。だが身体の節々が軋んだ瞬間、視界の中で衝突するであろう壁を見つけた。

 このままでは衝突し、今度こそ自分が動けなくなるという事を理解した杏嘉。だが体勢を立て直せない以上、自分に出来る事が何なのか何も思い浮かばない杏嘉は覚悟を決めようとした。


 「――全く、世話の焼ける九尾じゃのう」

 「っ!?」


 そんな声を聞こえた瞬間だった。杏嘉の周囲に糸が張り巡らせられて、杏嘉の身体を覆うように包み込んだ。勢いのあった速度が遅くなり、衝撃を吸収しているのか杏嘉はダメージを負う事は無かった。

 杏嘉は自分の身体を包んでいる糸に見覚えがあり、それを出したであろう者を森の中に視線を向けて探した。すると杏嘉の真下辺りで口に煙管を咥えて、杏嘉の居る空中にまで煙を吐く綾の姿を見つけたのである。


 「無事かの?杏嘉」

 「あ、綾!?」

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