6,初戦

 碧空には灰がかった白い雲が窮屈そうに並び、その隙間から陽光が差していた。

 ヒカルとレトはその日午前の訓練を免除された。呼びに来るまで部屋で待機せよとのお達しだった。

 ヒカルは丸椅子に、レトは寝台の下段にそれぞれ腰かけている。

「いよいよ今日ですね」レトが先に沈黙を破った。

「うん」

「相手はどんな人達なんでしょうね?」

「その場で会ってみるまで出場者には情報を公開してはならない、だっけ。対策の立てようがないよね、それじゃ」

「体は大丈夫ですか? 夜に部屋を抜け出してどこかへ行ってるみたいですが」

「……知ってたの?」

「うとうとしてる時に物音が聞こえたので。私の真上から」レトは表情を緩ませた。

「そっか。でも大丈夫、心配しないで。実は秘密の特訓してたんだ」ヒカルの顔もそれにつられて笑った。

「特訓? ですか? 昼間の訓練では不足と?」

「まあほら、本番までの日数が少なかったでしょ? 出来る限りの事はしておきたくて。後悔したくないから」最後の一言を言うとレトの顔から笑みが消えた。言わなければ良かった、とヒカルは内心で悔やんだ。

「そう……ですね」レトが詰めた息をゆっくり吐き出すように言った。

「勝ちましょう、必ず」レトはヒカルに歩み寄るとその手を握った。「相手を殺す必要はありません」マメが潰れた跡のある手は滑らかではないが温かかった。

 ヒカルは大きく頷いた。

 雲の裏で太陽がゆるゆると昇って行く。






 輸送用の車両が二台止まっていた。片方は空の荷台、もう片方は人を載せていた。数にして二十人ばかりの少年少女、皆その首に金属製の輪が嵌められていた。

「あれは?」レトが奴隷の載っている方の荷台を指した。

「新しい剣闘用の奴隷です」不機嫌そうにテレーズが言う。マイは当てずっぽうで物を言っていたわけではなかったのだ。

 空いている方の荷台にヒカルとレトが載るとテレーズがそれぞれの武器を運び入れた。

「先生は来てくださらないんですか?」レトの疑問にテレーズは首を横に振った。

「新入りへの講習を言い使っているので」

「頑張ってねー、二人ともー!」場違いに陽気な声が聞こえた。見ればマイが門の前までやって来ていた。「マイは信じてるよー!」

 秘書の男がマイを叱った。訓練を勝手に抜け出すな。怒鳴らないのは無駄とわかっているからか。

 そんな注意が聞こえないかのように、マイは姿が見えなくなるまで手を振っていた。





 揺れる荷台の中、レトはヒカルに鞘のついた長剣を差し出した。レトの武器は斧槍ハルバードのような形状だった。

 ヒカルは何を話せばいいか分からなかった。自分達は相手を殺さずに勝とうとしている、だが敵もそう考えている確証はない。頭の中で様々な事が浮かんでは消える。

 やがて車両の駆動音に混じって喧噪が聞こえて来た。円形闘技場のすぐそばまで来ているのだ。

 ふとレトの方を見ると彼女もこちらをじっと見つめていた。幌が薄暗い影を作るため、その表情の意味を読み取る事は出来なかった。

 車両が停止し、御者が降りるように呼び掛けるのが聞こえた。





 闘技場の通用口に向かうと丁度前の試合の出場者が運び出される所だった。どうやら敗北したらしく、手足の掛けた少年が動かない相方に必死で呼びかけていた。

 ヒカルは苦い感覚を覚えた。実際に目の前にするとやはり胸が悪くなる。俯いたヒカルの手をレトが握った。顔を上げると震えながらも決然たる光を湛えた目がそこにあった。

「勝ちましょう」何度も聞いたその言葉。それを聞くと不思議と勇気が湧いて来た。恐怖は消えなかったが。





 出場者として闘技場内を見るのは、観客として見たそれとは違う風景のように見えた。

 喧噪、それには様々な声が含まれていて全体としての意味を掴めない。

 周囲を羽の生えた小さな球体が飛び回る。『オクルス』と呼ばれるそれは闘技場内の風景を記録し、観客席の各所に置かれた白い画面スクリーンに投影を行っていた。奴隷上がりしかいない関係者席にはない物だ。

 中央に進み出るうちに対戦相手も近づいて来る。武器の違いを除けば瓜二つの少女が二人。双子であるらしい彼女らはヒカルよりも小さく、幼く見えた。

 審判が遅れて場内に現れる。

 各々が武器を構えた。

 開始の合図。





 ヒカルは僅差で相手の少女に出遅れた。まだ幼さの残る鬨の声を上げながら突っ込んで来る彼女にレトが文字通りの横槍を入れる。その斧槍を打ち払うべくもう一人の少女が長鉈を振るった。

 ヒカルは剣の間合いよりも近く踏み込んだ。咄嗟に剣を自分の体に引き寄せる少女の肩を掴み、その脚を蹴り払う。武器ばかりに頼るのではない――マイが夜に教えた事だ。

 脚を狙って剣を振り下ろす。渾身の一撃は、しかし相手が地面を転がることで地面だけを撃った。立ち上がろうとした隙を狙ったのはレトだ。戦っていた相手の長鉈を払い、もう一方の少女へ刃を振るう。だが長鉈を持った方が力任せに体当たりをしてそれを防いだ。

 間隙を『目』が飛び回る。鬱陶しいな、とヒカルは頭のどこかで思った。

 互いに致命的な攻撃を与えられない撃ち合いが続く。ヒカルは疲労で思考が麻痺していくのを感じた。肉体だけが訓練の教えに従って動いているようだった。

 ふと剣の切っ先が一点を目掛けて飛び込んだ。ヒカルは剣が自分の意志を持っていて、自分はただ手を添えているだけのような錯覚に陥った。

 切っ先は長鉈を持った少女の右目に滑り込んだ。

 瞬間、それがスローモーションのように思えた。

 ぷちん、という手応え。眼球が破裂して内部のゼリー状の物体が溢れた。それでも剣を止める事が出来ない。奥で少し硬い感触があったが、あっさりと剣はそれを食い破った。

 少女のもう一方の目が裏返る。得物を取り落として崩れ落ちる。右目に刺さった剣では体重を支えられなかった。

 あ、という声。誰が発したのか、その場の誰も分からなかった。

「あ――ッ!!」絶叫を上げたのはもう一人の少女、双子のような彼女だった。彼女はヒカルに向って突進する。レトが回り込んでそれを止めた。

 レトが斧槍を振りかぶる。

 木を切り倒す木こりのような塩梅で少女の片脚が吹き飛んだ。彼女は前方への推進力を持ちつつもバランスを崩し、俯せに倒れた。

「ヒカル!」血に濡れた剣を見つめているヒカルにレトが檄を飛ばした。起き上がろうともがく少女の右腕――剣を握っている方――にレトが再び得物を振るった。

「この子の手足を!」切れ、というのだ。ヒカルは尻込みしてしまっていた。手応えがまだ生々しく脳裏にこびりついていた。

 しびれを切らしたレトが武器を構え直した。残っていた少女の手足が胴体を離れて転がった。

「そこまで!」審判の一人が鋭い声を上げる。もう一人は右目を欠いた少女に屈みこんでいたが、すぐに立ち直った。「死んだ。お前達の勝ちだ」

 遥か高みから歓声が降り注いだ。『目』は忙しなく飛び回り、各々の顔を覗き込んだ。

 ヒカルはそれでも呆然としていた。レトが目に涙を溜めて寄って来て、ヒカルを抱きしめた。ヒカルの手から剣が滑り落ち、硬い音を立てた。

 呻くような声がして視線を落とすと、俯せの状態の少女が首だけを捻ってこちらを睨んでいた。

「許さない……。絶対に殺してやる――」かすれた呟きが、歓声の中でもはっきりと聞き取れた。

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