第4話 あなたのために
翌月、来られた
「こんばんはー!」
「こんばんは。いらっしゃいませ」
「いらっしゃいませ」
カウンタに掛けた都築さんは、
さっそくビールを傾けて、「はぁ」と満足げな息を吐いた。
「母に電話してみました。正確にはテレビ電話なんですけど。父にも同席して欲しかったので。父には前もってお願いしておいて」
「以前のお話ですか? ご結婚云々の」
「そうですそうです。結果としては母に分かってもらえたんですけども」
「それは良かったですねぇ。ではCAさんのお仕事も続けられるんですね」
「はい。お陰さまで。でも大変でしたぁ〜」
都築さんは電話の様子を思い出したのか
「言葉が通じて無いわけでは無いんですけども、母は自分の価値観を曲げないので、なかなか話が通じなくて」
まず都築さんは、今は仕事を辞める気も結婚する気も無いことをお母さまにお伝えしたそうだ。するとお母さまは盛大に顔をしかめてしまった。
「どうしてそんなに仕事にこだわるの? 女の子がそんなあくせく働いてどうするのよ。それに事故に
あくせくと言うのなら、お父さまも懸命に働いて都築さんとお母さまを
そして飛行機事故は、確かに起これば生存率は低いが、乗り物事故の中で発生率が1番低いとされている。
「夢だった仕事なの。頑張って勉強してCAになれたの。だからもし結婚しても辞める気は無いの」
そう言うと、やはりお母さまには理解が難しいのか、不思議そうな顔で首を傾げられたそう。
「結婚したら家事があるでしょう? 子どもだって産むんだし、仕事なんてやってる場合じゃ無いでしょう」
「家事も育児も旦那さんと協力してやって行くよ」
「何言ってるの! 家事育児を男性にさせるなんて!」
お母さまはそう怒鳴る様に言って目を吊り上げた。
「お母さん、今はそういう男性もいるんだよ。逆にそういう男性じゃ無いと結婚したく無い。そうできない人は人を思いやることができない人だから、結婚しても幸せになれないと思う」
「何言ってるの! 結婚して家に入って子どもを産むのが女の幸せでしょう!」
お母さまはすっかりと感情的になってしまう。話が通じていない。こうなるともう話し合いなんてものはできない。
お母さまの横でお父さまは「仕方無いなぁ」と言う様な溜め息を吐きながら、お母さまの背中をさすられたそうだ。
「母さん落ち着きなさい。母さんの悪い癖だ。冷静になりなさい」
しかしすっかりとヒートアップしてしまっているお母さまには届かない。お父さまはまたひとつ溜め息を吐くと、口を開いた。
「母さん」
少しばかり強い声。それでお母さまはようやく静かになってくれた。
「お母さん、お母さんは私に幸せになって欲しいんだよね? でもお母さんの言う女性の幸せは、女性全体の幸せじゃ無くて、お母さんの幸せなの。私にとっては違うの。私はCAの仕事ができて本当に幸せなの。自分でお金を稼ぐことも本当に楽しいの。解ってもらえないかも知れないけど、別の価値観があるってことを知って欲しいの」
都築さんはゆっくりと静かにお母さまに訴えたそうだ。それでも曲げられた眉は治まらなかったそうだ。
お母さまはおそらく思い込みの激しい方なのだ。自分がそうだと信じるものがあれば、それが世間の常識であり全てに於いて正しいこと。
結婚についての価値観は、お母さまの親御さんから刷り込まれたものなのだろうが、少なからずお母さま自身もそれが根本にあったから、それが完成されてしまった。時代背景もあったのだろう。
時代の良し悪しを問うつもりは無い。いつの時代でも価値観は人それぞれであって、男尊女卑が叫ばれた時代にも、才覚を発揮して表舞台に立つ女性はいたのだ。
佳鳴は友人の
いや、違う。あの元婚約者さんには相手への、聡美への思いやりがまるで無かった。あれから改心し始めているとの話を聡美に聞いているが。
都築さんのお話を聞いても眉根を寄せていたお母さま。思い込みの強さに加えて意地っ張りとのことで、素直になれないのだろう。
お父さまはやれやれと言う様に苦笑し、ゆっくりと「あのね」と紡ぎ出す。
「うちの両親の価値観が、母さんと同じだったんだよ。女性の幸せもそうなんだけど、男は結婚して家庭を持ってやっと一人前だって。だから早く結婚しろって就職してからずっとせっつかれてたんだ」
都築さんもだが、お母さまも「突然何を?」と思い首を傾げた。
「僕もそういうもんかと思ってたんだけど、実はね、僕にもやりたいことがあったんだ。でも親に反抗とかそういうのができるほどの
するとお母さまはショックを受けたのか、目を見開いて呆然と口を開けてしまった。次第にその口がわなわなと震えて来る。
「じゃあお父さんは私と結婚して、夢を諦めたって言うの!?」
都築さんも初めて聞くことで驚いたが、お母さまはすっかりと
「親に言えなかったんだから、所詮はそれまでだったんだ。それに母さんと結婚して良かったと思うよ。母さんは僕をこれ以上無いほどに支えてくれて、本当に感謝してる。だから誤解をしないで欲しい。でも
お父さまが語られているうちにお母さまも徐々に落ち着いてこられて、お父さまのお話に耳を傾ける。そしてぽつりと言った。
「私は、美菜ちゃんに幸せになって欲しいから、世間一般的なことをって思って」
「こういうことに世間一般なんて無いよ。昔はそれがまかり通っていたけど、今はそうじゃ無い。悪いことをしているんだったらともかく、美菜は誰かの役に立つとても素晴らしい仕事をしているんだ。だから応援してあげよう。結婚と出産だけが女性の幸せじゃ無いよ。幸せの形は性別に限らず千差万別なんだよ」
お母さんはまだ渋々と言った様だったが、それでも小声で「……うん」と頷いた。
「って、父に助け舟を出されっぱなしで、どうにか納得してもらえました」
「良かったですねぇ。お父さまに本当にご理解いただけていたんですね」
「はい。父はずっと応援してくれてましたから。それにしても父にもやりたいことがあったなんて本当に驚きました。だからこそ余計に応援してくれてたんでしょうか」
「それもあるかも知れませんけども、やっぱり娘さんだから、だと思いますよ。お母さまも都築さんが大事な大事な娘さんだからこそ、ご自分が信じておられる幸せの形を成して欲しかったんでしょうね。ただ考え方が違うだけで」
「そうですね。そうですよね。母はただ私と思うことが違っただけなんですよね」
「ええ、きっと」
そう、これはたったそれだけのすれ違いなのだ。お母さまはただ都築さんに幸せになって欲しいだけなのだ。そのための望む手段が違えただけだ。
煮物屋さん経営を、佳鳴と千隼の父も応援してくれている。母はどうだろうか。苦言を呈されたことは無いので悪くは思っていないと思うが。下手すると興味が無いのかも知れない。そう思うと苦笑が漏れてしまいそうになる。
「ですからこれから都築さんがされることは、まずはお仕事を楽しまれて、幸せになること、でしょうか。どなたかとのご縁は、またその時次第ということで。でもCAさんっておもてになられそうですよねぇ」
「あはは。そればっかりは本当にご縁のものですもんね〜。確かにモテモテの先輩もいるんですけど私は全然です。父が、ううん、きっと母も応援してくれていると思ったら頑張れます。今日は美味しいご飯とお酒でゆっくり英気を養って、明日もゆっくりして、明後日からまた頑張ります!」
「ふふ。私たちも応援していますね」
「はい。ありがとうございます」
都築さんは嬉しそうににっこりと微笑んだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます