第4話 ふたりで美味しいご飯を

 琴田ことださんと佐古さこさんが次に揃って来られたのは、翌週の金曜日だった。琴田さんはおひとりで来られる平日もあって、互いのご両親との顔合わせをすることになったとおっしゃっていた。


「あ〜今日も仕事頑張りました。ビールください」


「俺はそうだなぁ、やっぱり酎ハイのカルピスで」


 佐古さんはメニューを見ながらも、先日と同じものを注文された。


「はい。お待ちくださいね」


 速やかにドリンクを用意してお出しする。おふたりはグラスを重ねてさっそく煽った。


「美味しい〜ビール美味しい〜」


「やっぱりカルピス甘くて旨い〜」


 琴田さんと佐古さんは揃って表情を綻ばせた。琴田さんはグラスを置くと口を開く。


「先週の土曜日に、互いの両親の顔合わせをしたんです。だから最近ばたばたしてしまって」


「ご結婚に向けてもう動かれているんですね。本当におめでとうございます」


「ありがとうございます。善は急げってことで。でも式の打ち合わせとかがやっぱり時間掛かっちゃいますからね。まだまだこれからです」


「新郎新婦のご意向の擦り合わせが大変、なんてお話も聞きますねぇ。でもおふたりは大丈夫そうですね」


「そう思います?」


「はい。おふたりの雰囲気でそんな感じがしますよ。素敵な結婚式にしていただきたいです」


「ふふ。お料理とかドレスとかタキシードとか席次とか、決めることてんこもりらしくて。結婚情報誌とか全然見て無いので、何があるのかまだ良く分かって無いんですけど、式場の係の人がいるし、もう頼っちゃおうかと」


「素敵ですねぇ。楽しみですね」


「はい!」


 琴田さんは幸せそうににこにこと笑みを絶やさない。本当に嬉しいのだろう。結婚式や入籍まではまだ数ヶ月あるだろうが、ぜひ素敵なご家庭を築いていただきたい。


「新居をどうしようかって話も出てるんですけど、琴田がどうしてもこの煮物屋さんから離れたく無いって言って。俺もその気持ちが解って」


 佐古さんがそんなことをおっしゃってくださり、佳鳴かなるは「あら、それはとても嬉しいです」と頬を緩ませた。千隼ちはやも「わぁ」と喜びの声を上げる。


「でも今琴田がひとり暮らししてるマンションはふたりだと狭いので、この辺りで新たに広いとこ探すことになりそうです。琴田が今から不動産屋に行こうって。俺は早いと思うんですけど」


 すると隣で琴田さんが「とんでもない」と首を振った。


「早く無いよ。良い部屋見付けたいから時間掛けるよ。内見もたくさん行かなきゃ。佐古くんは実家出たことないからぴんと来ない?」


「そうだなぁ。実家が引っ越したことあるけど、俺はノータッチだったからなぁ」


「平日は仕事で、土日と祝日しか動けないのよ。式の打ち合わせもあるし、実はあまり時間って無いのよね〜」


「あ〜、確かにそう思うとあんまり無いなぁ。えっと、式まであと半年ぐらい? まだまだ先だって思ってたけど」


「決め事も全部が全部とんとん進むわけじゃ無いだろうからね。気合い入れないと」


「頑張りすぎて体調とか崩さないでくれよ」


「気を付ける。あ、店長さんハヤさん、佐古くん、お母さまにご飯の味付けの話を聞いたんですって」


「そうなんですよ。いやぁ、これは本当に母親に申し訳無いことをしてたなって」


 佐古さんは苦笑して頭を掻いた。


 佐古さんが乳離し、さすがに離乳食は塩分無しのものを食べていたらしい。だが大人と同じご飯が食べられる様になった頃、佐古さんは普通の味付けのご飯を受け付けなかったらしいのだ。


「うすくておいしくない」


 そう言って顔をしかめたとのこと。


「小さい頃のことで、さすがに俺は覚えていないんですけど」


 佐古さんのお母さまはお料理上手というわけでは無いらしい。なのでどうしたら良いのか悩みながら試行錯誤したそうだ。だしの素を多く入れたり、砂糖を足したりと。そして行き着いたのが、お醤油を多めに入れることだったのだ。


 そしたら幼い佐古さんは「おいしい」と言って嬉しそうに食べた。なのでお母さまは佐古さんのご飯にだけお醤油を足して出していたのだ。


「母親も塩分の高いご飯を出すことに躊躇ちゅうちょしたらしいんです。でもまずは食べささないといけないから仕方が無かったって」


「確かに小さなお子さんは濃い味が好きな子が多いんでしょうけどもねぇ」


「醤油だけじゃなくて、メニューによってはソースとかケチャップとか、そういうのも俺の分だけ多くしてくれていたんです。琴田に言われました。母親に手間を掛けさせ過ぎだって」


「そうですねぇ。お母さまだからこそできたことなんでしょうねぇ」


「ですよねぇ。私も子どもができたらいろいろやると思いますけど、佐古くんみたいにもう良い歳の大人のためにそこまでできるかどうか分かりません。お鍋なんかも別にいるし、手間も洗い物も増えるし」


「そういうのも料理をしないから分からないんですよね。それも俺の駄目なところだったかと。本当に猛省もうせいです」


 佐古さんはそう言ってまた苦笑い。琴田さんは「そうよ〜」とからかう様に言う。


「で、俺は醤油の味にすっかり満足してしまって、母親もそれに合わせて醤油を足すから、どんどん濃くなっちゃって、ますます味覚がおかしくなってしまったんです。そして馬鹿舌のできあがりです。俺自身はそれに気付いていなかったわけですけど」


「でも佐古さん、お出汁を美味しいと思われたんですから、大丈夫だと思いますよ。もしかしたら大人になられて、味覚が変わったのかも知れませんね」


「そうかも知れません。醤油の味はずっと好きでしたけど、それが当たり前の味だと思って食べ続けていたので、気付かなかったんじゃ無いのかも知れません」


「はい。佐古くんがいつも当たり前みたいに醤油を足すから、強い味が好きなんだと思って、お出汁だけを飲んでみてもらおうなんて思いもしませんでした」


「お出汁を美味しいと思ってくださるのなら大丈夫だと思ったんです。お醤油がお好きだということは、和食がお好きなのだと思ったんです。なので和食の基本のお出汁を飲んていただいたんですよ」


「でもそれが転機になりました。琴田との結婚も決めることができたし。本当にありがとうございました」


「いいえ、私たちは何も」


「母親も喜んでくれました。結婚して家を出るまで半年ぐらいですけど、別に作らなくても良くなったことと、母親が本来作ってくれるご飯をそのまま食べられる様になったことを。実はまだ少し薄いとは感じるんです。長年醤油の強いご飯を食べて来たんで、すぐには直らないかも知れません。でも出汁の旨さを知ったから、もう醤油を足そうとは思えません。琴田と一緒に暮らすことになるころには、醤油の量が普通でも薄いとは思わなくなってると思うんです」


「本当に佐古くんのお母さんに感謝されました。なので私行きつけのお店の人のお陰だって言うと、お礼を伝えて欲しいって言われました。本当にありがとうございました」


「本当にとんでもありませんよ」


 佳鳴が少し焦って言うと、琴田さんは「うふふ」と笑みをこぼす。


「結婚したら佐古くんも私もご飯作るつもりですけど、こちらにもしょっちゅうお邪魔させていただきますから、まだまだこれからもよろしくお願いしますね」


「こちらこそよろしくお願いします。お食事作りにお疲れになった時などにでも、お立ち寄りいただけたら嬉しいです」


「疲れなくても来たいです。佐古くんもここのご飯なら嬉しいでしょ?」


「そうだな。仕事だってあるんだし、それで疲れた時とかだって来ような」


「うん」


 琴田さんと佐古さんはにこにこと微笑み合った。


 味の好みの違いは生活すら左右する。それで関係が終わってしまうのは悲しいことだ。


 佐古さんの味覚が悪いわけでは無い。味の好みはいろいろだ。だが偏食は良いことでは無い。身体のことを考えるとそれは直した方が良いものだ。


 これから琴田さんと佐古さんは同じご飯を食べて「美味しいね」と言い合うことができるだろう。それはとても素晴らしいことだと思う。


 これからもそんな場をご提供できたらと、心の底から思うのだ。

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