第4話 弟の成長

克己かつみ、いつから待ってたの? 晩ご飯は食べた?」


「食べた。でも外にいたから少しお腹空いた」


「じゃあお姉ちゃんぱぱっと食べちゃうからちょっと待っててね。カフェかファミレス行こう」


 梅田うめださんは言って、慌ててはしを取る。


「梅田さん、オムライスでしたらすぐにお作りできますよ。よろしければいかがですか? 克己くん、オムライス好き?」


 佳鳴かなるが言うと克己くんは「うん!」と笑顔で応える。だが「でもね」と言葉を続ける。


「おれ、お姉ちゃんと同じの食べたい」


 そう言って梅田さんの前のお料理をじっと見た。


「え? でもこれ、克己が好きじゃ無いお醤油味の煮物だよ。味付けもお母さんと違って薄めだよ。食べられるの? やっぱり嫌だって言って残すのは駄目だよ」


「うん、大丈夫。食べる。お姉ちゃんが好きなご飯、食べてみたい」


 克己くんは好奇心に満ちた目で言う。梅田さんは根負けした様に小さく息を吐いた。


「店長さんハヤさん、私も手伝って残さない様にするので、克己にご飯出してあげてもらって良いですか?」


「もちろんですよ。少なめにお盛りしましょうね」


「ありがとうございます。ほら、克己もお礼を言って」


「ありがとう!」


「ありがとうございます、だよ。年上の人には丁寧ていねいな言葉使いをするんだよ」


「ありがとうございます!」


 克己くんの溌剌はつらつとしたお礼に、佳鳴は「どういたしまして」と笑顔で返す。根は素直な子なのだろう。


 佳鳴と千隼ちはやは煮物の量をぐっと控えめにして、小振りな器に料理を整える。白ねぎは小さな子が好む様な食材では無いだろうから少しにする。


 ピリ辛炒めは辛さを和らげるために少しマヨネーズを加えた。春雨サラダはそのままでも大丈夫だろう。


 そうしてお味噌汁と、お茶碗に半分ぐらいに軽く盛った白米を一緒にお出しした。


「はい、お待たせしました。どうぞ」


 克己くんはさっそく手を合わせて「いただきます!」と言い、箸に手を伸ばす。甘やかされてるとはいえ最低限のマナーはできている様だ。小学校では給食もあるのだから、そこでも教えられているだろうし。


 横で梅田さんも箸を取り直す。ほぼ手付かずの梅田さんのお食事はすっかりと冷めてしまった。佳鳴が「温め直しましょうか」と訊くと「いえいえ、きっと冷めても美味しいですから」と笑顔で返された。


 克己くんは箸の持ち方も上手だ。白米をすくってもりもりと食べる。


「あれ、克己、白いご飯いつの間にか食べられるようになってたんだね」


「うん。ママはいつも味の付いたご飯作ってくれたり、ふりかけくれるけど、給食は白いままのことが多いもん。だから食べられる様になったよ」


 次に煮物の鶏もも肉を口に入れる。続けて厚揚げも。首を傾げながらももぐもぐと噛んでいく。


 梅田さんが少し緊張した様な面持ちで口を開いた。


「どうかなぁ。お姉ちゃんはここのご飯美味しくて大好きなんだけど、克己にはまだ早いかな」


「おいしいよ!」


「本当?」


「うん!」


 克己くんは嬉しそうに箸を動かして行った。梅田さんは「良かったぁ〜」と胸を撫で下ろす。


「お醤油のおかずも、いつの間にか食べられる様になってたんだね」


「給食で出ることあるもん。給食はね、アレルギーとが量が多いとかだったら、食べなくてもよかったり減らしたりしてもらえるけど、きらいって理由じゃだめなんだ。だから食べてたら食べられる様になったんだ。やっぱりまだオムライスとかハンバーグとかが好きだけど、こういうのも食べられるよ」


「そうなんだ。凄いね!」


 梅田さんにめられて、克己くんは「へへ」と照れた様に笑う。


「これ給食よりおいしいし。ママのご飯とも全然違うね」


「どっちが好き?」


「どっちもおいしい。ママのはね、もっとおしょうゆとか甘いのが多い気がする。たまに出てくるやつ」


「そうだよ。お母さんは克己が美味しいって思う味付けをしてくれてるからね。でも煮物屋さんのご飯が美味しいって思えるんだったら、少し大人の味覚に近付いてるのかな」


「そうなの?」


「きっとね。この赤いのはちょっと辛いよ。食べられる?」


「食べてみる」


 克己くんはピリ辛炒めを口に運ぶ。味わう様にゆっくりと噛んで。


「大丈夫。ちょっとだけピリッとするけどおいしいよ。マヨネーズ入ってるし」


「え、マヨネーズ?」


 梅田さんが驚いて自分のピリ辛炒めを食べる。そして首を傾げた。


「お姉ちゃんには判らないなぁ」


 佳鳴は「ふふ」と笑みを浮かべる。


「克己くんの分は、辛さを抑えるために少しマヨネーズを加えたんです。少しは和らいでいると思うんですが」


「そうなんですか? わぁ、ありがとうございます」


「いいえぇ。食べられた様で良かったです」


「おいしいよ! えっと、違う、おいしいですよ!」


 克己くんは元気に言ってくれる。佳鳴はにっこりと笑みを返した。


「ところで克己、なんでお姉ちゃんに彼氏がいるって思ったの?」


 梅田さんが訊くと、克己くんは口の中のものをごくんと飲み下して言った。


「ママが言ってた。お姉ちゃんの夢はお嫁さんになることだって」


 それに梅田さんは「ぶふっ」と噴き出し、「え、え?」とうろたえる。


「お姉ちゃん、夢というかやりたいことはまだ探してる最中で、結婚はまだ考えて無いよ。お姉ちゃんまだ学生だし、相手もいないし」


「そうなの? でもママがそう言ってたよ」


「えー? 私お母さんにそんな話したっけかなぁ」


 梅田さんは眉根を寄せて首を傾げる。「うーん」と記憶を辿たどっている様だ。


「あー、もしかしたら小さい時の話かな。幼稚園とかそんな時。将来の夢はって聞かれたかなんかした時にそう応えたのかも知れない。あんまり覚えて無いけど」


「そうなの? お姉ちゃんお嫁さんにならないの?」


「先々そうなるかも知れないけど、今は違うよ。お嫁さんって夢も今ではノーカンだよ」


「そっかぁ!」


 克己くんは嬉しそうに満面の笑みを浮かべる。


「じゃあやっぱりお姉ちゃんはずっと僕と一緒だ! ……あ」


 克己くんの目が千隼を捉え、少し怯えた様に肩をすくめる。


「こ、これもわがままなのかなぁ」


 千隼は「すっかり怖がられちゃったかな」と苦笑する。だがすぐに柔らかな笑顔になって。


「克己くん、お姉さんと一緒にいたいって言うのはわがままじゃ無いよ。でもお姉さんが独立する時や結婚する時とかに、克己くんの気持ちだけで「嫌だ」って言ったら、それはわがまなだと思うな。だから将来そうなった時に、お姉さんを笑顔で送り出せる様になりたいね。そしたらきっとお姉さん喜んでくれると思うよ」


 すると克己くんは目を輝かせて「うん!」と応える。


「お姉さんもお母さんもお父さんも、少し厳しいことを言う様になるかも知れないけど、それは克己くんのためなんだってことを覚えておこうね。克己くんが素敵な大人になるために、お姉さんたちはいろんなことを教えてくれるから、ちゃんと聞こうね」


 克己くんはもう千隼を怖がっていない。子どもながらのこの切り替えは素晴らしい。元気な声で「うん!」と返事をした。


「ハヤさん、言ってくれてありがとうございました」


 梅田さんがそう言って頭を下げるので、千隼は慌てて両手を振った。


「と、とんでもありません。僕こそ差し出がましいことを。梅田さんのご家庭の事情ですのに」


「いいえ。第三者の方に言ってもらわないと、このまま克己を甘やかしてしまっていたと思います。家族ですから他人よりわがままの許容も大きくて、それが良いこともあるんでしょうけども、駄目なことも多いですよね。お父さんお母さんとも話をして、仕切り直しができたらと思います。まだ遅く無いですよね」


「そう言っていただけて安心しました」


 千隼はほっと息を吐いて微笑を浮かべる。


「まだまだ遅いなんてことは無いと思いますよ。僕は自分自身が弟だってこともあって、少し引っ掛かってしまって」


「そうですよね。ハヤさんも弟さんなんですもんね。凄くしっかりされてますよね。お店もされてて」


「まだまだ青二才ですけどね。うちは甘やかしとは無縁の家庭環境だったんですよ。当時はもしかしたらそれが嫌だって思ったこともあるかも知れないですけど、今にして思えば程々が大事なんだろうなと。褒めたりしてあげるところと叱るところ、そのメリハリが大事かなと思います」


「はい。私もそう思います。心掛けます。ねぇ克己、お姉ちゃん怒ってばかりになるわけじゃ無いからね。それは安心してね」


「うん! おれ、お姉ちゃんとママのためにがんばるね。パパはどうしようかな〜」


「こら!」


 梅田さんがたしなめると、克己くんは「へへ〜」といたずらっ子の様に笑った。


 まだまだこれからだろう。でも克己くんは利発な子だ。だからきっと大丈夫。


 梅田さんの家庭の事情に踏み込み過ぎてしまったことは、千隼がいちばん解っていて反省もしているだろう。


 だが佳鳴は煮物屋さんの経営者として、言うべきことは言わなければならない。そこは確かに未熟な部分である。


 しかし姉として、弟である千隼の成長を嬉しいと思うのだった。

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