第6話 受け取るべき対価

「と言うわけで!」


 そんな声とともに、佳鳴が今夜も日本酒を嗜む柳田さんの前にどんと出したのは、人気があるが製造本数が少なく、一般ではなかなか手に入りにくい日本酒の一升瓶だった。


「あら、こちらは?」


 柳田さんが不思議そうに首を傾げる。


「先日看護師さんの件で視ていただいたお礼です。お会計を断られてしまいましたからね。これはもう押し付けで受け取っていただいちゃいますよ」


 佳鳴が鼻息も荒く言い、千隼も隣で何度も頷くと、柳田さんは「あらあらあら」とおかしそうに笑う。


「もう本当に、お気になさらなくても良いですのに」


「いいえ、そんなわけには行きません。柳田さんはこのお酒だけでは足りないだけのことをしてくださいました。私たちは柳田さんの大切な能力をいただいたんです。柳田さんはその対価をお受け取りされなければ」


「本当にそんな大したことをしたつもりは無いのですよ」


「柳田さんにとってはそうかも知れませんけど、私たちにとってはとても大きなものだったんです。柳田さんがおられなければ救われなかった思いがあったんですから」


 柳田さんは「大げさですわねぇ」と笑うが、「でもそうですわね」と小さく首を傾けた。


「ではありがたく頂戴いたしますわね。こちらのお店でいただいても大丈夫なのでしょうか」


「はい。ボトルキープの様にしましょうか。お飲みになりたい時におっしゃってください」


「ふふ、ありがとうございます。では今のお酒が空いたらさっそくいただきましょう」


「良かったぁ。ありがとうございます」


 佳鳴と千隼は心の底からほっとする。これで少しでも柳田さんにお返しができただろうか。


 その時、「こんばんは」の声とともに店に入って来たのは三浦さんだった。


「いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ。三浦さん、占い師の方が見えてますよ」


「え、え? どなたどなた?」


 三浦さんは目を丸くしてきょろきょろと店内を見渡す。


「あら、もしかしたらあなたがお困りだった看護師さんかしら?」


 柳田さんが言うと三浦さんの視線がまっすぐに柳田さんに向かう。


「あなたが占い師の方ですか?」


 三浦さんはそろりと柳田さんに近付くと、深く頭を下げた。


「この度は本当にありがとうございました!」


「あらあら、店長さんたちにも申しましたけども、私は本当に大したことはしていないのですのよ」


「いいえ。本当に助かりました。あれから機器の異常も無くなって。本当にびっくりするぐらいに止まったんですよ。私たちも悼むことの大切さをあらためて思い出すことができて。本当にありがとうございました」


「いいえ。あなた方のお役に立てたのでしたら良かったですわ」


「はい。それはもうとてもとても。本当にありがとうございました」


「もう本当に大したことでは無いのですよ。それよりお掛けになってくださいな」


「あ、は、はい」


 三浦さんは慌てて柳田さんの横に掛け、「お隣失礼します」と小さく頭を下げた。


 佳鳴がおしぼりを渡すと、三浦さんは気持ち良さそうに手を拭いて「いつも通りでまずは赤ワインお願いします。あとでご飯くださいね」


「はい。かしこまりました」


「あら、お酒もご飯もいただかれるのですか?」


「はい。体力仕事なもので、毎日仕事の後はお腹が空いて空いて」


 柳田さんのせりふに三浦さんは照れた様に応える。


「たくさん食べるのは素晴らしいことですわ。食べることは生きること、力ですものね。ええと、失礼ですがお名前をお伺いしても? 私は柳田と申します」


「あ、三浦と申します。よろしくお願いします」


「三浦さん、こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。ええ、三浦さんからは溢れるエネルギーを感じますわ。本当に美しいですわね」


「う、美しいだなんて、そんなっ」


 三浦さんはすっかり恥ずかしがってしまう。柳田さんがおっしゃっているのは顔などの美醜のことでは無いのだろうが、ここは何も言うまい。


 だが確かに生命力に満ちているというのは、素晴らしいことなのだと思う。この煮物屋さんに来られるお客さまにはそういう意味で美しい方が多い様に思う。


「このお店で美味しいものをいただいているのも、原因のひとつなのですわね」


「ええ、ええ。そうですそうです!」


 柳田さんの言葉に三浦さんは前のめりで同意する。


「そうおっしゃっていただけるのはとても嬉しいですね。ありがとうございます。はい三浦さん、お料理お待たせしました。まずは小鉢ですよ」


「はぁい! ありがとうございます!」


 三浦さんは上がったボルテージのまま返事をする。


 今日の小鉢ひとつ目はかまぼことにらの炒め物である。ごま油と生姜で炒め、軽く味付けをしてある。


 もうひとつは焼きねぎのおかか和えだ。フライパンで焦げ目が付くまでしっかりと焼き付けた白ねぎを、削り節と調味料で和えたものである。アクセントとして唐辛子の輪切りも少々入っている。


「また今日もお酒に合いそうなメニューですねぇ。いただきまーす」


 三浦さんは赤ワインをごくり。そして炒め物を口に含んだ。


「へぇ、ごま油と生姜ですか? 良い風味です。にらがしゃきしゃきしてて、かまぼことの食感の違いが面白いですねぇ」


「ありがとうございます」


「あら三浦さん、煮物はいただかないのですか?」


「煮物は後でご飯と一緒にいただくんです。まずは小鉢でお酒をゆっくりといただこうかと」


「あら、それは素敵ですわね。私はお酒が入ってしまうと、食が細くなってしまうのですよ」


「でも動かれるとかで無いんでしたら、お米は無い方が良いかもですよ。太っちゃいますよ」


「あらあら」


 柳田さんはおかしそうに笑う。


「確かに太り過ぎるのは困ってしまいますねぇ」


「そうですよ。それもそうなんですけど柳田さん」


「はい?」


「何かお礼がしたいんです。何か欲しいものとか無いですか? お菓子とか……甘いものとかお好きですか?」


「あらまぁ。お礼なんて本当によろしいのですのよ。私はご縁のままに視させていただいただけなのですから」


「そんなわけにはいきません。今回は本当に助かったんですから。柳田さんがおられなかったら原因すら判らなかったんですよ」


「いいえぇ、それに先ほど店長さんとハヤさんからお礼をいただきました。それでもう充分過ぎるほどなのですよ」


「え? 店長さんとハヤさんは何をされたんですか?」


 三浦さんの少し驚いた様な顔が佳鳴たちに向く。佳鳴は先ほど柳田さんにお見せした日本酒の瓶を出した。


「これをこちら持ちでボトルキープさせていただきました」


「え? このお店ボトルキープ無いですよね?」


「はい。置く場所が確保できないもので。なのでお礼なんです」


「じゃ、じゃあその2本目を私たちに贈らせてください!」


 浦島さんがそう言って勢い良く挙手した。


「もちろんですよ。仕入れはこちらでさせていただきますね」


「助かります。ありがとうございます!」


「あらあらあら、どうしましょう。私には過ぎてしまうお礼ですわ」


 柳田さんが困った様に言うと、三浦さんは「いいえ」と強く言った。


「足りないぐらいです。柳田さんはちゃんとされたことの見返りを受け取ってください。その権利があるんです」


 なんともストレートな言い方である。だが言葉を選ばないそれが真実だ。そこまで言われ、柳田さんは驚いて目をぱちくりさせた。


「そんなことをおっしゃっていただけるなんて。私としては本当に充分なのですけども、ご厚意はとても嬉しいですわ。ではありがたく2本目お願いしましょうかしら」


「はい、ぜひ! 良かったぁ〜」


 三浦さんはほっとして顔を綻ばせた。


「ふふ。私も人間ですから欲もありますわ。でも過ぎてしまったら人間としてのバランスを崩してしまうのです。ですが大好きな日本酒の前では負けてしまいますわねぇ」


「美味しいものはじゃんじゃん飲みましょうよ。我慢は良く無いですよ」


 三浦さんに無邪気に言われ、柳田さんはまたおかしそうに「ふふ」と笑った。




「なぁ、姉ちゃん」


「ん?」


 閉店後、片付けの途中に千隼が呟く様に言う。


「三浦さん、あれ以降機械の異変無くなったって言ってたよな」


「おっしゃってたねぇ」


 千隼はこわばった顔を佳鳴に向けた。


「それってさ、柳田さんの言う通りあそこには男の子の幽霊がいたってことか……?」


「そうかもねぇ」


「うわ……」


 千隼の顔がひくつく。そこで佳鳴は思い至る。


「千隼あんた、心霊現象を信じないんじゃ無くて、怖いからそう言い張ってるんじゃ」


「違うって!」


 千隼は焦って佳鳴のせりふに被せる様に否定をする。これは。


「図星かぁ〜」


「だから違うって!」


「まぁまぁ。あんたにも私にも見えないし感じないんだから、そんな怖がること無いって」


「だから! 違うんだっての!」


 千隼の叫びとも言えるせりふが店内に響き渡った。

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