第2話 ブルーと純白

 これが、相手がお客さまならこちらから深入りする様なことはしない。お客さまがお話したければもちろん聞くが、そうで無ければ基本は相づちを打つ程度だ。


 しかし今の場合、相手は佳鳴かなるの友だちだ。


「ねぇ聡美さとみ、話聞いて欲しいんじゃ無いの?」


 佳鳴が言うと、聡美は「はは、分かる?」と苦笑する。


「まあねぇ。付き合いも長いしね。こんなタイミングで憂鬱そうなんだもん。幸せそうであって欲しいのに」


「だよねぇ〜」


 聡美はまた苦笑い。


「ちょっと焦っちゃったのかも知れない。私さ、小さい頃から夢が「お嫁さん」だったから、早く結婚したくて。だから早くプロポーズして欲しくて、してもらったらすぐに飛び付いちゃった」


「もしかして、後悔してるの?」


「後悔って言うか、違和感。私、お母さんが専業主婦だから、自分も結婚したらそうなるんだろうなって漠然と思ってたんだ」


「うん、良いんじゃ無い?」


 今でこそ夫婦共働きの家庭は多いが、そんな今でも専業主婦になりたいと言う女性は一定数いる。聡美がそうでも何らおかしくは無い。


 そして聡美は確かに家庭的な雰囲気がある。それは宴会の時に料理を取り分けたりする様なあざといものでは無く、さり気ない気遣いが出来るのである。


「でも専業主婦になるかどうか、それをね、私は旦那さんになる人と相談して決めたかったんだ。でもね、私たちの場合はそうじゃ無かった」


「何があったの?」


 佳鳴が聞くと、聡美は「ははっ」と嘲笑する様な顔になる。


「言われちゃったよ。女は結婚したら家庭に入って、旦那さんを支えて立てるもんだって」


「そりゃあまた、時代錯誤だねぇ」


 佳鳴が目を丸くすると、聡美は小さく息を吐く。


「私ね、自分で言うのもなんだけど、尽くすタイプではあるの。何でもやってあげたくなっちゃう。でもね、それを女だからそうするものだって決め付けられるのに違和感を感じたの。そんなこと言われなくても尽くすし支えるし立てるよ。でもそれを当たり前みたいに思われるのは、なんかちょっと違うかなぁって」


「確かにそうかもね。あー、でも下世話だけど、お相手さん、聡美が専業主婦になっても収入に余裕があるから、そう言えるのかな」


「ううん、普通の会社員で別にそんな高給取りでも無いから、子どもでも生まれたらかっつかつになると思う。でもそれを何とかするのも女の仕事なんだってさ。でもパートとかは外聞が悪いって言われた」


「本当に時代錯誤ですね!」


 つい、と言った様子で千隼ちはやが目を見開く。そして「あ、すいません」と慌てて口を押さえた。


「ううん。でもそっか、男性でもそう思っちゃうかぁ〜」


「いや、あの、そう言うのは本当に人それぞれと言いますかご夫婦それぞれと言いますか。あの、なので僕が何か言えることじゃ」


「うん。それは確かにその通りだと思うんだけどね。でもさ、この違和感抱えたまま結婚して大丈夫なのかなって」


 聡美は言うと、また憂鬱そうに溜め息を吐いた。


 佳鳴は言い淀む。これが、相手がお客さまならもちろん口をつぐむ。だが違う、友だちだ。幸せになって欲しいと思っている大切な人だ。だから佳鳴はためらいながらも口を開いた。


「聡美、きついこと言うかもだけど」


「なぁに?」


「……夫婦は、互いに尊重し合えないと、続かないよ」


 佳鳴は、片方がもう片方をないがしろにして、関係が破綻した元夫婦を知っている。それは佳鳴の、そして千隼にとってもかなり近しい人たちだったので、ふたりはとても心を痛めた。


 だがないがしろにされてしまった本人が最も辛かったに違いない。佳鳴は聡美にそうなって欲しく無い。当たり前だ、大事な友人なのだ。


「お相手さんが聡美をどう思ってそう言ったのかは判らないけど、もし軽んじてるんだったら、しんどいと思う」


 聡美は佳鳴のせりふを真剣に聞いていた。もしかしたら思うところがあるのかも知れない。


「軽んじて、かぁ。言われちゃうと、そうなのかもって思っちゃうなぁ。聞いた訳じゃ無いから判らないけど」


 聡美は言って、目を閉じて考える。そして意を決した様に目を開いた。


「うん。そうだね。ちょっと考えてみるよ。どうせ結婚するなら幸せになりたいもんね」


「そうだね。私も聡美に幸せになって欲しいから。私は既婚者じゃ無いから、話を聞くぐらいしか出来ないけど」


「ううん、聞いてもらえるだけで嬉しいよ。こんな話、そう誰にもできるもんじゃ無いしね。あと結婚してるのって夕実ゆみぐらいだけど」


「ああ、夕実んとこお子さん産まれたばっかりで、それどころじゃ無いだろうしね。じゃあ明後日も欠席?」


「うん。ま、こればっかりはね」


 夕実、布川ふかわ夕実は数年前に、仲間内で1番早く年上の男性と結婚して、この度子宝に恵まれた。


 これが兄弟や親戚なら結婚式の日を調整するところだが、友だちなのでそうは言っていられないのだろう。もちろん来て欲しかった気持ちは大いにあるのだろうが。


「ま、夕実は落ち着いたころにあらためて会うよ。さてと、そろそろ帰ろうかな」


 話しながらも箸を進めていたので、聡美の皿はすっかりと空になっていた。ビール瓶も空いている。


「気を付けて帰ってね」


 聡美が立ち上がって帰り支度を始めるので、佳鳴は伝票片手にレジに向かう。料理と瓶ビール1本分の金額をレジスターに打ち込んだ。


「佳鳴、明後日も会えるの楽しみにしてる。忙しいのにありがとう」


「ううん、こっちこそ披露宴出られなくてごめん。楽しみにしてるね」


 聡美は来た時よりは幾分かすっきりした表情になって、代金を支払って帰って行った。佳鳴は手を振ってその背中を見送った。聡美も振り返って手をひらりと振ってくれる。


 カウンタに戻った佳鳴に、千隼はぽつりと言う。


「姉ちゃん、やっぱり結婚する相手とは、価値観とかそういうのが合わないとしんどいよな」


「……そうだね」


 佳鳴はそう応えることしか出来なかった。




 2日後の朝、佳鳴は久し振りのワンピースにそでを通す。ネイビーのシンプルなものだ。ウエストマークも無く、ノースリーブの肩からひざ下あたりまですとんと下りている。えり周りはスリットネックで、それだけが特徴の様なものだろうか。


 それに透け感のあるベージュのストールを合わせる。アクセサリーは白い真珠で揃えた。靴はブラウンのヒールである。


 そこにベージュのコートを羽織って、チャコールグレイのバッグを手に、聡美が挙式を行う式場に向かう。


 到着し控え室に入ると、そこには懐かしい顔があった。


「佳鳴、久し振りね!」


奈江なえ。本当に久し振り!」


 笑顔で迎えてくれた友だち、牧野まきの奈江。佳鳴は大学時代、この奈江と今日の花嫁である聡美、そして今現在子育てでてんてこまいであろう夕実と、主に行動を共にしていた。


「披露宴は出れないのよね。残念」


「うん。お店があるからね。でもお式だけでも出られて良かった」


 そんな話をしながら挙式の始まりを待つ。


 やがて時間が近付き、佳鳴たちは案内されてチャペルに入る。順番に詰めて木製の長椅子に掛け、前の椅子の背もたれ部分に差し込まれていたリーフレットを開くと、式次第しきしだいや賛美歌の歌詞が書かれている。


 そうして時間になる。司式者である牧師が入場し、ゆったりとした良く通る声で開式を宣言した。


 まずは新郎の入場。初めて見る聡美の結婚相手は、ふっくらとした体格の細い目をした柔和そうな第一印象で、聡美が言っていた様な事を言う様には見えなかった。


 人は見掛けによらないなと、佳鳴は客商売をする者として、もっと人を見る目を養わなければと感じる。


 そうして新婦、聡美の入場である。お父さまであろう男性の手を取る聡美は、ふんわりとボリュームを持った純白のウエディングドレスに身を包み、ほのかな笑みを浮かべるその表情は幸せそうに見えて、とても、本当にとても綺麗だった。「わぁっ」と言う歓声がチャペルに響く。


「聡美、すごく綺麗だね」


 写真を撮るためにスマートフォンを掲げた奈江にこそっと言われ、佳鳴もスマートフォンを手に「うん」と頷く。


 一歩一歩を踏みしめ、静かに歩む新婦とお父さま。新婦の聡美は新郎の横に並び、オルガンで賛美歌が演奏される。


 そうして挙式は、おごそかに、そして和やかに進められて行った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る