第87話 再会

 ユートのパーティと合流するため、テミスが南門に向かって歩いていた時だった。

 南門のてっぺんから、緊急時の鐘の音が聞こえてきた。


「……なんだ?」


 鐘の音を聞きいて、テミスは眉根を寄せた。

 鐘の音は決して、クロノスの存立危機にのみ鳴らされるわけではない。

 小さな火事でも、聞こえてくる程度のものである。


 だがテミスはその音を聞いて、胸騒ぎを覚えた。


 テミスには予兆を感じるスキルはない。

 胸騒ぎを覚えるのは単純に、鐘の音を聞く度に昔の苦い記憶が蘇るためだ。


 今日はギルドからの指名依頼の最終日だ。


 テミスはこのパーティへの臨時加入で、なにかが掴めそうな所まで来ていた。

 盾士としてではなく、冒険者テミスとして、とても大切ななにか……。


 それにもうすぐ手が届くのではないか。

 そう思っていた矢先に、鐘の音である。


「……チッ」


 今日の狩りにケチが付いた気がして、テミスは大きく舌打ちをした。

 その時だった。


「……テミス、様?」


 不意に、聞き覚えのある声がして、テミスははっと息を飲んだ。

 恐る恐る振り返ると、


「……リタ、なのか?」


 幼い頃から知っている、リタの姿がそこにあった。


 テミスの記憶にあるリタとは違い、現在の彼女はみすぼらしい衣服を身に纏っていた。

 だが凜とした佇まいや、強い意思を宿した瞳などは、以前とまったく同じだった。


 リタが佇んでいるのは、ボロボロの建物の前だった。


(……リタは、この建物に住んでんのか?)


 テミスの心が、チクリと痛む。

 まるで自分のせいでリタが没落したかのように感じられた。


「まさか、テミス様にこんな所でお会い出来るとは、思ってもみませんでした」

「様付けは辞めてくれ。オレはもう、ただのテミスだ」

「ですが貴女は間違いなくガロウ族の――」

「無くなった家の名を、どういう面して名乗れって言うんだよ」

「…………」


 テミスの言葉に、リタがまつげを伏せた。


 テミスは、小さな町の領主ガロウ家に生まれた。

 幼い頃から英才教育を施され、一流の領主となるよう育てられた。


 リタと出会ったのは、六歳になった頃だ。

 テミスの世話役として、リタは下人としてガロウ家に雇われた。


 年齢が近かったこともあり、テミスはすぐにリタと仲良くなった。

 テミスの両親も、我が子の友人となってくれることを願い、リタを雇ったのだった。


 テミスが12歳になる頃、リタは下人から使用人に格上げされた。

 リタもまたテミスと同様に、執事長から英才教育が施されていた。

 いずれテミスが領主となった時に、リタがその片腕となれるように……。


 ガロウが修める町は小さく、クロノスのように巨大な外壁が存在しない。

 町は度々魔物の襲撃を受けていたが、その都度ガロウ家が先頭に立って、魔物の脅威を退けてきた。


 ガロウ家の領地を治めるには、頭だけが良くてもいけない。

 魔物を退ける力も必要なのだ。


『魔物と戦うのは、力あるものの務めである』


 14歳になった頃、テミスは自らの力を高めるために冒険者になった。

 クロノスで修業をして、領主にとって相応しい力を身につけるつもりだった。


 テミスはこのまま自分がガロウ家を継ぐのだと、信じて疑わなかった。

 今から丁度四年前に、ガロウの領地が壊滅するまでは……。


「……チッ。うっせーな。なんだよさっきから」


 ひっきりなしに響く鐘の音に、テミスが渋面となる。

 甲高い音が耳に痛い。


「……お嬢様。言葉遣いが悪いですよ」

「ひっ!? や、辞めろよその呼び方は。第一オレはもう19だぜ? お嬢様って柄じゃねーっての」


 リタが幼い頃の呼び方を用いたことで、テミスの肌にわささっと鳥肌が立った。

 そんな様子に、リタがほくそ笑む。


(こいつ、知っててわざとやってやがるな……)


 リタの態度に、テミスが内心毒づいた。

 その時だった。

 大通りからなにやら怒号と悲鳴が聞こえてきた。


「――ッ!?」


 尋常ならざる人の声に、テミスが即座に戦闘態勢となった。

 なにがあったのかはわからないが、なにがあっても良いように盾を構えた。


 大通りの向こう側。南側を見ると、蜘蛛の子を散らしたように人が逃げ惑っている。

 その奥にある南門が、閉ざされていた。


「ん……なんで門が閉じてるんだ?」


 門が閉ざされていることを、テミスは奇妙に感じた。

 クロノスから外に通じる巨大な門は、日が昇ると開かれ、日が落ちると閉ざされる。

 現在は日が昇っているため、門は開いているのが普通である。


(門が閉まってるってことは……)


 テミスが答えに近づいた時。

 テミスは前方に、二つのツノを持つ魔物の姿を捕らえた。


 ――鬼(オーガ)だ。


 鬼が、目の前の人間目がけて拳を振り上げた。

 その光景を見た瞬間、テミスは盾に力を込めた。


(――くそっ、間に合え!!)


「〝挑発(タウント)〟!!」


 盾から気迫があふれ出し、鬼の注意を引きつけた。

 ギロリ。鬼がテミスを睨めつけた。


 ただ睨まれた。それだけなのに、テミスの背筋がかつてないほど震えた。


「り、リタッ! 下がってろ!!」

「えっ……?」

「早くッ!!」


 リタに視線を向け、テミスは再び前を見た。


「――ッ!?」


 たった一瞬、目を離しただけだった。

 にも拘らず目と鼻の先に、鬼がいた。


(馬鹿なッ!? まだかなり距離があったは――)


 思考の途中で、テミスの視界がぶれた。

 続けて盾を持つ左手に鈍い痛みが走る。


 ――ガンッ!!


 激しい音が響くと同時に、テミスは真横に吹き飛んだ。

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