第35話 勝者と敗者

「いらっしゃいませー!」


 店の扉が開かれた瞬間、マリーは声を上げた。


 武具店プルートスは、迷宮都市クロノスでも随一の品質を誇る。

 他店と比べて武具の値段は高いが、客の入りは決して悪くはない。


 夕方頃になると、店には沢山の冒険者が姿を現す。

 ダンジョンから引き上げてきた冒険者が、その足で店を訪れるのだ。


 だが現在、店の中にはマリーしかいなかった。

 当然だ。店を開いたばかりなのだから。


 店に姿を現したのは、プルートスの武具を手にするにはまだまだ早い年齢の少女だった。

 だが、マリーはその少女のことをよくよく知っている。


「……なんだ、エリスか」


 接客のために整えた表情を、マリーは一瞬で素に戻した。

 エリスは先日、幼なじみであるユートとパーティを組んだ、回復術師である。


 ユートの仲間ではあるが、マリーは彼女のことをあまり好きになれそうになかった。


(ちょっと、ユートに近すぎるのよねぇ、この子……)


 マリーが斜めに構えたその時だった。


「マリーさん、大変です。ユートさんは、ドMさんです!」

「…………はいっ?」


 突如、エリスがとんでもないことを口にした。


(なに言ってんだろう、この子……)


 マリーの頭が真っ白になる。

 しかし、よくよく話を聞いてみれば、たしかにその言葉にも頷ける。


 曰く、ユートはまる一日ダンジョンで狩りを続けていたこと。

 曰く、普通は斬れない魔術を刀で切り裂いたこと。

 曰く、魔術で頬が焼かれているのに、上を向いてにやけていたこと。


 彼女の言い分を聞けば、確かにユートは〝どMさん〟である。

 弱冠12歳のエリスが近づいてはいけない手合いだ。


 しかし、マリーは首を振る。


「別に、どMさんってわけじゃないわよ。ものっすごく頑張り屋なだけ。自分が強くなるためなら、なんだってやる。それがユートなのよ」


 マリーは、裏庭で木剣を振り続けていたユートの姿を思い出す。

 マリーの声がちっとも耳に入らず、彼は延々と木剣を振り続けた。


 手に出来たマメが潰れても、それで手から出血していても、彼は変わらぬペースで木剣を振るっていた。


 手からダラダラ血を流しているのに、マリーの前では平気な顔をしていた。

 けれど影では辛そうにしていたことを、マリーは知っている。


 10年間、彼の背中を見続けたマリーだから、知っている。


 そんなに辛い思いをしても、ユートは木剣を振るい続けた。

 木剣を振るう。ただそれだけしか考えていなかった。

 ――少しでも、強くなるために。


 あるいはもう、痛みに耐えることでしか強くなれないと、考えていたのかもしれない。


 さておき、エリスの話を聞いてもマリーは『ユートらしいなー』としか思わなかった。


「マリーさんは、ユートさんが心配じゃない、です?」

「心配よ。でも、心配したからって、それで止まるような普通の人間じゃないのよ」


 普通の人間だったなら、彼は今も成長することはなかったはずだ。


(それに……)


 ちらり、マリーはエリスを見た。

 普通の人間だったなら、彼はきっと、ダンジョンにエリスを見捨てていたはずだ。


(それじゃあ、ユートじゃないのよね)


「ユートが嫌なら、パーティを抜けても良いのよ?」

「む……」


 挑発すると、エリスがぷくっと頬を膨らませた。


 この程度で、エリスがパーティを抜けるとマリーは考えていない。

 エリスもマリーと同じで、ユートに救われたのだから……。


 でも少しだけ、抜けて欲しいなぁとは思っている。

 ライバルは、少なければ少ない程良いのだ。


(まっ、それでもアタシの方が何歩もリードしてるけどね!)


 ユートとは10年の付き合いだ。

 マリーは彼のことならば、決してエリスに負ける気はしない。


「わ、わたしは、ユートさんとずっと、一緒に活動します、です!」

「あらそう。でも、嫌になったらスグに辞めて貰っていいのよ?」

「やーめーまーせーんー!」


 びー! と舌を出したエリスの左手に、きらりと光る指輪があった。

 マリーはその指輪を見て、眉根を寄せる。


 たしか、以前は身につけていなかったな……と。


「エリス、良いものを装備してるわね。それ、魔力の指輪?」

「せ、正解です。見ただけで、すごいです」

「アタシは武具店の番頭なのよ? 装備品の目利きは得意中の得意なんだから」


 エリスが身につけているものは、魔力の指輪だ。

 しかも、サイズ変更の刻印まで施されている。


 これを一般の店で購入しようと思えば(無論、底上げされる魔力の程度によるが)30万ガルドは下らない。


 ユートには購入出来ない額だが、かなり前からCランク冒険者として活動していたエリスならば、購入出来るレベルの装備である。


「もしかして、ユートとパーティを組むから、気合を入れて買ったの?」


 オシャレして、ユートの気を引きたいのかしら?

 そんな風に考えてにやついていたマリーの笑みが、


「違うです。これは、ユートさんに貰った、です」


 エリスの言葉で、カチンと凍り付いた。

 彼女はうっとりした表情を浮かべて、左手を掲げた。


 魔力の指輪は、小指に填まっている。

 もしこれが薬指であれば、マリーは今頃砕け散っていたに違いない。


「うう、う、嘘を言うんじゃないわよ。ユートにそんな資金力が、あ、あるはずないんだから」


 思い切り声が震える。

 だが、それでもマリーは気丈に振る舞った。


 ユートのことならば、マリーはなんでも知っているのだ。

 ユートが、そんな高価な装備を購入出来ないことくらい、マリーは判っている。


(お、怖れることはないわマリー! ユートは貧乏なんだから。あんな高級品が買えるはずないのよ!!)


 しかしそんなマリーを、エリスがあざ笑う。


「嘘じゃありませんよぅ? ユートさんはきっと、ものすごく頑張って、わたしのために、こんなに高い指輪を買ってくださったんです! だって、ユートさんは〝ものすごく頑張り屋さん〟なんですよね?」

「うぐ……」


 自分が口にした言葉を引用されて、マリーは言葉に詰まった。

 そこを、エリスに畳みかけられる。


「そういえば、ユートさんはわたしのことを〝とても大切だ〟って言ってた、です。だから、指輪を貰ってほしいって」

「う、嘘よ……」

「じゃあ、本人に聞くです」

「それは……」


 さすがに、面と向かって『エリスに指輪を買い与えたのか?』と尋ねる勇気が、マリーにはちっともなかった。


「うふふ……。それじゃあ、マリーさんごきげんよう、です」

「あっ、ちょ、ちょっと待ちなさいよ!」

「今日はもう眠い、です。昨日はユートさんと、ずっと一緒にいたです。ユートさん、一晩中寝かせてくれなかった、です」

「え、それって、どういう……」

「ふわぁあ」


 マリーが前のめりになって尋ねるが、エリスは欠伸をして店を出て行ってしまった。


 これまでのエリスの話を分析すれば、彼女の発言が『エリスがユートに丸一日、ダンジョン中を引きずり回された』ことだと気がつける。

 しかし、現在のマリーの心境では、その事実に思い至ることが出来なかった。


「…………」


 マリーの手元が、みしっと音を立てた。

 その音がなんなのか、店の出入口を凝視するマリーにはわからなかった。


「マリー。今日仕上がる武具なんだが――ヒッ!?」


 工房から姿を現したダグラが飛び上がった。

 現在のマリーは、強面で有名なドワーフであるダグラが怯えるほどの表情を浮かべていたのだった。

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