第6話

 家に着く寸前に雨が降り始めた。暗い空から降る雨はあの日のスコールみたいな雨とは違う。ねっとりと身体に絡みついて、青く澄んだ思い出の空さえも曇らせる。


 桜木じゃなかった。


 違うとわかったのに気分が晴れないのはナゼだろう?

 



「NAO、俺の飯は?」


 窓ガラスに映る大きな人影に驚いて振り返る。


「NAO?」


 ちょうどリビングに聖が入ってきた。また傘を持たずにスタジオを出たのだろう。聖には取りに戻る、コンビニで買うの選択肢がない。突き進むだけ。だから今夜も全身ずぶ濡れでのご帰還だ。


 業界人っぽいミディアムヘアからポタポタと水滴が落ち、床に水溜まりが形成されつつある。ワイルドと言う人もいるけど、これはただ単に無頓着なだけだと思う。

 

「おかえり」

「いやいや、おかえりじゃなくさ…」


 髪をかきあげ、眉をひそめる。探るようにじっと見つめられては、何もやましいことなんてないのに言い訳を考えはじめてしまう。相手学生だし?とか危険なワードしか出てこないけど…


「俺の晩御飯、大丈夫?」

「あ、あぁ…」


 そっちか。聖は食を妥協しない。75歳(聖的寿命)までの残された4万食強、美味しいものを食べて「人生悔いなし」で終えたいらしい。


「豚骨醤油と豚キムチ、どっちがいい?」


 聖は顎に手を当て、少し考えるような素振りを見せる。迷ってないのに、ただのポーズってことはすぐにわかる。


「それって、カップ麺の話かな?」

「一平ちゃん、まだあったかな…」

「そっちでもないし!」


 立ち上がった俺に、ちょい待て!と聖が叫ぶ。

 俺は食に対してこだわりがない。腹が充たされればそれでいい。ご飯にアンパンおかずにしても全然大丈夫。カップ麺なんてご馳走だし?


「女装しろって言ったから怒ってんの?ごめんって!わかったよ!わかった。シャワー浴びたら作るから待ってろ」


 え?そうなの?勝手にストライキと勘違いした聖が作ると言いだしたので、遠慮なく“怒ってる”に乗っかってみようと思う。


 聖は大股で風呂場に向かう。自分家なのに居候みたいな慌てぶりが、なんというか馴れを知らない。だからこそのこの居心地なんだろう。


 聖は料理ができないわけじゃない。冷蔵庫にある残り物でもちゃんとお美味しいものができあがる。メニュー先行型の俺よりも節約できて、むしろ美味いのに、家賃が聖、食事は俺で折半して生活している。どう考えても逆だろ?


「なぁ、俺が家賃担当になろうか?」


 そろそろよくないか?それなりに稼ぎもある。無一文の頃の俺とは違う。


「売れっ子の聖ほどじゃないけど、ここの家賃なら払えそうだけど?」

「ヤダよ」


 廊下を挟んだ脱衣場から声がした。さらにまたドカドカと大きな足音が戻ってくる。


 聖が今度は真っ裸でリビングに顔を出す。モデルよりもいい体格をしているせいか、恥じらいがない。むしろ自慢でしかない?同性だから何も気にしないけど、何アピールだよ!と思わなくもない。それもこれも自分のコンプレックスが視覚からビシビシと刺激されるせいに他ならないけど…


「俺は作ってほしい人なんだから、ダメ」


 と、聖が平然と言う。なんだそれ?子供かよ!ってぐらい勝手な理由だ。


「そんなに作るのが面倒?」

「なんでだよ!」

「そういうことだろ?」


 俺の指摘に聖は大きなため息をつく。な?やっぱ、そういうことだろ?


「あー、そろそろ疲れたなー」

「だから風呂入って来いよ」

「そうじゃなく…今日はNAOも一緒に風呂入る?」

「それこそ、なんでだよ!」


 今日は、ってナニ?意味がわからない。


「そりゃそうだよな。そうなんだよ」


 聖はブツブツ言いながら風呂場に戻って行った。なんだ?アイツ…。

 リビングと廊下には水溜りと二往復分の足跡が残されている。


「また手間のかかる」


 かまってちゃんかよ。年なんて変わんないのに自分の欲求に素直で行動が早い。でもわかりやすくて、人を不快にはさせないから悪くはない。


 雑巾を持ってきて聖の跡を辿ってゆく。玄関に着くと当然、靴の下にも水溜りができている。おまけにかぎも開けっ放し、風呂場からは鼻歌。


「呑気だよな…」


 何の緊張もない。何の憂いもない。何の事件も起きない。平和そのもの。

 


 


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