第5話


「桜木先輩…」


 …なわけない。なに言ってんだろ。


 声をかけた形になってしまった高校生と目が合う。二人の間になんとも言えない微妙な空気が流れ、もう“なかった”にはできそうにない。


 確実に俺は彼の不審者カテゴリーに分類されてる。とりあえずは怪しいものじゃないってことを…

 羞恥心よりもはるかに名誉回復が勝る。


「すいません。人違いです」


 人違いと言葉にすると想像以上に恥ずかしかった。非を認めるよりもなんか情けない。

 しばし見つめあった後、


「え?」


 彼から返されたのはワンテンポ遅れた驚き。そこでようやく彼と俺の視線がカチッとハマる。これは…


 彼はちょっと考えてから「ああ!」と明るい表情になる。


「僕に用ですか?何か言いました?」


 おい!二重に恥じゃん。実は“俺”は目に入ってなかったとか、さらに声が届いてないとか、もう恥ずか死ねる。


「あの、僕になにか?」


 首を締めにかかってくる。逆に申し訳なさそうにされると恥が上塗りされていく。


「ごめん。人違いです」

「あ、そうなんですね」


 おずおずと一歩近づくと、彼は二歩近づいてきた。


 気恥ずかしくて照れて笑うとそれが伝染したように彼も笑う。

 彼は作り笑顔がまだ上手じゃない。ま、高校生だしね…。逆に好感が持てる。


 横に並ぶと身長がそう変わらないことに気付いた。


 なんだ、全然違う。俺と先輩との身長差は20センチ以上あった。似てるけど先輩じゃない。当たり前。なのに、勘違いして焦って一人オタオタして…愚かな自分が笑える。


 すぐに「では、さよなら」と終わらせることができなくて、


「ごめん。あのさ、参考までに教えて。さっきはなに見てた?」


 どうでもいいことを訊ねる。


「あぁ!あなたの後ろにカップルがイチャイチャしてて、さすが東京だな〜って」


 振り返ると確かにいた。人目を気にしないバカップルが。お前らのイチャつき加減が度を超えてるから俺が恥をかいたんだと!心の中で毒づくと、男に睨み返された。さらに彼女を自分の方に引き寄せる。

 違うって!別に欲しくないし…


 しかし高校生はこれが羨ましいとか?公衆の面前でのイチャイチャが?いや、違うか。羨ましいにしては、ずいぶん険しい顔してたしな。軽蔑って表現が近いかも…うーん?


「もしかしてさ、東京の人じゃない?」


 地方特有の味のあるなまりはない。垢抜けてるけど、スレてない感じがどことなく東京の高校生とは違う。


「はい。出身は大阪です」


 なるほど、転校生か!だからこんなに制服が綺麗なのか…


「あの、失礼ですが地元の方ですか?」

「地元?いや、違うけど?あ、もしかして迷ってる?」

「あの…はい、実は」


 ほんのり耳が色づいた。恥ずかしそうに俯く姿が可愛い。


「こっちは北口であってますか?」

「残念ながら南口だよ」

「あー、だからか!待っててもこないわけだ…」


 なんとまぁ可愛らしい間違え。

 肩を落とす彼に「相手に連絡した?」と訊ねると、携帯を忘れてきたと言う。黙ってスマホを差し出すけど彼は首を横に振る。受け取ろうとしない。


「もしかして使い方、わかんないとか?」


 そう揶揄うと彼は吹き出した。「流石にそれはわかります」と。


「あっ…」


 不意打の笑顔が先輩にそっくりだった。目をそらして、


「使っていいから」


 と、スマホを押し付ける。


 電話を始めた彼の視線は次なる待ち合わせ場所の目印を探して忙しなく動く。横にいる俺のことなんて思考の外だ。


 彼の横顔を見つめる。瞳の虹彩は先輩と同じ薄茶色だ。だからなのか、そうじゃないのか、偽物探しをしてたのにうっかり本物にたどり着いたみたいにドキドキが収まらない。


「ありがとうございます。父がお礼を言いたいと言ってますが…」

「いいよ。そんなの」


 電話を断ると通話を終えたスマホが俺の手に戻された。


「大丈夫?」

「はい。ありがとうございました」


 彼は深々と頭をさげる。とても礼儀正しい。親御さんがしっかりしているんだろうな…


「あのお名前は?」

「俺の名前?それ、必要?」

「一応…」

「NAO。モデルのNAOです。あ、でも内緒ね。誰にも言わないで」


 初めて、他人にそっちの名前を教えた。


「NAO、さん…」


 先輩によく似た彼に“ナオ”と呼ばせたかったから、わかってやった。大人だからこその悪知恵は結局、自分の首を絞めるってことは後になってわかったけど…


「き…きみは?」


 骨格が似ているせいか声まで似ているような気がする。ぼやけてた先輩の形に声だけリマスターしたように、新たな命が吹き込まれる。


藤崎ふじさきです。藤崎 頼人よりとです」

「頼人くん。うん、じゃあね」


 もう会うことはない頼人と名乗る少年に手を振り、駅の改札に急ぐ。


 “桜木”じゃなかった。


 改札を抜けて電車に飛び乗る。逆方面に乗ったと気づいたのは次の駅に着いた時だった。

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