第20話 女心を理解しよう2

 翌日、俺は自室のベッドに体を沈め一冊の本に目を通していた。


 『会話』とは二流どこの連中が、お互いに自分の頭脳の中身を陳列ちんれつし合う共進会。ただし、誰も彼も自分自身の商品を並べ立てるのに忙しく、隣人が並べてみせる商品を眺める余裕など、全然ないのが普通……ほ~ん。


 中学二年の時に名前にかれて購入したアンブローズ・ビアス著『悪魔の辞典』にはそう書かれていた。


 この本には辞典と銘打めいうってあるだけあってさまざまな単語が定義されているが、どれも本来の意味とは異なる皮肉の効いたブラックジョークばかり、というかそれしかない。定義ではなく作者の個人的見解をさもそうであるかのように書かれ偉ぶっている物だ。だというのに不思議と共感できてしまうから恐ろしい。


 自分をどう知ってもらうかにばかり気を取られ、相手の話を聞いてるようでその実、耳には入ってない…………この本にのっとって考えるとつまり会話は無意味ということ! よかった、これで一歩前進だ!


 ………………俺はそっと本を閉じ枕元に置いた。


 これただの現実逃避じゃね? 一歩も前進してないどころか百歩後退してね?


 体を半回転させてうつ伏せになり、顔を枕に埋める。


 昨日、危機的状況を乗り越えてからも俺は女心を理解する為に少女漫画原作のアニメを観まくったが結局、微塵もわからなかった。それでもくじけてなるものかと色々調べた結果が現実逃避に走った今の有様である。



「――お兄ちゃん、入っていい?」



 部屋の外から聞こえてきた理瑚の声に俺はベッドから起き上がり「いいぞ」と応えた。



「どこか出掛けるのか?」



 中に入ってきた理瑚の服装を見て訊ねると、理瑚は「うん」と頷く。



「ちょっと買い物にね」

「そうか。気をつけてな」



 どうしてわざわざ伝えに?と少し疑問に思ったが口にはせず、俺は見送りの言葉を返した……が、理瑚はその場で立ち尽くしたままで一向に出ていく気配がない。



「どうした?」

「お兄ちゃん今暇だったりする? できれば買い物に付き合ってもらいたいんだけど」



 あれ? いつの間に妹ルート入った? なんて気持ちの悪い冗談はおいとくとして、俺を誘おうとしてたから突っ立ってたのね。



「荷物持ち要員ってことか?」

「そ、そういうこと! …………だめ、かな?」



 チラと時計を確認する。時刻はまだ昼前。


 家に居ても悩み疲れるだけだし、気晴らしには丁度いいか。それに、捨てられた子犬のような目をされては断るに断れないしな。



「わかった、付き合うよ」

「ありがと! 私、下で待ってるから、早く準備してね!」



 にぱっと明るく笑った理瑚は催促の言葉を残して部屋から出ていった。


 ……着替えるか。


 男が女を長く待たせるものじゃない。俺はささっと身支度を済ませ、一階に下りぱぱっと歯を磨いたのち、理瑚と一緒に家を出て玄関の鍵を閉めた。



 昨日に続き今日もまた俺は球磨谷駅に降り立つ。目指すは駅に併設されたショッピングモール。以前、練馬と小南の幼馴染コンビに俺と吉田が付き合わされたところだ。


 明日もここに来なきゃなんだよな…………あれ、そう考えると三日連続で女子がいるイベントに参加しちゃってることになるわけだが……ついに俺のラブコメ始まった?



「お兄ちゃんと二人で出掛けるのっていつぶりだろ?」



 ラブコメの兆しじゃね?なんて思いながら改札を抜けると、隣を歩く理瑚がふと訊ねてきた。



「二人でとなると……理瑚が小三の時じゃなかったか?」

「え、そんなに前だっけ?」

「確かそうだったはず。冬休みの時、お母さんが職場に弁当持ってくの忘れて、それで一緒に届けに行ったろ? 多分あれが最後だ」



 理瑚がテーブルに置きっぱなしの弁当に気付いて『届けに行く! 絶対にお母さんのとこ、届け行く!』と頑固一徹がんこいってつな態度を貫くもんだから仕方なく俺も付き添ったんだっけ。



「懐かしい。帰りに雪が降ってきて、お兄ちゃんが着けてたマフラーを二人で巻いて帰ったの覚えてる?」

「忘れるわけがない。かなり恥ずかしかったからな」

「私が何回お願いしてもお兄ちゃん渋ってたからね。でも、最終的には聞き受けてくれたよね」

ねた理瑚に俺が折れただけだけどな」

「そこは嘘でもいいから妹の為だって言ってよ、もう!」



 不満を口にした理瑚のムスッとした表情があの雪の日の理瑚と重なり自然と笑みが零れてしまう。成長して背丈も顔もあの頃と変わったってのに、不思議なものだ。



「ほんと昔と変わらないな、理瑚は」

「それ、褒めてるの? それとも馬鹿にしてる?」

「前者だ。妹をもつ兄からしたら口を聞いてもらえなくなるより変わらず仲良くやってける方が全然嬉しい。まあ、兄とか関係なく皆そうだと思うが」

「そうなんだ……ま、そう言うお兄ちゃんも昔から全然…………」



 流れからして変わらないと言おうとしていたようだが理瑚は途中で言葉を引っ込めてしまう。



「え、全然なに?」

「ううん、なんでもない…………それより早く行こ!」



 明らかに笑って誤魔化した理瑚は、それ以上は聞かないでくれとでも言うように足を速め前を行く。


 変わってしまった、とでも言いたかったのだろうか……だとしても、言いかけてやめた意味がわからない。


 理瑚の判然はんぜんとしない態度に魚の小骨が喉に刺さったような違和感を覚えるが、抜き取る術どころかそもそも刺さった原因すらもいまいちわからい俺には、別の話題を考えながらその背を追うしかなかった。

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