第12話







「引っかからない可能性の方が高いですが、明日、私の意識がはっきりしていた旨をそれとなくお伝えください。先輩が振らなくても、犯人自ら確認してくるかもしれませんけど」


昨夜、雪路はいくつかのことを僕に頼んだ。

これはそのうちの一つである。


「それともし引っかかった場合、暴力に訴えられたら対処が難しいので。朝食が終わりましたらお見舞いと称して部屋に来ていただければ」


そんなわけで、僕の現在位置は客室だった。

寿命が三年くらい縮んだ気がする。


「殺されかける前に声をかけるんじゃなかったのかい」

「現行犯の方が言い逃れしづらいでしょう?」


東田さんを羽交い絞めにしたままそう抗議すれば、雪路はいけしゃあしゃあとそんなことを言った。こいつ、僕に言えば止められるのをわかっていて、あえて別の作戦を伝えたな。

自分の彼女が苦しげに呻くのを、押入れの中で聞いてしまった彼氏の気持ちも少しは考えてほしい。思考が凍りついて飛び出すのが遅れてしまったじゃないか。

抗議の視線を向けるが、雪路はどこ吹く風。

僕以外がいる時はぴくりともしない表情筋を、東田さんに向けた。


「さて。今しがたの行為に対し、何か弁解はありますか?」

「……」


東田さんは答えない。

無理もないだろう。第三者がいる場での現行犯だ。彼女は殺す気だったろうし、僕にもそう見えた。雪路も平然とした顔をしているが、殺されると思っただろう。

冗談の一言では済ませられない。

青ざめた顔で、彼女は顔を俯かせた。

無言。それは肯定と同時に、ある可能性の否定でもある。


「仮に」


そんな東田さんを一瞥し、雪路は口を開く。


「私が貴方をいじめているという客観的ないし主観的事実があったなら、自らの正当性を訴えるためにそれを口にしていたのではないでしょうか? そうすれば行為を帳消しにはできずとも、少なくとも先輩からの同情を買えますからね」

「……?」


脈絡のない話運びに、東田さんは思わず首を傾げる。


「つまり、貴方が南海さんに「不死川雪路が東田祥子をいじめている」と告げたのは、先ほどの反応だけを鑑みれば虚偽の可能性が高いということです」


しかし次の瞬間には、青ざめた顔が引きつった。


「……」


僕は東田さんを羽交い絞めにしたまま、視線を少しだけ後ろに向ける。それから、改めて雪路達の方に意識を向けた。


「な、なにを」

「今朝、先輩に聴取していただきました。昨夜の消灯前、南海さんを呼び出して相談したそうですね。不死川雪路にいじめられて困っていると。さすがに相談の先はお話してもらえなかったようですが、消灯後に私を背負い、貴方と移動しているのを目撃したと言った時は顔を青ざめさせたとか」


今の貴方のように。

そんな言葉を付け加えて、雪路はいったん喋るのを止めた。

東田さんの肩が、かすかに震える。そっと覗き見た彼女の横顔は青白いままだったが、その目に苛立ちの光が宿っているのは見て取れた。


「とっさに出た反応が、否定ではなく怒りですか」


それに気づいた雪路が、再び口を開く。


「誰に対する怒りかはあえて触れませんが。私の言っていることが見当違いならば、否定ないし困惑が妥当だと思いますけれど。どうでしょうかね?」

「……へ、変なことをいきなり言われたから、それに怒ったのよ!」


雪路の指摘に対して、東田さんはそう返す。


「変なこととは?」

「消灯後のこと! 貴方を背負った南海くんと一緒にいるだなんて、そんな変なこと言われたら怒るに決まっているでしょうっ」


ありえないことを言われたら、まずは怒るに決まっている。

そんな言説を振りかざし、彼女は反応の正当性を語る。


「なぜです?」


しかし、雪路の返す刀は鋭かった。


「なぜって……」


最初斬られたことにも気づかず、東田さんは怪訝そうな顔になったが。


「私は、、としか言っていませんよ? この言葉のどこに、怒りを覚えるだけの不当性があるのでしょうか」

「…っ、ぁ」

「教えてはいただけませんか? 先ほどの言葉のどこに不当性があるのかを」

「……っ」


自らの失言がついた刀身を見せられ、表情がまた引きつる。


雪路はただ事実を口にしただけだ。

指摘された南海くんが青ざめたとは言っても、だから後ろめたいことをしたのではということは一切口にしていない。いじめられて困っているのを相談したという前置きはあるが、そこから報復行為を暗に咎められていると感じたのなら怒りは不適切だ。


もちろん、人間は合理的な反応をするとは限らない。

咎められたことに対して、焦りより怒りを感じることもあるだろう。

しかし今回に関しては、そうではないことを東田さんの反応が示していた。

えげつないやり方である。これ、誘導尋問っていうんじゃないだろうか。


「さて。僭越ながら、私の推論を口にするとしましょう」


反論の言葉を口にできない東田さんに、雪路はさらに切っ先を突きつける。


「いじめへの報復を行いたいから手伝ってほしい。昨夜南海さんにそう持ちかけた貴方は、皆が寝静まったタイミングで彼を部屋に招き、眠っている私を講堂へと運ばせた。そして彼の協力で転落防止ネットの上に私を寝かせ、放置。南海さんには、不可思議な現象に直面して動揺した様を見て溜飲を下げたい、とでも言ったのでしょう」


言いながら、人差し指を立てる。


「何せ、人一人を運ぶだなんてことは容易くできることではありません。単独で成せるのは成人男性か、それこそ南海さんのように体格の良い男子生徒に限られるでしょう。いじめへの報復を前提に置くなら疑いの目は東田さんに向くでしょうが、先に述べた条件に一致しないため自然と候補から外れます。人間に犯人がいないなら、超常現象を連想する。だから自分達に疑いが向くことはない――そう言ったのでは?」


犯人は雪路を講堂まで運んだ。すなわち、雪路を講堂まで運ぶことができるのが犯人。

この方程式は真実に近い。だから、これに当てはまらない人間は自動的に容疑者から外れることになる。東田さんはそんな理屈を唱え、雪路が起きてきた後も問題はない、むしろ不可思議な事象に驚くだろうと南海くんを言いくるめたのだろう。


これは僕も盲点だった。

この方程式に当てはまるが、犯行を行ったと思い込んでいたのである。


「疑い、というのは、私が落下して死傷した場合も同様です。殺人が疑われた際、少なくとも貴方だけは物理的問題により犯行は行えないと判断されるでしょう」

「……犯行って。その言い方は、大げさじゃない?」

「大げさではありませんよ」


東田さんの言い分を、またしてもばっさりと切り捨てる。


「おそらく南海さんには、ネットの上で目覚めるのを強調することで「運が悪ければ落ちて怪我をする」程度に誤認させたのでしょう。ですが、低い建物の三階相当の高さから受身なしで転落なんて、常識的に考えれば生死に関わります。こんな状況に他者を置くことを、犯罪行為と呼ばずになんと呼ぶのですか」


淡々としていた雪路の声に、熱がこもる。

お前の成そうとしていたことは、紛れもなく罪だと。そう責め立てるように。

それに圧されるように大きく肩を震わせた後、我に返ったように東田さんは口を開いた。


「で、でもっ、それはおかしくない?」

「何がでしょう」

「確かに私、南海くんに貴方にいじめられているって嘘をついたわ。その、南海くんの気を、引きたくて……。それでちょっとやりすぎちゃったのは、認める。でも、いじめが嘘なら私には不死川さんに酷いことする理由がないのよ?」

「だから、私が死ぬ可能性なんて考えてもいなかったと?」

「そ、そうよ。運が悪かったら怪我をしちゃうかもとは、思ったけど……」

「なるほど」


東田さんの言葉にいったん頷いてみせてから。


「南海さんの気を引くために、行き過ぎた手段に手を出してしまったと。そこまでしなければ彼の関心を引けないと、そう思ったのですか?」

「そ、そうよ……。好意を伝えているつもりなのに、全然伝わらないから、それで」

「嘘ですね」


三回目の刃を振るい、東田さんの言葉を切り捨てた。


「好きな人の関心を引くために、過激な嘘ををつく。これはあるでしょう。特に自分はいじめられているだなんて、いかにも同情を誘いやすいですからね。特に私はお二方とほとんど接点がありませんから、南海さんの心理的抵抗も少なくなるでしょう。相手の反応を見て相談に乗ってほしいと頼めば、それで距離は縮まるかもしれません」

「そうよ! それでどうして嘘だなんて言うのっ」

「逆に質問しますが」


立てたままだった人差し指を突きつけながら、雪路は問いかける。


「異性として意識もしていない、特別な好意を寄せてもいない。そんな相手からいきなり「復讐をしたいから手伝ってほしい」などと言われたら、どう思います?」

「そんなの、困るに決まって……あ」


言い方を変えられたからだろう。反射的に答えてしまった東田さんの肩が強張った。

その解答に同意するように、雪路はもう一度首を縦に振る。


「ええ、そのとおり。報復行為の幇助を要求されれば、大抵の人は困惑します。場合によっては同情が裏返るでしょう。「そんなことを考えるような人間だからいじめられるのでは?」と。非倫理的な行為を共に行うことで結束を深めるのを目的とするにしても、まず相手にそれを受け入れてくれるだけの下地がないと成り立ちません」

「そして提案するからには、相手にその下地があることを確信している、と」

「ええ、先輩。そのとおりです」


二人きりの時のように笑みは浮かべず、人形めいた顔のままで頷く。

そして突きつけたままだった指を下ろし、くるりと指先で円を描いた。


「このことは、行き過ぎた手段を講じるほど南海さんからの好意を感じないと思っていた、という旨の発言と矛盾します。自身をただの友人程度に認識をしていると思っている相手に、それを超えた感情がなければ同意が難しい要求を持ちかけたことになりますので」

「……っ」


雪路の指摘に、東田さんは歯噛みをする。


もちろん、雪路の言うことが全てではない。

友人程度の好意でもそういうことを引き受ける人間はいるだろうから、相手がそういう人間だと思って提案を持ちかけた可能性とてゼロではない。そんな打算を抜きにして、そもそも自分の提案が他人に断られる可能性があると思っていないことや、提案したことで生じるデメリットにまで頭が回ってないことだって十分に考えられるだろう。


だからこそ、雪路は合理性に焦点を当てた推理を口にする。

わざわざ自分から、非合理という逃げ道を与えない。相手が非合理な心理を口にした時にだけ、それを合理性でねじ伏せる。

名探偵の推理が、真実という銃弾を使った精密攻撃なら。

雪路のそれは、言葉という刀によって相手の皮を一枚ずつ裂いていく行為だ。


「なぜ虚偽の動機をでっちあげたのか。それは、本来の動機では協力を得られないから」


一振り。まずはなぜ嘘をついたかを語る。


「なぜそこまでして協力者を得る必要があったのか。それは、貴方が思いついた犯行は、貴方から疑いの目を逸らす代わりに貴方だけでは実行できないから」


二振り。どうして騙す必要があったかを説明する。


「なぜわざわざ疑いの目を逸らす必要があるのか。それは、最初から貴方の目的が、私を負傷ないし死亡させることだったから。運が悪かったら怪我をしてしまうだなんて甘い算段ではない。死んでも構わないという思考だったからこそ、疑われることを避けたかった」


 三振り。あえて否定せずにいたことを持ち出し、それを切り捨てて見せる。


「だから、貴方は南海さんに協力してもらい、私を講堂の転落防止ネットに寝かせた。寝返りを打った際、あるいは目覚めて動揺した際に転落することを期待して」


こうやって切り刻むために、雪路はまず共犯者だと推察した南海くんから言質をとった。

南海くんがどこまで話しているかわからない以上、東田さんにはがむしゃらな否定が使えない。そ彼の口ないし反応から事実として肯定されているものを否定することもまた、難しいだろう。消灯後に出歩く姿を目撃したという言葉の真偽がわからないなら、なおのこと。

そうやって反論できる範囲を狭めた上で、誘導尋問でさらに逃げ道を潰す。

えげつないやり方である。改めて、そう思う。


「違いますか?」


そんな言葉で締めてから、まっすぐ東田さんを見据えた。


「……でも、それってやっぱり、おかしくない?」


しばらく沈黙が流れた後。

東田さんの口から出たのは、否定の言葉だった。


「私に悪意があったのを前提にしているけど、じゃあ私の動機って何? それに第一、ネットから転落したとして、怪我ならともかく死んだらさすがに警察が動きかねないのくらいはわかるわ。そんな危険を犯してまで、どうして私が貴方を殺そうだなんてなるの?」

「警察に調べられるリスクがあるから、死ぬことを考慮して動いたはずがないと。そもそも、殺すだけの動機が自分にはないと。そう仰るわけですね?」

「そうよ。危ない目にあわせたのは謝るけど、人を殺人犯みたいに言わないで」

「みたい、ではなく事実なのですが。まあ、それはわかりませんか」

「……?」

「気になさらないでください。さて、その訴えはもっともですね」


僕と雪路にしか意味がわからない呟き。それを聞いて首を傾げる東田さんを一瞥してから、雪路は人差し指の隣に中指を立てた。


「では。順を追って話していきましょうか」

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