第一〇九話 前代未聞のお小遣い付き制圧戦

 ■天文十七年(一五四八年)十月上旬 近江国 安土城


 安土城天主からの眺めや、新しい店舗や建物が日に日に建設されていく城下町を楽しんだり、奇妙くんや保育園の子ども達と一週間ばかり遊んでるうちに、あっという間に畿内制圧戦の軍勢集合日がやってきた。

 幸いなことに少々肌寒いものの、天気には恵まれて雲ひとつない快晴。幸先が良く自然と頬が緩む。

 さすがに八〇〇〇〇を超える大軍勢を天主の望楼から眺めると壮観の一言。もし敵の軍勢に城攻めをされていると考えたら、とても恐ろしく鳥肌ものだけど。


「ほーっ!? よくぞこれだけ集まったものじゃ」

 軍勢を集結させた張本人の信長ちゃんも、今まで見たこともないような大人数に驚きを隠せない。なにしろ八〇〇〇〇は戦闘要員だけの数字。さらには相当数の補給部隊や工兵部隊も随伴するので、優に十万名を超えるのだ。


「ははは、奇妙さま。見てください。人が塵芥ちりあくたのようです。ははは」

 ダメだ、それは悪役のセリフだぞ。誰が言っているかと思えば、今孔明の半兵衛くん(五歳)じゃないか。

 バチーーーーン!!

 ヨメちゃんのハリセンが炸裂だ。

「源助(半兵衛)、塵芥ちりあくたではなく天下のため尽力する武士もののふじゃ!」

 そうだ。小さいうちのしつけが大事だ。

 これだけの人数が揃うと、ゴミのようにも見えるけれどね。


「ありさん。ありさん……」

 可愛らしいことを言っているのはお市ちゃんだ。それも違うけれど、半兵衛と違って罪はない。


 ともあれ、今回の畿内制圧戦については、合戦はまず間違いなく起こらない。大軍勢で畿内に出兵すると触れ回っているうちに、既に少なくない国人(小大名)が帰参を申し出ている。

 これから行う軍事行動の第一の目的は、この時代の政治・経済の中心地の畿内の領民や公家などに、名目だけでなく実態が伴う天下人が、信長ちゃんであることの印象付けだ。

 そのために予め軍勢が通るルート・休憩場所・宿泊場所を、高札や諜報衆の配った書状で知らせている。まさに軍事パレードで『見にきてね』というスタンス。


 近江以外の集合した将兵は、はじめて見る壮大な安土城の壮大な天主閣に驚きを隠せない。だが、各国の将兵をなにより驚かせたのが、総勢十万を超える将兵全員に一人あたり百文(約一万円)のお小遣いが支給されたことだ。もちろん、支給されたのは先月から流通を開始した新銅貨、ピカピカの天正通宝だ。


「天正通宝を持ち帰りたがる者も多いと思うが、畿内または安土で残らず使い果たすのじゃ」

 信長ちゃんは各将に厳命して全兵に守らせることを要求している。

 これから行う軍事パレードの通過ルートでは、出店や行商人が商売をするだろうし、様々な店舗や商人が存在する京や堺での滞在時間を多く取っている。

 ある種の特需を畿内各所にもたらすとともに、貨幣の使い方に慣れていない将兵に貨幣を強制的に使わせて、貨幣経済の便利さを実感してもらう。それが新貨幣の早期浸透に繋がるからだ。

 また今回の畿内制圧戦には、次世代を担うべき将兵を出陣させるように、と指示をしてある。安土城や京都・堺などを社会科見学風に体験させるのも重要な目的だ。


「畿内にぃいい! 安寧をぉおお! もたらす為にぃいい! 励めぇええ! 出陣っ!」

「オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 信長ちゃんが将兵を鼓舞して、畿内制圧戦という名の前代未聞のお小遣いつき軍事パレードが始まった。将兵たちはお小遣いを支給されたせいもあって、いつにもまして士気が高い。


 ◇◇◇


 こうして安土を出発した軍勢が草津で一泊し、大観衆が見守った京都での行軍を終え、翌日の大和への行軍に備えて二泊目の宿泊の本陣を構えていたところ、珍客があった。

 大和の筒井城を居城とする筒井順昭じゅんしょうの使者である。十万超の大軍勢に恐れをなしたのだろう。恭順と引き換えに、大和の国知事を要求してきた。

「坊主が武器を持つのが間違いじゃ。配下で恭順するものは二条ないし大坂へ行け。筒井順昭は城を開いて、武器を捨て興福寺へ戻るのじゃ。武士になりたくば還俗して志願せよ。坊主は経を読んでればいいのじゃ」

 我が信長ちゃんは、使者にそう伝えるとあっさり追い返す。

 筒井氏は大和の興福寺こうふくじの衆徒出身の戦国大名で、興福寺の力を利用して、周囲の国人(小大名)を配下に収めて大和一国をほぼ統一している。だが、信長ちゃんは筒井氏の統治を認めなかったのだ。


 既に今年の初めに興福寺は武装解除されているうえ、大軍勢が近くに来るまで織田家に対して、何らアクションを起こさなかったことからの判断だろう。

 哀れといえば哀れだが、時流を読めないのは確実だろうし、京に近い大和を守らせるのも不安が残るので、妥当な判断だと思った。


 史実では、一年後に筒井順昭は隠居し二年後に死去してしまう。その後は、わずか二歳の筒井順慶じゅんけいが家督を継ぐが、その際に順昭の死を隠すために木阿弥もくあみという名の坊主を影武者に立てたという。それが『元の木阿弥』という故事成句の元ネタらしい。

 だが、この世界ではこのフレーズは生まれる余地がなさそうだ。


 ◇◇◇


 京都からは、大和・河内・堺と四日間の行程で軍勢を進める間に、筒井順昭が退去し無人となっていた筒井城と、既にどことも知れず逃亡していた元河内守護の畠山高政の居城だった高屋城を破却した。


「吉ぅ~! 城を壊してばかりで城攻めはないのー?」

 戦がないので暇をもてあましたのだろう。織田軍の本陣にやってきた軍神の虎ちゃんだ。

「うむ。此度は戦がないのが当然なのじゃ」

 信長ちゃんもそう言うものの、少々気が抜けた表情をしている。ずっと行軍を続けるだけでは、緊張感が抜けるのもやむを得ないところだ。

 ここは、大将のモチベーションを高めないと。


「姫、虎殿。明日の堺では、南蛮菓子のビスケットやボーロが手に入ると思われます」

「ほーっ!? びすけっとやぼうろであるか。いかなる食味であるのかな?」

「美味しかったら、お土産にたくさん買って帰るんだ!」

 二人ともビスケットとボーロへの期待に、さっと表情を和らげニコニコ笑顔だ。

 天下人と軍神様といえども女子っぽいところがあって、お菓子攻撃にはとても弱くて思わずにやけてしまう。

 

 いずれにしろ、今回の畿内制圧パレードの第一の目的は、十二分に達成できたようで非常に満足だ。

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